★2006.11.27(Lun)07:06
日本フランス語フランス文学会関西支部大会
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| このところ土日もずっと仕事であるが、昨日は仏文学会関西支部大会。今年来年と支部実行委員のひとりなので、朝からの会議にも出ねばならない。場所は、同志社大学新町校地。今出川から徒歩5分、まだ新しい学舎である。 会議後は、京産大のH先生とともに受付にへばりついて、実行委員選挙――10名のうち、5名づつの半舷上陸なので、毎年選挙があるのだ――の投票用紙配布係である。その後、総会開催中に選挙開票作業、めでたく――ご当人たちには愛でたくない可能性大だが――5名当選。みなお知り合ひであった。 | | |
★2006.11.24(Ven)03:06
高原記念館竣工式
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昨日午前中は、高原慶一朗・学友会会長――本学商学部 OB にして、「ムーニーマン」でおなじみユニ・チャーム創業者。立志伝中の人である――から、大阪市立大学に贈られた高原記念館の竣工式。小生、大学広報委員として、I係長とともに手弁当での写真係であった。写真の如く神式であるが、そこは公立大学法人、ライシテ(仏語。「非宗教性」などと訳され、仏共和国の基本原理のひとつ)の原則にのっとり、公式行事ではない。ちなみに、ご寄付10億円のなかから、ン億円が費やされてゐる。なほ、出席者は、本学金児理事長(=学長)、中村・角野両副学長ほか、学友会関係者、施工の鹿島関係者、高原興産――ユニ・チャームの関連会社――関係者。じつは、副学長たちも学友会も高原も鹿島も――そしてI係長も小生も――悉く本学 OB なのであった。 午後は、昨年度同様、学友会総会等。今年は規模をぐっと縮小して、学情10階で開催されたのをチラ見して、懇親会――先の高原記念館内で開催――を撮影して終はり。なにしろ木曜日、仕事と授業の準備に明け暮れる金曜日が待ちかまへてゐるのだ。
((1)竣工式。(2)お洒落仕様の洗面台。但し女子トイレのみ。(3)プロ機材の揃った厨房。誰が使ふのかしらん?)
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★2006.11.23(Jeu)09:49
フランス人はブログがお好き
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★2006.11.23(Jeu)05:26
石井克人, 三木俊一郎, ANIKI『ナイスの森』(レントラックジャパン)【DVD】
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『ナイスの森 The First Contact』
「ウサタク」のCMなどでお馴染みの石井克人監督らのユニット「ナイスの森」が撮った、実験的映画。21の短いエピソードからなるが――エピソード間にはブリッジも這入ってゐる――、メインは、「モテない3兄弟」――般若の面の顔を真似ながら踊る寺島進が可笑しすぎる――、「女三人旅」――池脇千鶴がヲバハン・キャラをやってゐる――、「ノッチとタケフミ」――髪をぺったり撫でつけた加瀬亮はナカナカ不気味だ――のエピソード。これらが絡み合ひ、枝分かれし、なんだか判らないまゝに終結する。「日高ダハ高校」てふのが舞台の中心にもなってゐるのだが、石井監督の『茶の味』に出てた坂野真弥――現在10歳。アバレンジャーの舞ちゃんですな――も、エヴァの庵野秀明も同級生になってゐて、机を並べてゐるし。ちなみに、学級委員長は、ウサタクの彼女役のかたはら、『バベル』の好演でオスカーの噂もある、菊地凛子だ。 | | |
★2006.11.23(Jeu)05:23
CLAMP『xxxHOLIC』10(講談社KCDX)
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★2006.11.22(Mer)06:17
ジダンとナディアの不倫報道
