黒猫亭舊館
黒猫亭主人謹製藏書録・贅言他
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2007.01.31(Mer)04:51  三島一彦『オヤジ拾いました。』(角川書店 あすかコミックスCL-DX)
オヤジ拾いました。

オヤジ拾いました。 「年下攻め」。当然「年上受け」。「オヤジ」てふても35、6ですが、年下が高校生なもので、年齢的には倍。
 オレ様かつオコチャマで、執事付きの豪邸に住む高校生が、家の前に過労で倒れてゐたバツ一――子どもあり――のリーマンを拾ひ、純情一途にアタック、これを陥落させるハナシ。さらに、スピン・オフして、その執事サンに、同級生男子が果敢にアタック、陥落させるハナシ。そして、執事サンとリーマンの間にも微妙な雰囲気が……。
 ちなみに、みんな女の子が嫌ひなわけぢゃなく、バイみたいですな。しかし、やおいって、つくづくファンタジーだなあ。
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  • ことみ (2007/01/31 08:19)
    やおい=ファンタジー論は初めて思いつきました。ファンタジーも恋愛ものも若干苦手な分野だったりしますので、まだまだこのジャンルに入るには時間がかかりそうです。。。「レナード現象」に出てくるのはBLで、またちがうんでしょうか?
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2007.01.30(Mar)04:42  ピエール神父逝く
 既に旧聞に属すが、1/22 に Abbé Pierre が94歳で亡くなった。長年、フランス人気番付で上位を占め続け、最後は、もう若い人に譲るべしと云ふた方でもある。その国葬級のあつかひに、流石の日本のメディアにも続々と逝去の報はあがってゐたが、普通の人はその名を知らなかったであらう。ぼくがアベ・ピエール(abbé とは神父さんの意である。『マノン・レスコー』の著者アベ・プレヴォー Abbé Prévost も「プレヴォー神父」てふ意味だ)の名を知ってゐたのは、かつて卒論のテーマに選んだ卒業生がゐて、その指導をやったからである。
 本名アンリ・グルエス Henri Grouès。1912年リヨンに生まれ、1931年にカプチン修道会に入会、1938年に司祭に叙せられる。第二次大戦中は対独レジスタンに身を投じ、このとき名乗った偽名の「ピエール神父」が、生涯の通称となる。1949年に、家なき人々のための住居をパリ近郊ヌイィ・プレザンス Neuilly-Plaisance 市に建設、翌1950年にこれを Emmaüs [エマユス] と命名する。これが、ホームレスや貧困者救済運動エマユスの始まりであった。エマユスのシステムは、廃品や不要品を回収、リサイクル販売して収益をあげると同時に、その作業のための雇用を促進するてふもの。ちなみに、「エマユス」とは新約聖書ルカ伝24に現はれる村の名前「エマオ」のフランス語であり、「エマオの晩餐」てふ主題でカラヴァッジオやレンブラントの描いたエピソードが命名の元であらう。
 じつは、日本にもエマユスの支部が存在する。暁光会という社会福祉法人がそれである。だが、「古物リサイクル」が生活の習慣として根付いてゐる欧米と異なり、古道具=好事家の道楽てふイメージが強い日本では――どこで、そっちへ行ってしまったのか?――、100均ショップの隆盛もあり――だって、100円であんなのもこんなのも買へるんぢゃあ、ポイ捨ても増えようてふもの――、リサイクルが有効に機能せず、したがってエマウス運動も苦戦中のやうだ。フランスでは誰でも知ってゐるエマユス=リサイクル=格安てふ構図が、日本には存在しない。これはやはり不幸なことではあるまいか。
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2007.01.29(Lun)06:19  森下裕美『大阪ハムレット』2(双葉社)
大阪ハムレット 2 (2)

大阪ハムレット 2 (2) 予想を裏切らず大層評判で、文化庁メディア芸術祭の優秀賞を受賞した作品の第2巻。
 今回、ハートウォーミングな「この世界の女王」、映画風の「カトレアモーニング」も良いが、冒頭に置かれた「十三の心」が、ありがちな「文学少女の謂はれなき孤独感」を描いてグッド。
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  • ことみ (2007/01/29 09:19)
