★2006.10.30(Lun)05:13
日本フランス語フランス文学会・岡大編
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| てふわけで、岡山大学。初日午後から研究発表と懇親会、二日目は特別発表とワークショップ群(なんか、普通のシンポジウム群と化しつゝあるが)、総会てふプログラムが定着したやうだ。秋季大会は地方持ち回りなので、excursion に出る人も少なからぬので、その辺にも配慮されたやうに見えるが、土曜の午前中は各種委員会、日曜は――月曜からの仕事に備へて――その日のうちに帰れるやうにてふことから決まった時間割である。 初日の夜には、W大のKS先生のマシンガン・トークを真横で拝聴する栄に浴した。噂にたがはぬお喋り番長である。ヲッチャン丸出しでもあったが。 (山の麓に建つ岡山大学。部活中?)
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★2006.10.26(Jeu)06:30
近況
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to do が溜まりに溜まって来ましたぜ。教科書、辞書、名簿、時間割、エト・セテラ……。流石にヤバイぜ。 | | |
★2006.10.21(Sam)06:07
矢作俊彦『ららら科學の子』(文春文庫)
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『ららら科學の子』
2003年出版の単行本が、早くも文庫化。しかも帯によると「映画化決定」らしいが、mixiの矢作コミュの情報では、まだ結論が出てゐないらしい。えゝんかいな、書いてまうて。 30年前にとある事情から中国の山村に「脱出」した主人公が、日本に戻ってきて、さまざまの人々と出会ひ、己を確認するに致るてふのが、メイン・ストーリー。現代日本を照射するのに、この30年間の変遷をまったく知らない浦島太郎的主人公を設定したのがウマい。小生的には、鍾愛の矢作作品のなかでも、五指に這入る贔屓作。主人公と交差する女子高生――『気分はもう戦争2.1』からの影響か――はヲッサンのメールヒェン的なとこもあるが、それも含めてオッケーだ。なにしろ小生もヲッサンなのである。 単行本ではカヴァーに穴が開いてゐて鉄腕アトムが覗けていたのだが、流石に文庫では、アトムも含めた印刷になってゐる。 | | |
★2006.10.21(Sam)01:00
再び決戦は金曜日――un autre vendredi――
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昨日のワタクシ。
10:00■会議。下準備をして臨むも、委員長現はれず。最後まで。失念なさってゐたらしい。しかたないので、他の委員と相談。 12:15■教室会議。時間切れで、再試合に。 13:00■教育促進支援機構教育支援チームによる「先輩学生によるコース・ガイダンス」へ。仕切りはM1の諸君。よくやってくれてゐる。よろづ感激屋さんの教育チームの教員リーダーI先生は大感激。その後の経過は見届けられず、教授会へ。 13:30■教授会。来年度の非常勤コマ数、予算がらみで揉める。おかげで、出ねばならん会議がひとつ増えた。大学院入試関連の審議事項、それなりに意見続出。あと、昇任人事の選考委員会の投開票に時間が。 17:45■教授会終了。博士論文審査会には出席しないので、研究室へ戻って授業の準備。 18:30■教室会議の続篇。ぼくは配布プリントの印刷があるので、途中抜け。 19:10■2部事務室で印刷。旧式の輪転機だったゆゑ、70人分印刷に25分。 19:40■授業「対照言語論」。格システムと名詞句階層のハナシ。次回は他動性についての予定。 21:20■研究室帰還。残務処理。 21:56■研究室退室。
昼飯喰へたのでヨシとしよう。でも、来週は論文の中間発表会があるしなあ。 | | |
★2006.10.21(Sam)05:37
二ノ宮知子『のだめカンタービレ』16(講談社コミックスKiss)
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『のだめカンタービレ #16 (16)』
千秋くん、ルー・マルレ・オケで奮闘努力の甲斐あって。ターニャも成長。のだめの出番は控へ目。 ところで、「ブラン劇場」Théâtre Blanc (白座)ってのが出てくるけど、モデルは Théâtre du Nord-Ouest [テアトル・デュ・ノール・ウエスト](北東座)ではあるまいか。 | | |
★2006.10.19(Jeu)08:43
こまねこ&Solita
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★2006.10.19(Jeu)07:46
第三書房編『朗読CD フランス語で聴こう「星の王子さま」』(第三書房)
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『朗読CD フランス語で聴こう「星の王子さま」』