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本日1限の授業のための教材――字幕付きプロモ・ヴィデオ――を作るのに、結局徹夜になってしまった。たいさう眠い。一晩かかっても、授業裡に占めるのは4分弱。一回流して終はりである。もちろん、1クラスには一度しか使へない。 ちなみに、素材はナディア Nâdiya ――33歳。元短距離選手。1児の母。小生は「フランスの安室奈美恵」だと思ってゐる――の Amies Ennemies [アミ・エヌミー](友だちで敵で) てふ新曲である。例によって踊りまくりの PV だが、歌詞の内容は、意外にも「女の友情」がテーマであった。 さて、「ジダンが不倫と仏誌が伝える」と『日刊スポーツ』が、2006/11/11づけで伝へてゐる。記事によれば、お相手が、このナディア。彼女は、テレビで否定したさうだが、「ただ同誌(引用者注:仏雑誌 Voici [ヴォワスィ] のこと)は『ある10月の美しい朝、2人は同じマンションに入ったゃ』と報じた。」さうである。 いや、小生の気になるのは、もちろん、この「ある10月の美しい朝」だ。いくらなんでも「美しい朝」は詩的に過ぎる。原文は "un beau matin d'octobre" [アン・ボー・マタン・ドクトーブル] に違ひなからうとふんで検索すると、ピッタシ・カンカン、いや、ピッタンコ・カンカン。
Nouvel Ops の記事の Google キャッシュがヒットした――現在、この記事は、一部書き換へられてゐて、当該の部分は削除されてゐる――。すなはち、
La légende des clichés : "Par un beau matin d'octobre… Sans le savoir, à quelques minutes d'intervalle, la chanteuse et le footballeur s'engouffrent dans le même immeuble"… (お約束の説明文がつけられてゐる。「ある10月の朝……。人目を忍んで、わづかの間に、歌手とサッカー選手は、同じ建物に駆け込んだ……」)
"un beau matin" は「美しい朝」ではなく、精々「ある(心地よい)朝」なのだ。 | | |
★2006.11.18(Sam)07:41
セゴ姐さんの勝利
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11/16の仏社会党々員選挙において、2007年度大統領選統一候補に、かねてより有力視されてゐたセゴレーヌ・ロワイヤル Ségolène Royal が選ばれた。得票率 60.64 % 、圧勝である。ちなみに残りの候補者、かつての第一書記でもあるロラン・ファビウス Laurent Fabius 元首相は18.54 %、DSKことドミニク・ストロス=カーン Dominique Strauss-Kahn 元財務大臣は 20.83 % であった。メディアがあふる→注目が集まる→またメディアがあふる→また注目が集まる、てふプラスのスパイラルで、これも大衆人気型勝利の感が強い。ちなみに、セゴ姐のお膝元ご在住のま・ここっとさんのコメントでは、与党 UMP(Union pour le Mouvement Populaire 民衆運動連合) にたいし、社会党は演出勝ちとの由。たしかに。 前回のジョスパン擁立大統領選では、ルペンの得票率は微増だったにも拘らず、左派乱立で票が分散、まさかの初戦敗退となった PS (Parti Socialiste)、今回も候補は乱立しさうな気配だが、中道票取り込みは成功するのであらうか? | | |
★2006.11.16(Jeu)03:50
シモーヌ・ド・ボーヴォワール,ジゼル・アリミ『ジャミラよ朝は近い――アルジェリア少女拷問の記録』[手塚伸一](集英社)
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ジャミラよ朝は近い――アルジェリア少女拷問の記録 (1963年)
冒頭、ボーヴォワール Beauvoir による「FLN の連絡員である23歳のアルジェリアの少女が、フランス軍人によって不法にも監禁され、拷問され、ビール瓶で暴行された。めずらしいことではない。1954年以来、われわれはみな、大虐殺の共犯者であった」てふショッキングな文章で始まる本書は、アルジェリア独立戦争下(1954-62) におきた ジャミラ・ブーパシャ Djamila Boupacha 拷問事件をめぐる戦ひの記録である。さう、下の怪獣ジャミラの名前の元となったとされるのが、このジャミラであった。佐々木守は、おそらく本書を読んだものと思はれる。 本の大部分は、ジャミラの弁護士となったジゼル・アリミ Gisèle Halimi――この人、現在、政治的にはシュヴェヌマン派らしい――によって記された裁判の記録である。