    もう出たんですね!すぐ注文しなければ・・・。最初この絵柄はどおなんかと思っておりましたが、,鯑匹鵑任燭蕕發Δ呂泙辰討靴泙い泙靴拭ここふたももちろん待っておりますが。。。
  • 黒猫亭主人 (2007/01/29 10:04)
    出ましたで。じつはもっと前に買うてましてんけど、こゝに書く暇がなくて。ちなみに、遂に大阪弁に――数箇所やけど――注釈がつきました。
  • ことみ (2007/01/29 21:13)
    うん、必要ですね。すごい大阪弁の文語体ですもんね。。。森下裕美の毎日新聞の4コマが、いきなり休載になってて、ますます新刊が貴重なものに感じます・・・。
  • 黒猫亭主人 (2007/01/30 04:38)
    毎日の4コマ、どうなってんですかね? 「作者の都合により」としか書かれてませんなあ。
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2007.01.29(Lun)06:08  椎名軽穂『君に届け』3(集英社 マーガレットコミックス)
君に届け 3 (3)

君に届け 3 (3) 徐々に人気上昇中か? ハチクロ終了後の現在、小生イチオシのスロー純愛もの第3巻。月刊誌に連載なので、丸一年でこゝまで(一冊につき4本が収録)。ラーメン・デビューも果たし、どんどん幸せな高校生活になってゆく爽子に、しかし、例の可愛子ちゃん(くるみちゃん)の計略が。でもこちらには、頼もしき――小生贔屓の――矢野ちんあり。一方、爽子自身にも、漸く変化の兆しが。さうさう、義理人情のひと・ちづにも、なにやら起こりさうな感じで目が離せない。
 なほ、初版には、霊験あらたかっぽい爽子お守りつきだ。
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2007.01.29(Lun)05:58  伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』(創元推理文庫)
アヒルと鴨のコインロッカー

アヒルと鴨のコインロッカー 大学入学と共に仙台に引っ越してきた、些か頼りない19歳の椎名くんと、ペットショップの店員で、英語が堪能な22歳の琴美ちゃんを語り部として物語は進んでゆく。間をつなぐ人物は、河崎といふ男。叙述トリックが冴える一篇だが、中で留学生ドルジくんによって語られるブータンてふ国の、謂はゞ「エチカ」(心性・価値観・倫理)てふものがキーになってもゐる。
 ちなみに、椎名くんの敬愛する別嬪な叔母さんてふのは、「陽気なギャング」に出てくる祥子さんらしい。
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2007.01.29(Lun)05:50  諸星大二郎『スノウホワイト――グリムのような物語』(東京創元社)
スノウホワイト グリムのような物語

スノウホワイト グリムのような物語 グリム童話をネタにしたモロホシ・ワールド。巻末に自作解説付き。
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2007.01.29(Lun)05:40  むんこ『がんばれ! メメ子ちゃん』1(竹書房)
がんばれ! メメ子ちゃん 1 (1)

がんばれメメ子ちゃん 1 (1) 『くらオリ』は、編集者の異動も含めてだいぶ連載が変はったが、かつては『ぼのぼの』(いがらしみきお)や『ここだけのふたり』(森下裕美)が張っていた表紙絵を、このところずっと担ってゐるのがこの作品。企業のDTP部に勤めるたいへん小さいOLのハナシ。最初期の絵は目つきが違ふ。1頁もののオマケが数本あり。
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2007.01.29(Lun)05:32  あさりよしとお『まんがサイエンスX』(学習研究社)
まんがサイエンス 10 (10)

まんがサイエンス 10 (10) 10冊目となるこのシリーズ、現在も、学研の雑誌『5年の科学』『6年の科学』に連載中だが、今回の収録作には、古いのも混ざってゐる。
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2007.01.29(Lun)05:26  鈴木翁二『オートバイ少女』(筑摩書房)
オートバイ少女

オートバイ少女 あがた森魚監督で映画化された『オートバイ少女』他、70年代初期の漫画と、80年代初期のエッセーを収める。翁二ワールド全開。
