★2008.01.04(Ven)23:46
矢作俊彦、司城志朗『サムライ・ノングラータ』I, II(ソフトバンク クリエイティブ SB文庫)
|
『サムライ・ノングラータ I (SB文庫)』『サムライ・ノングラータ II (SB文庫)』
文庫を作ったソフトバンクが、目玉として、矢作作品の絶版モノを出してきた。この作品は、かつて角川文庫から出てゐた矢作・司城合作3部作の2作目『海から来たサムライ』の復刊であって、矢作俊彦・原作、関口ジロー・画で出てゐた同名の現代モノの漫画『サムライ・ノングラータ』――こちらは小学館ビッグコミックスから2巻出てゐる――とは全くの別物である。のみならず、ストーリーは変はらないものゝ、大々的に改稿が施されてゐる。基本的には、説明的な文章や改行が削除され、スピード感を重視した文体となってゐるが、そのほかにも手が加はへられた箇所は数へきれない。たとへば、冒頭からして斯様な具合だ。
濡れ縁の向こう、黒部委の裏に人の気配を知ったとき、丈太郎は、ちょうどジュール・ヴェルヌが書いた《驚異の旅》シリーズの一冊を開いたところだった。 息を詰め、爪先立ちした男たちの気配。それも二人や三人ではない。少なくとも十人、多分、等間隔にだろう、何を待つのか凝っと身を潜めてゐいる。彼らを今、硬ばらせている気合いが、高い塀を越え、手入れのいい植込みを越え、ぴたりと閉ざした障子を越えて、丈太郎にそれだけのことを報せた。 塀の向こうは手狭な路地だ。洟たれ小僧が泥棒猫を追って駆け抜けることはあっても、大人となれば、御用聞きさえめったには通らない。 夜具の上にくるりと腹這いになり、丈太郎は、本を抛り出した。(『海から来たサムライ』I: 7)
手がとまった。寝そべって読んでいた本をぱたんと閉じる。字面から目を上げ、そのまま動きをとめて、丈太郎はゆっくり息を吸いこんだ。 邸(やしき)のまわりに誰かいる。 ここは離れの一室で、障子の向こうには濡れ縁があり、広くはないが庭があり、黒板塀がぐるりと邸を囲んでいる。その塀の向こうは狭い路地だ。たまに通るのは魚をくわえた泥棒猫と、猫を追いかける洟たれ小僧くらいのものだ。大人はめったに通らない。物売りだって入ってこない。 そこにひとの気配がする。息を凝らし、爪先立ちをした男の気配が。それも二人や三人ではない。ざっと数えただけで十人ちょっと、まるで最前線で暁の雄叫びでも待っている軍隊のように、じっと身を潜めて動かない。その気配が黒板塀を越え、植込みを越え、ぴたりと閉めた障子を越えてぴりぴり伝わってくる。 丈太郎は本を横にどけた。(『サムライ・ノングラータ』I: 7-8)
ト、まあ、駭くほどの手の入れやうで、もちろん改稿は全篇に渡ってゐる。この辺は、司城(つかさき)が手を入れたのであらうてふのが解説の井家上隆幸の説だが、改変は文章にとゞまらない。主人公の鹿島丈太郎は不動であるが、チームを組んでゐた海軍大尉・川地剛士は篠宮剛志に、元会津藩士・樋口月心は黛一葉に、爆発物のエキスパート一色孝也とその弟分の善彦は杉山郷の茂丸とお相撲の常蔵にと、名前も変更されてゐるのだ。孝也(たかなり)改メ茂丸に到っては、その後の人生まで変はってしまった――なにしろ、杉山茂丸といへば政界の黒幕、あの夢野久作の父親である――。これは再読せずにはゐられまい。 ちなみに、タイトルは、相手国に受け入れ拒否された外交官のことを指す外交用語 persona non grata [ペルソナ・ノン・グラータ](歓迎されざる人物)のもぢり。non grata で「好ましからぬ」てふ成句にもなってゐるが、元はラテン語。複数形は personae non gratae である。 | | |