ある日、ジャミラの家族からの手紙によって弁護を依頼された彼女は、戦時下のアルジェリアに渡り、さまざまの困難をかいくぐって――渡航日数が数日に限定されたり、彼女不在のまゝ裁判が開かれやうとしたり、人権保護委員長自身の恐るべき人権蹂躙傾向が明らかになったり――、フランスの法廷に、ジャミラ拷問にかんする裁判を起こす。ジャミラの方も、アリミに心を開いてゆく。 彼女は FLN(Front de Libération Nationale, Algérie アルジェリア国民解放戦線)のメンバーで看護師であったが、1960年2月、前年9月のアルジェのカフェ爆破未遂事件の犯人として拘留される――ちなみに、3人の証人たちは、いづれも、犯人と彼女は似てゐないと証言してゐる――。正式な起訴は1ヶ月後。この間、ジャミラは、フランス軍人たちによって電気ショックなどの拷問を受ける。しかし、婚姻初夜の破瓜儀式を重要視するイスラム教徒 musulmane の彼女が最も気にしてゐたのは、ビール瓶挿入による処女喪失の可能性と、それによるイスラム社会からの逸脱であった。 ジャミラのことを知ったアリミは、友人のボーヴォワールに話す――アリミは、サルトルの弁護士もしてゐた――。ボーヴォワールは、ただちに反応、ジャミラを救ふ会を結成して、代表になると同時に、1960年6月2日づけの『ル・モンド』に、「ジャミラ・ブーパシャのために」Pour Djamila Boupacha てふ記事を発表する。これがきっかけで、ジャミラの事件は、フランス全土のみならず、全世界の知るところとなった――フランソワーズ・サガンも運動に参加、この本の「証言」に収められたエッセーを書いて、宣伝に一役買ってゐる。この一文は、それまで、サガンの描く奔放な少女の世界に眉を顰めてゐた保守的な人々にも感動を与へたほどであった――。 だが、フランス軍部は、国防大臣もふくめて、拷問に関はった者たちの名を明かすことを拒否し、裁判は続いてゆく。 本書の原著刊行は1962年1月。したがって、この本には、戦争の結末も、裁判の結果も描かれてはゐない。だが、同年3月にはエヴィアン協定 accords d'Évian によって、アルジェリア独立が承認され、戦争は終結し、政治犯は釈放されることになる。訳者である手塚伸一――当時、立教大学助教授――は、おそらく、ジャミラもアルジェリアに帰還してゐるであらうと書いてゐるが、この記事によれば、じっさい、ジャミラは解放され、アルジェリアの FLN の許に戻ったやうだ――拷問についての訴訟の結末は判らないまゝだが――。年齢的に云って、現在もご存命であらう。 なほ、イタリアの作曲家ルイジ・ノーノ Luigi Nono が、「ジャミラ・ブーパシャ」てふソプラノ独唱を書いてゐる。 | | |
★2006.11.15(Mer)04:21
ジャミラと科特隊とフランス語
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今年2月に亡くなった脚本家・佐々木守は、ウルトラマンの脚本を5本書いてゐる――クレジットされてゐるのは6本だが、実質は5本らしい――。登場する怪獣は、放映順に、ガマクジラ(1966/10/16『真珠貝防衛指令』)、ガヴァドン(1966/10/23『恐怖の宇宙線』)、ジャミラ(1966/12/18『故郷は地球』)、スカイドン(1967/3/5『空の贈り物』)、シーボーズ(1967/3/12『怪獣墓場』)。いづれの作品も、特技監督は高野宏一、本篇監督は――TBSで知り合って、意気投合した盟友――実相寺昭雄である。そして、特撮ファンにはよく知られてゐるやうに、佐々木+実相寺作品は、敢へて「逸脱した」ウルトラマン作品を作り続けた。この5作には、必殺技のスペシウム光線は登場しない。のみならず、兇暴に暴れる怪獣も現はれない。出てくるのは、真珠を喰って寝るだけのヤツや、子どもの落書きの実体化でやっぱり寝てるだけのヤツや、たゞ重たいだけのヤツや、そもそも死んでて墓場に帰りたがってるヤツである。 だが、ジャミラだけは、国際平和会議を妨害する如く暴れ回る。なぜなら、ジャミラは、失敗を隠蔽され見棄てられた有人宇宙船実験の宇宙飛行士の変はり果てた姿で、執念と怨念によって地球に帰ってきたからだ。にも拘らず、科学特捜隊パリ本部から来たアラン隊員は、ジャミラの正体を明かすことなく一匹の怪獣として秘密裏に葬り去れと、本部の命令を告げる。けっきょく、水が弱点のジャミラはウルトラマンのウルトラ水流によって、泥のなかをのたうち回りながら絶命する。 国際平和会議は無事に開催され、会場前のジャミラ終焉の地には、科特隊の手で、墓碑銘が設置された。その文面は、かうである。
À JAMILA (1960-1993)