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2007.01.29(Lun)04:59  ロクソ新年会
 昨日は、小生台本により3月に公演する阿倍野の劇場、ロソクドンタブラックの新年会へ。こゝは、学校回りなんかをやってゐる玄人劇団 THE KIO さんの持ち小屋でもある。今回、劇場がこゝになったのは偶々であるが、毎年半年かけて行なはれてゐるロクソドンタフェスティバルに、はからずも参加することになったため、じつはプレッシャーを感じてもゐる。このフェス、割と若手の劇団が多く、ウチの如き「足かけ18年目」なんかは珍しいのであった。
 稽古が延びたので、開始から二時間ほど遅れてゆき、取り敢へず、定時に来てゐたももいぬろうくんを見つけ出すと、KIO の照明さんである伏屋さんを紹介される。さらに、ちっひー、滝口君(まっこさんのお弟子さん)ら、いつもお手伝ひに来て戴いてゐる人々に会ひ、暇ステの白井君らと挨拶。さらに、1991年に最初のテント公演を行なった際、境内を使はせてもらった生國魂神社さんに顔を繋いで戴いた松原さん(元近鉄劇場プロデューサ。現在は芸術創造館)に挨拶。その流れで、昨年度ロクソフェスで2位となった猴(ましら)の人々とも話す。さらには、KIO の女優さんで嘗て一度だけ会ったことのある岸田さんとも久闊を叙し、ダンス評論家にしてフェスの審査員でもある上念さんに挨拶。じつは、今回、鯨をネタとしてゐるのだが、10年前の小生作『風の序曲』てふ芝居も鯨ネタであり、上念さんは、これをご覧くだすってゐるのだ。10年ぶりに使ったネタなのに、まさか10年ぶりに観る人がゐようとは思はざりけりである。取り敢へず、今回も鯨なんですといふてチラシをお渡ししておいた。最後に、一般審査員を務めるてふヒロコさんとお話して〆。
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2007.01.22(Lun)05:55  センター試験
P1010788.jpg 600×800 105K この土日は、大学入試センター試験の監督。うちの大学では、毎年2研究科ぐらゐが担当で、文学研究科にも3年に一度づつほどのペースで回ってくる。小生、センター試験は、かつて監督も警備もやり、問題作成委員もやってゐて、すでに三冠達成済みであるが、これがたしか二度目の監督となる。監督にあたると、朝8:30から参上して――警備はもっと早い――、業務に当たらねばならない。中でも、各教室の主担当――これは、担当研究科の教員の年長者がなる慣例――になると、入試センターから配布されるマニュアル本の読み上げ文言を、タイムスケジュールに沿ってちゃんと読み上げるやら、受験状況調査票にサインするやらの仕事があるのだが、全国一斉テストは、試験会場ごとのアドリブなどは使へず、チョンボは新聞で大々的に報道されるため、大変気を使ふ。初体験の先生など、受験生並みに緊張しますと仰有る。今回は主担でなかったため、気は楽であったが、監督そのものもナカナカ労力を使ふもので、小生の如く二日担当――一日だけてふ先生も結構いらっしゃる――には、みなさん「大変でせう」と声をかけてくださるほどだ。幸ひにも、小生担当の教室には、リスニングも含めて、何の問題も発生しなかった。ありがたいことではある。しかし、初日に頑張って立ちすぎたせゐか、足が痛くてしゃうがない。
 たゞ、二日担当すると、受験生とは顔なじみ――担当教室が二日とも同じため。こちらは、受験票の顔写真照合などもするので、名前も憶えてしまふ――になり、なかには、廊下であっても挨拶してくれるヤツもゐて、それはちょっと嬉しい。 
 ちなみに、初日、19:30に校門を出ると、「朝日新聞の○○です」てふ男が走り寄ってきて「センター試験を受けられた方ですか?」と尋ねる。「遅くに出てくる受験生=リスニングで問題発生し『再開テスト』を受けた者」てふ図式にしたがって、取材したかったのであらう。残念ながら受験生ではないので、ノンと答へると退散していったが、夜目遠目とは恐ろしいものである。
(昨年から一部改良された今年のリスニング試験用マシン。停止後、5分放置でリセット掛かるので、何度でも聴取可能だ)
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2007.01.16(Mar)03:40  卒論
