先週金曜、新幹線上の人となりたる小生、新山口駅にて下車す。ただちに山口線に乗り換ふ。車輌二つの単線なり。目指すは六駅目の湯田温泉。山口大学の最寄り駅なり。
てふわけで、2/9-12の四日間、武本先生に呼んでいただいた山大で集中講義。諸々の都合により三連休中になったにも拘らず、学生さんたちも熱心に参加してくれてありがたいことではあった。受講生のひとりには、「是非また来てください!」とか云はれたが、なかなかそんなわけにもゆくまい。時節柄、国立大学法人は、どこでも非常勤の予算も厳しいのだ。
湯田温泉の街はこぢんまりとしてゐたが、山大は広い。学生はほとんど下宿生で、みんな自転車を持ってゐる。三連休で学食があいてないため、毎日、外へ食事に出たが、往復するだけで30分弱はかゝるのであった。
そして、湯田温泉といへば、ご当地出身の中原中也。生家がモダンな記念館にもなってゐる。丁度、「中也とフランス文学」展を開催中。昔は、フランスに憧れ、フランス語を学ぶ人の如何に多かったことがよくわかる。中也も、外語学校で仏語を学んだ後、死の間際まで、通信教育も受けてゐたのだ。仏語にとって、往年の栄光ではある。
(写真1: 山大正門) (写真2: 古風な店構への外郎屋さん。じつは外郎、山口の名物でもある。右奥に見えるのがモダンな中也記念館) (写真3: 明治維新の大立者・井上・聞多・馨の屋敷跡である高田公園。中也記念館にほど近く、中也の詩碑が立つ。刻まれてゐるのは、
これがわたしの古里だ さやかに風も吹いてゐる あゝおまへは 何をして來たのだと 吹き來る風が私にいふ
「帰郷」の一節である。ちなみに、この奥には、これも山口ゆかりの種田山頭火の句碑が立つ) (写真4: 中也記念館の隣のお店) (写真5: 五重塔で有名な瑠璃光寺境内を含む香山公園内に移築された枕流亭。薩摩から――現在、「篤姫」でもお馴染み――小松帯刀、西郷隆盛らが訪れ、薩長連合の密議がなされたところである。元は、山口市中央部の道場門前の一の川沿ひにあったため、「流れに枕す」と名付けられた。しかしながら、本来「漱石枕流」とは「強情で負け惜しみの強いヘンコ」の謂。詳細はコチラ)
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