ICI DORT CE GUERRIER QUI S'EST SACRIFIÉ EN QUÊTE D'IDÉAL POUR L'HUMANITÉ AINSI QUE POUR LE PROGRÈS SCIENTIFIQUE
(ジャミラへ 人類と科学の進歩のための理想の探求に身を捧げた戦士 ここに眠る)
さう、パリに本部のある科特隊の公用語は、おそらくフランス語なのだ――そもそも科学特捜隊の本部がパリにあるてふのは、科特隊の上部機関が、パリに本部を置く国際科学警察機構だからである。これは架空の組織だが、もちろんInternational Criminal Police Organization 、所謂 ICPO、もくしは InterPol [インターポール] の通称で知られる「国際刑事警察機構」が当時パリにあったことをふまへてゐるに違ひない。ちなみに、ICPOは1989年からリヨンに移ってゐる――。 モノガタリは、「逆光で顔が見えない」てふ実相寺アングルのなか、この墓碑の前に立ちつくすイデ隊員のカットで、ラストを迎へる。
イデ「犠牲者はいつでもかうだ。文句だけは美しいけれど……」 ハヤタ「イデ!」 ムラマツ「イデ!」 アラシ「イデ!」 ムラマツ「イデ!」 ハヤタ「イデ!」 ムラマツ「イデ!」 アラシ「イデ!」 ムラマツ「イデ!」 ジャミラの断末魔。
この「ジャミラ」てふ名前が、アルジェリア独立戦争時に、フランス軍兵士によって陵辱された若いアルジェリア人女性の名前から取られてゐるのも有名な話だ。しかしながら、ネット上に流布する「虐殺された少女」てふのは間違ひで、彼女は逮捕され拷問にあひはしたが、死んではゐない。泥まみれのジャミラの最期が、斯様な誤解を生んだのであらう。 | | |
★2006.11.13(Lun)04:55
鈴木翁二『こくう物語』(青林工藝社)
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『こくう物語』
『ガロ』系にして寡作の人、数々の音楽家や劇作家をインスパイアしてきた鈴木翁二(すずき・おうじ)が、24年越しで完成させた長篇漫画。新潟らしきあたりの街道筋の宿屋を舞台に、15,6の姉・かれんと、7,8歳の弟・平吉の日々を、ときにストーリー、ときにポエム、ときにイラスト――「思ひ出画廊へようこそ」の章は、まるで谷内六郎である――で綴ってゆく。翁二節全開の作品である。じつは2004年に、このところ鈴木翁二が美術を務める名古屋の劇団「少年王者舘」が「こくう物語」てふ作品を上演してゐて、大阪――精華小劇場――にも来てゐたのだが、観てゐない――てふか、王者舘の芝居、このところ全然観られてない――。残念。 ところで、版元は青林工藝社。『ガロ』脱走組の興した会社であり、現在、ガロ系作家の作品は、ほとんどこゝから出されてゐる。しかし、当時、脱走組に批判されてた元編集者の白取千夏雄――当時、PCソフト会社のツァイトが経営を引き受け、ついでにデジタル・ガロを発行しようとして、守旧派の反感を買ってゐた。たしか、ツァイトは、最初、「ねじ式」のゲームを作成したのが、ガロと関はるきっかけであったはず――の証言によると、脱走組はかなりエゲツナイことしたやうだ。 | | |
★2006.11.12(Dim)06:27
ケータイ文字づかひ
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★2006.11.10(Ven)04:40
椎名軽穂『君に届け』1,2(集英社 マーガレット・コミックス)
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『君に届け(1)』『君に届け(2)』
『ダヴィンチ』の「ポストのだめ・ハチクロ」の特集の書店員さん推薦の部で、よしながふみの『フラワー・オブ・ライフ』が複数票を集めてゐたが、その武田さんの初登場時の設定をそのまゝ引き継いで伸ばしたやうな主人公・黒沼爽子さん(高校1年生15歳)がヒロイン。黒ストレート長髪で、あだ名は「貞子」。でも、最初から大層ポジティヴな性格で、周囲の学友諸君に不気味がられても――貞子と3秒以上眼があふと呪はれるとかいふ風聞が流布してたりする――積極果敢に関はらうとする点が、武田さんとは異なってゐる。そんな黒沼さん、学友諸君に避けられることをあたりまへと受け止めてゐたが、「冗談みたいに爽やかな」同級生の風早(かぜはや)翔太くんだけは、黒沼さんにふつうに接してくれ、それがゆゑに、惹かれていってしまふ――彼の良い影響で、自分が変はってきたと思ってゐる――のであった。