 昨日は卒論提出〆切日。いや、いつになくドキドキした年度であったが、兎も角も、予定者全員提出。先週10日〆切りの修論も無事提出されたし、あとは口頭試問を待つばかり。いや、その前に、論文を読む仕事が。今年は、主査3本、副査6本の担当になりさう。
 そして、皆の衆よ、卒論は早く手を付けてよう! コンピュータが壊れる――よくある――とか、病気するとか、アクシデントはいつ襲ってくるか判らんのである。
 尤も、ニンゲン、この手のことは、経験しないことには実感を得られないものだ。しかも、二回くらゐ痛い目にあって、漸く。自戒。
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2007.01.13(Sam)06:44  仏文のゆくへ
 まあ、なにしろ、バブル崩壊以降のニッポンおよびミヲツクシのゆくへについちゃあ、暗黒――宇宙に遍在するダーク・マターならまだしも――もえゝとこである。要するに、カネが敵の世の中で、どうぞカタキに巡り会ひたいと太田直次郎君のやうに呟いても、いかんともしがたいのが世情である。勿論、我々のせゐではない――と云ひたい。バブル真っ只中に院生生活を送ってゐた小生は、世のバブリーぶりを眺めつゝ、モラトリアム兼ストイックな生活であったのだ。否、その後半戦、第4コーナーを回ったあたり(1990年)で劇団を旗揚げし、その旗揚げ作品でバブリー・ニッポンを批判した我々は、それをネタにしつゝも、やはりバブリーであったのかもしれない。
 兎まれ斯うまれ、ミヲツクシの懐具合はシダイの諸々に直結してをり、個人研究費が先細りどころの問題ではない。ミヲツクシの市政改革本部は、費用対効果を重視する結果、シダイとフダイの統合を示唆してきたが、これは市民の眼にはどう映ってゐるのであらうか? 我々が目指してきた「オラが街のダイガク」は、やはり、殆んどの市民にとっては、どうでも良いことなのかもしれない。殆んどの市民にとって、ダイガクは、八百屋さんや銀行やコンビニのやうな日常的存在ではないからである。
 この際、「伝統」は置くとしよう――「伝統」からすれば、60年近くも「後輩」のフダイを、シダイは歯牙にもかけてゐない。ロンガイである――。そのうへで、統合はまだしも、連携に障碍があらうか?
 もちのろん、心情的にはあるかもしれない。だが、「聖域なき人員&予算削減」のコンボにたいし、我々は、抵抗&対抗すべき策を持たない。持たせてももらへない。いかに「ダイガクてふところは、民話の三年寝太郎の如く、いつか役に立つこともあるかもしれぬ『無用の用』の拠点である」といふても、シダイとフダイが共に教育・研究をおこなふのを妨げる要因はひとつもない。あるのは、我々の「割り切れなさ」である。
 こゝで問はれるべきは、結句「シダイのアイデンティティ」――いやさ、こゝは、フランス語で「イダンティテ」と書くべきだな――であり、我々の過去と未来への「認識」である。我々は何をやってきて、何をやらうとしてゐるのか。それがフダイと――いや、キョーダイでもハンダイでもカンダイでもカングァクでもドーヤンでもリッチャンでもどこでも良いのだが――選ぶところなきものであれば、独立してゐる理由はどこにもないではないか? 我々は、それをなし得てきたのか? 人員削減の荒波のなかにあって、人員が――一時的にせよ――増えるのであれば、これを歓迎しない手があるだらうか?
 いや、問題はそこではなく、統合等によって不当な「過剰リストラ」が断行されることだ、といふ意見もあらう。そのとほりである。しかし、学生のベンキョーが充実するなら、それでも良いではないか、大体、ダイガク単独では、提供できる授業内容にも偏りがあるであらう。結局、こゝにあるのは、「効率的普遍主義」と「心情的伝統主義」の対立であり、後者は分が悪い……。
 さうなのだ。効率を問題にするのなら、現在の、ミヲツクシのなかで弱者のシダイのなかで弱者のブンガクブのなかでも弱者のフツブンなぞ、坂田三吉も吃驚の吹けば飛ぶやうな将棋の駒以下の存在である。だが、教育・学問は効率第一ではない。教員が多ければ質が高いなんて認識は、チャンチャラをかしいにもほどがある。それは単に選択の幅が広いてふだけであって、量質の転換はこの規模ではあてはまらないのだ。
 斯くして、我々の目指すべきは、「偶々シダイで働く教職員」と「偶々シダイに入学した学生」の、手術台上のミシンとコウモリ傘の出会い的邂逅をもって、認識の埒外――誰かが予想できる「想定内」てふのは、所詮それだけのものにすぎない。「想定外」こそ、進歩の石版に決まってゐる――ベンキョーを創出することにある。そして――こゝがポイントだが――それは、量の問題ではないが、個人による教育(所謂「ゼミ制」。シダイのブンガクブの大きな特徴のひとつが、この「非ゼミ制」である)でもなく――教員個人の資質に還元できるのならば、教育の場がシダイである必然性も亦失はれる――、「教員集団」による「集団教育」に他なるまい。もちろん、それがシダイとフダイの「邂逅」が悪くないてふことの否定にはならない。