ところが、風早くんこそ、黒沼さんに惹かれてゐて……。 じつは、この作品も、店員さん票を集めてゐるのであった。はたしてブレイクするのか?? にしても、「漫画みたい」にピュアな黒沼さんは、ヴィジュアル的にも――些かツリ目なとことか――大変可愛い。そして、「漫画みたい」に爽やかな風早くんは、爽やかすぎてキャラが薄いが、頗るいゝヤツだ――だって、野良子犬拾って育てんだぜ! 漫画かよッ! って漫画だよッ! 作者は意図的にやってるフシがあるが――。しかし、脇キャラ好きの小生としては、細目の乱暴者ちづ――吉田千鶴子さん。涙もろく熱い義理人情仁義の姐御――や、イケイケ風別嬪やのちん――矢野あやねさん。冷静かつ頼もしい姐御――のお二人が一等贔屓。平野さんと遠藤さんにもご活躍願ひたい。そして、中学から大人気だった風早くんだけに、フランス人形みたいなカイラシ女の子の、なにやら暗躍しさうな示唆が。ちなみに、別マで連載中だ。 | | |
★2006.11.09(Jeu)06:10
アート再教育
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昨日の1回生向けのフランス語の授業で使ってる教科書――えゝ、われわれの作ったやつです。ハハ――に、フランス絵画と作者を結びつける息抜きクイズ・コーナーがあるのだが、やってみて吃驚。ゴッホの絵が判らんか? モネの「印象・日の出」も? ルノアールすら? クイズの前に「日本からのお客さんで大人気のオルセーやアムスのゴッホ美術館」とか云ふたワタクシがアホみたいである。 いやはや、かつてE先生が、「サブ・カル、サブ・カルとか云ふ前に、ハイ・カルチャーを全然知らないんですよ、ヤバイですよね!」と仰有ってたのを想ひ出す。つまり、「サブ」はもはや「メイン」なのであり、かつての「メイン」は、すでに「オフ」状態なのだ。たしかにヤバイ。道理で「フランス美術で卒論やりたい」と云ふ子がをらんわけである。まったく、ニッポンのアート教育はどうなってをることか! てふわけで、展覧会のごとき受動的ではない、もっと能動的で強引なアート教育を展開すべきであらう。初等・中等教育におけるアート教育――当然、舞台藝術も含むぞ――には当然チカラをいれてもらふとともに、ご家庭のパパ、ママン、パピー、マミーにも、万歳や獅子舞の門付けのごとくご家庭まで押しかけて「アート再教育」を強制的に施し――アート検定を実施、減点10ポイントで親の権威停止、減点20ポイントで親の免許取上だ――、子どもたちのアート環境改善をはかる施策を強く求めてゆきたい所存である。 もちろん、フランス語履修者確保につなげたいのさ。 | | |
★2006.11.07(Mar)07:09
ドミニク・ボナ『黒衣の女 ベルト・モリゾ』(藤原書店)
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『黒衣の女 ベルト・モリゾ――1841-95』
オルセー美術館収蔵のこのマネ Édouard Manet の絵を、どこかで一度は眼にしたことがあるにちがひない。だが、この絵が Berthe Morisot au bouquet de violettes [ベルト・モリゾ・オ・ブーケ・ドゥ・ヴィヨレット](菫の花束をつけたベルト・モリゾ)てふタイトルを持ち、その絵のモデルが、19世紀後半の有名な印象派画家だったことはあまり知られてゐない。 19世紀ブルジョワ家庭――父親は県知事だった――の三姉妹は、ブルジョワお嬢さまの常として、いづれもお稽古ごとにピアノや絵画を習ふ。が、この三姉妹は、絵画に並々ならぬ才能を示した。次女と三女は、コロー Camille Corot に師事し、サロン(官展)に入選し、マネに出会ふ。このとき、末っ子のベルトは、27歳。以後、マネはベルトをモデルに数々の絵を描き、ベルトはマネを尊敬と憧憬の対象とした。 姉二人と異なり、なかなか結婚しなかったベルト――なぜか? 本書は勿論、マネへの思慕のせゐとする。常時、その周りに女性の姿が絶えなかったマネは、とっくに既婚者であった――は、漸く33歳で、マネの弟、ウジェーヌ・マネ Eugène Manet ――彼も亦画家であった――と結婚。一人娘のジュリー Julie をまうける。……。 同時代の多くの藝術家たち――詩人マラルメは、ジュリーの後見人に指名されてゐる――と親交を持ち、自身も知られた画家であったベルトの生涯が、淡々と描かれてゆく。著者の Dominique Bona は文藝評論家であり、小説家であり、シュテファン・ツヴァイクの伝記作家でもある。手慣れたものだ。訳者の九州産業大学教授は、「物語的現在」を忠実に訳し、淡々さをよく移し得てゐる。 なほ、娘ジュリー――父母に倣ひ、彼女も亦、絵を描いた――は、母の仲間であったドガ Edgar Degas の紹介で、ドガの生涯ただ一人の弟子であったエルネスト・ルアールと結婚するが、父母の没後となる1900年の結婚式は、もう一組のカップル、すなはち、ジュリーが母の没後一緒に暮らし、成長した従姉ジャニーと、エルネストの友人であるポール・ヴァレリー――勿論、あの Valéry だ。エルネストが紹介する以外に、ふたりが知りあふ術はなからう――も加はった合同挙式であった。 仏文のひとは、335で disponible。 | | |
★2006.11.06(Lun)06:26
罐詰
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昨日は、久々に一歩も外へ出ず。ひたすら仕事をこなす軟禁状態であった。しかし、単純作業にあらざる仕事は、ぼちぼちとしか進まぬのがツライところ。この間にも、to do は降り積もってゆくのであった……。 | | |
★2006.11.06(Lun)06:04
及川健二『沸騰するフランス』(花伝社)
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『沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き』
高校生の折から目立ってゐたらしいまだ20代の著者――早稲田の院生でもある――によるホットなフランス政治レポート。取材された内容の一部は、すでに『週刊金曜日』や『論座』などで記事になってゐるが、やはり柱の一つであるインタヴューに価値があらう――たとへ、公式発表やタテマヘの羅列でしかなくとも――。「極右」の国民戦線 (Front National) のジャン=マリ・ルペン Jean-Marie LE PEN、フランスのための運動 (Mouvement pour la France) のフィリップ・ド・ヴィリエ Philippe de VILLIERS――子爵なので、本名はもっと長い――、社会党 (Parti Socialiste) のセゴレーヌ・ロワイヤル Ségolène ROYAL――ちゃんとしたインタヴュー形式の記事になってないが――、故ミッテラン大統領夫人のダニエル・ミッテラン Danielle MITTERRAND、五月革命の立役者にして緑の党のダニエル・コーン=ベンディット Daniel COHN-BENDIT の発言を、日本語で読める機会てふのはなかなかあるまい。民衆/人民運動連合 (Union pour un mouvement populaire) ――定訳は「国民運動連合」だが、それでは national との差が出えへん――のニコラ・サルコジ Nicolas SARKOZY にはインタヴューできなかったのかしらん。他にも、国民戦線No.2のブリュノー・ゴルニッシュ Bruno GOLLNISCH や緑の党 (Vert) の大統領候補だったノエル・マメールNoël MAMÈRE にもインタヴューしてゐて貴重だ。 しかし、この人の「ジャンマリー=ルペン」とか「ブルノー=ゴルニッシュ」てな、中黒を用ゐないスタンダードでない表記法はやめてもらひたいぞ。 仏文の人は、335で disponible。 | | |
★2006.11.05(Dim)06:52
伊坂幸太郎『陽気なギャングの日常と襲撃』(祥伝社 NON・NOVEL)
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『陽気なギャングの日常と襲撃』
映画化された『陽気なギャングが地球を回す』の続篇。電子テクスト版で――しかも、携帯電話に入れて――読んだ前作は、小生にとっての伊坂作品初体験であったが、大層関心したものであった。チームを組んで悪事を働くてふ設定の作品はいろいろあるが――たとへば小林信彦の『紳士同盟』シリーズ――、伊坂作品はキャラ立ち度が強い点、テレビ・漫画世代の作品なのだなあと感ずる。 | | |
★2006.11.04(Sam)04:02
銀杏祭にオーロラ