 畢竟、我々が守るべきは、「合理」ではなく「不合理」である。「効率」ではなく「無駄」である。「理窟」ではなく「屁理屈」である。物理学者・渡辺慧の「醜いアヒルの子の定理」が明らかにしたやうに、任意の二つのモノは、数学的にいつでも同じだけ似てゐるのであり――つまり、醜いアヒルの子と白鳥の間の類似性は、白鳥同士の類似性と同じ数だけある――、白鳥同士の方が似てる度合ひが大きいと決めるのは、観察者がとる立場以外のなにものでもない。偏見バンザイ、普遍性などクソくらへである。
 だが、我々ダイガクジンは、この偏見にリクツを与へねばならない。ダイガクの存亡の危機のなかで、ダイガクを守るためには、あっぱれトンボも切ってみせねばならぬ。しかし、何のために? 云ふまでもない。ジブンのためである。だが、ジブンとシャカイはコインの裏表、切っても切れぬ間柄、結局は、フツブンのためでありブンガクブのためでありシダイのためでありニッポンのためでありチキュウのためでありウチュウのためなのだ。
 まづは、眼の前にゐる生身の固有名を持ったガクセイさんたちのために働くこと、それを措いて、我々の守るべきモノはないのである。
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  • しらた (2007/01/19 08:32)
    仏文のためにも、まづはハクロンを書いて目の前にあるガクイをとってくださひ。(昨日N先生からいただいたプレッシャーのおすそ分け)
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2007.01.11(Jeu)04:46  安達哲『バカ姉弟』5(講談社 ヤンマガKCデラックス)
バカ姉弟 5 (5)

バカ姉弟 5 (5) 約1年半ぶりの第5巻は、前巻で登場したピアノ教室の先生に連れられてニューヨークにゐるところから始まるが、相変はらずのバカ姉弟こと地主さんとこの双子三歳児。ところが、両親――常に顔が見えない――の仕事が一段落して、いっしょに住むため、引っ越すことに。そして、後半では、15年後(!)の二人の姿が――ついでに弟くんの名前も――明らかに。もしかして、これで完結なのだらうか?
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2007.01.05(Ven)06:16  Quarante-troisième
 昨日は、一寸先は闇のこの世にあって、最も確実なできごと、すなはち、歳を取るてふイヴェントが、無事にかつ地味に終了した。お祝ひくだすったみなさん、ありがたうござんした。でも、一番ありがたいプレゼントは、やっぱり「時間」ですなあ。
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2007.01.03(Mer)01:10  大阪讀賣創設物語と父の就活とスタジオジブリ
 元旦には、年に一度の実家帰り。ふとしたことから、半世紀以上前の、父親の就職活動のハナシに。
 彼は、1952年11月25日に発行開始した大阪讀賣新聞の「0期生」すなはち、東京採用組である。1951年4月、早稲田の教育学部国語国文学科――つまり、広末涼子の大先輩である。ちなみに入学したのは旧制の高等師範部國語漢文科であった――を卒業したばかりの彼は、にも拘らず教員を志望せず、藝能関係に進みたいと考へてゐたが、ある日、眺めてゐた「アサヒ芸能」――当時はタブロイド判の新聞であった――に大阪進出の社員募集の告知を見つけ、早速受験する――彼は、大阪=都落ちと捉へてゐたが、それでも構はないと考へてゐたらしい――。そして、合格。当初は、研修として、営業活動――銀座通りの商店街を軒並みまはって、広告を取ってくる仕事――に従事させられた。このとき採用された14名が漸く大阪へ赴任したのは、8月21日。そこで初めて、自分が「アサヒ芸能新聞社」の社員ではなく、じつは「大阪讀賣新聞社」の社員であったことを知る。すべては、朝日・毎日てふ大阪発祥の巨大新聞に大阪進出を秘すべく、隠密裡に計画を進めてきた讀賣の作戦であった。