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| 銀杏祭。カオス内ユニット「鯖街道」を観る。9月のテント建てのときに ça va ?/! について訊いてきた理由がやっと判然した。なかなかに盛況。 広報ホムペ委員として、恒例の写真撮り。模擬店通りを半周ほどしたところで、理学部屋台に捕まる。なぜか仏文の4回生が迷ひこんでゐて、その隣には、先の教務部長唐沢先生(物理学科)。かつて1度あびこでカラオケやったことを持ち出し、また是非にと申される。前には物質科学の木下先生。そして空手部の大師匠――何しろ、大阪市立大学空手部を指導して42年ださうで――。そもそも屋台前で日本酒片手に通行人を盛んに勧誘なすってゐるご年配は、御歳74歳の元理学部の先生であった。この屋台、理学部勢のたまり場になってゐるらしく、続々と理学部の人が顔をお出しになるが、最後は、学友会の小松代表幹事(物理学科OB先生)と学友会広報のKさん(数学科OG)。教育促進支援機構は学友会から運営交付金を頂戴してゐる関係で、前々から存じ上げてゐる小松先生であったが、なにやらCDを抱へていらっしゃる。見れば、文学部OGだといふ歌手AREA [エリア] のCD。学友会がらみで対面し、CD なんぼか購入した由。へえとか云ふてると、「先生、文学部やから、これあげる」と、進呈された。じつは、1号館の壁にポスターが貼ってあって、文学部OGと書いてあるがゆゑに、先から少々気にはなってゐたのだが、CD に書かれた本名のサインを見て吃驚。かつての教へ子であった。数年前に会ったときには、ストリート・ダンサーやってると云ふてたが、にしても、ジャケット写真では全然わかんなかったのだ。 その後、小松先生が、工学部の南先生が8号館横のプレハブ実験室で人工オーロラの実験してるから見にゆかうと提案、一同ぞろぞろと屋台を離れ、実験室へ。応対してくれた院生君が、カオスOBのU君であったのにも驚いたが、こんなとこにオーロラの実験室があったのにも驚き。小松代表幹事、南先生に、一行に加はってゐた理学部OB&OGご夫妻の小学生のお嬢さんにわかるやう、オーロラの説明をせよと迫り、南先生、苦労しながらご説明なすってゐたが、一目瞭然。なるほど、江ノ島のプールに設置されるだけはある。このまゝ学祭の出し物にすれば良いのに。 オーロラ見学終了ののち、理学部組は再び屋台へ。途中で、シンクロ銀メダリスト小林さんが小松先生に発見され、キッチリ屋台へ捕捉されていったのであった。
(写真上:鯖街道の客出し。写真中:人工オーロラ。人影は74歳先生。写真下:何やら踊り狂ふ企画)
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★2006.11.02(Jeu)07:35
死者の日
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★2006.11.02(Jeu)07:04
遠藤浩輝『EDEN』15(講談社アフタヌーンKC)
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★2006.11.01(Mer)07:23
万聖節 Toussaint
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去年はハロウィンについて書いたが、その翌日である11/1はフランス語の Toussaint [トゥサン]。「諸聖人の日」とも訳されるが、むしろ「全聖人の日」であり、「万聖節」の方が正しい。 文字どほり、キリスト教の聖人たちを祀った日であり、すでにフランク王国の時代には成立してゐたらしい。元来は、あの世から祖先の霊を迎へ送り返す「西洋お盆」であるが、キリスト教が11/1を「万聖節」としたせゐで、この「死者の日」(Fête des morts [フェット・デ・モール])は、翌11/2にスライドさせられてしまった。それでも、古来の風習は根強く、現在、フランスでこの11/1が祝日なのは、実質的にこの日が「お盆」だからであらう。 フランスではお墓参りをして菊の花を供へることになってゐるが、これは18世紀くらゐからの新しい習慣らしい。ちなみに、この半年前の5/1は欧州古来の「春の祭り」――つまり、11/1は「冬開始の祭り」なわけだ――であり、フランスでは愛する人に鈴蘭を贈る日と化してゐるが、これもそんなに古くない風習のはずである。 ところで、『ロベール大辞典』によると、Toussaint は、12世紀の文献に Toz sainz として現はれるらしいが、-z = -t+s なので、tout(全)も saint(聖人)も複数(目的格)形――もしくは単数(主格)形――であったわけだが、なぜか、現在に到る途中で、saint の方からは -s が落ちてしまってゐる。なぜだ? | | |
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