 このときの指揮を執ったのは務臺光雄(むたい・みつお)業務局長――後に、大阪讀賣初代社長、讀賣新聞社長、讀賣巨人軍オーナー――。この務臺が、かつて読売の記者であり、当時アサヒ芸能新聞社を興してゐた竹井博友を呼んで協力を依頼したことから、上のやうな覆面募集が可能となったわけである。ちなみに、このアサヒ芸能新聞社は、後に経営悪化、立て直し要員として竹井の呼んだのが、やはり元読売新聞の記者であった徳間康快。結果、アサヒ芸能新聞社は徳間書店に生まれ変はることになった。徳間の作ったスタジオジブリが日本テレビと関係深いのも、読売新聞の縁てふことになる。なほ、竹井の方は、読売グループで重役を歴任する傍ら、地産グループを創設、各地にマンションやゴルフ場を作るが、脱税で逮捕され、グループも倒産してしまった。
 大阪進出にあたっては、会社も覆面であった。1951年7月28日、新大阪印刷てふダミー会社を設立――一応、『新大阪新聞』てふ地元夕刊紙を印刷してゐた――、これが大阪讀賣新聞へと華麗に変身(商号の変更)するのだが、その一ト月後に赴任した当初の社員たちの仕事は、朝日・毎日の販売地域を、販売店――当時はまだ、新聞ごとに販売店が決まってゐる専売制ではなかった――を回って調べることであった。彼らは「アサヒ芸能新聞社」の名刺を持って回り、それとなく「讀賣大阪進出」を話題に出して反応を探ったが、なんのことはない、販売店の間では、ほとんど周知の事実だったさうである。その間、務台が、朝日・毎日の両社長に談判、両者の承認を得て、1952年10月5日に大阪讀賣が発足したのだが、もし承認を得られなかったら、大阪進出は中止だったかもしれないらしい。そして、その際には、父親らは、アサヒ芸能新聞社の大阪支店所属として、広告取りを続けることになってゐたかもしれないのだ。もちろん、小生も生まれてはゐまい。
 かくして、はからずも大阪讀賣の社員となった父親は、そのまゝ、販売局での辞令が出たが、藝能をやりたいのだと直訴したところ、上司がかけあってくれ、なんと翌日には、編集局へ異動の辞令が交付されたとか。草創期ならではのえゝ加減さである。けっきょく彼は、初志貫徹で、歌舞伎、宝塚、松竹新喜劇、落語、商業演劇等の藝能担当記者になり、文化部長・編集委員まで務めて退職した。
 ところで、この発足時の諸々については、社史編纂室の聴き取りがあったにも拘らず、社長の交代――大阪生え抜きの坂田源吾(関大出身。大阪讀賣発足時には、大阪支社所属)から、東京出身社長に――があったときに、ばっさりカットされ、社史には載ってゐないさうであるが、『人生の師――読売新聞務臺光雄先生』てふ本に、当時のことが書かれてゐるやうだ。著者の心泉とは、竹井博友、晩年のペンネームである。
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  • まるろう (2007/01/03 12:29)
    明けましておめでとうございます。正月から含蓄のある物語、ありがとうございます。新聞もそうですが、メディア業界全体が変わってきてますが、戦後草創期の方はどう思われているのでせうか?興味は尽きません。今年もゆるゆると宜しくお願いいたします。
  • 黒猫亭主人 (2007/01/04 13:02)
    まるろうさん、今年もよろしう。今年はガンダム研究を推進しませう。
  • 黒猫亭主人 (2007/01/04 13:07)
    このエントリを読んだ父親から故障が。一日で辞令が出たのは「草創期のえゝ加減さ」ではなく「熱意が通じて」ださうですよ。
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2007.01.01(Lun)08:04  由貴香織里『0の奏香師』(白泉社)
0の奏香師

0の奏香師 「天使禁猟区」「伯爵カイン」シリーズ――これまたカシロスくんに教へてもらひ、借りて読んだ――で知られる由貴香織里の単発モノ。天才調香師・斎川奏(さいかわ・かなで)が主人公。従妹の金髪碧眼のモデル体型にて合気道の達人女子高生アナイス――血は100%フランス人の設定。おそらく"Anaïs"てふ綴りだらうが、アナイス・ニンから取ったのではなく、白百合の香水「アナイス・アナイス」からのやうだ。勿論、金髪碧眼はラテン系ではなく北欧系ではあるが――が、元気な妹キャラを務める点は、由貴作品の一典型であらう。
 3作収録で完結風ではあるが、敵役が逃亡してゐるのは、今後の展開もアリてふことか。
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