第三書房は、別途、小島先生訳の対訳本『星の王子さま』を出してゐるが、この本は、王子さま全篇の原文朗読CD1と、サン=テグジュペリのインタヴューや、ジャン・ルノワール監督との対談中、アルコールの這入ったサン・テクスが歌を一節うたひだす録音を収めたCD2、および後者のテクストを収録したもの。サン・テクスの肉声は、下の野崎先生も聴いたらしく、その声に合ふやうな飜訳文体云々と書いてゐる。 肝腎のサン・テクスの声は、体格の良さを窺はせる深みある声であった。 | | |
★2006.10.18(Mer)03:58
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『ちいさな王子』[野崎歓](光文社古典新訳文庫)
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『ちいさな王子』
飜訳権の切れた名作の新訳をどんどん出さうてふ光文社の古典新訳文庫第一弾の一冊。Jean=Philippe Toussaint [ジャン=フィリップ・トゥサン]作品の飜訳で一躍名を挙げた野崎東大助教授の、タイトルから文体に到るまで、拘りの一品である。もっとも、「おとぎ話調」を採らないと宣言して、工夫をこらしたはずの文体だが、地の文はともかく、台詞のところは、どうしても内藤濯大先生訳の呪縛から逃れられてゐない感じだ。 じつは、かつてぼくも一部を訳して芝居――1994年の『秘密の街角』だ――に使ったことがあり、飜訳には並々ならぬ関心があるのだが、最近は、これはやはり単独の作品としてではなく、『人間の大地』や『戦う操縦士』と同じ調子で訳すべきではないかと感じてゐる。ぼくのなかでは、ある意味「三部作」なのだ。てふわけで、「王子さま」しか読んだことのない向きは、是非とも両作品を読まれたし。 | | |
★2006.10.18(Mer)03:54
ロラン・バルト『ラシーヌ論』[渡辺守章](みすず書房)
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『ラシーヌ論』
17世紀フランスの大悲劇作家ジャン・ラシーヌ (1639-1699 Jean Baptiste Racine) は、謂はゞ「フランスのシェイクスピア」的ビッグ・ネームであるが、この「国民的(劇)作家」ラシーヌをネタに、かの Roland Barthes が痛快な論を張ったのがこの Sur Racine であり、公にするや、案の定、保守派の攻撃を受けることになった曰く付きの書である。このたび、漸く、自ら劇団を率ゐ、ラシーヌの飜訳・上演歴もある演劇学者・渡辺守章東大名誉教授の訳で刊行の運びとなった。 かつて学生時代に小西先生の授業で原文の抜粋を読んだをり、先生が「渡辺守章が訳すことになってんねんけど、全然出ぇへんねん」と云ふてたヤツである。後書きによると、70年代から計画されてたさうだから、じつに30余年越しの計画実現ではあった。 仏文のひとは、335で disponible。 | | |
★2006.10.18(Mer)03:54
ピエール・ド・マリヴォー・佐藤実枝編訳『マリヴォー戯曲選集』(早稲田大学出版部)
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『マリヴォー戯曲選集』
その独特さのあまり marivaudage [マリヴォダージュ](マリヴォー流)と呼ばれた文体を駆使した18世紀フランスの大劇作家――アカデミー・フランセーズの会員でもあった――マリヴォー (1688-1763 Pierre Carlet de Chamblain de Marivaux) の作品から6篇を早稲田大学名誉教授の佐藤実枝先生が訳し、詳細な解説――本書全体の1/3を占めてゐる――を付したもの。 やはり芝居も書いたヴォルテールが、マリヴォーにたいして、" Style moins recherché, des sujets plus nobles"(より簡素な文体、より高貴なテーマ)を求め、いろいろ攻撃したとされるが、18、19世紀には、気に入らない作家・芝居にたいする直接の妨害作戦が一般化してゐた。すなはち、芝居の初日に劇場に乗り込んで、大声で野次り倒すのである。乗り込まれる側は、対抗策として、匿名公演や、予告なしの不意打ち上演をしたらしい。ちなみに、後者はマリヴォーの発明ださうだ。マリヴォーとて、左様な苦労をしてゐたのである。 仏文のひとは、335で disponible。 | | |
★2006.10.14(Sam)01:26
粟岳高弘『鈴木式電磁気的国土拡張機』(コスミック出版 Kyun Comics)
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『鈴木式電磁気的国土拡張機』
「80年代で田舎で夏」をコンセプトに、ヘンな生き物と制服姿の女の子ばかり――男の子も出てはくるが――を粟岳高弘が描く。のんびりしたSF。 | | |
★2006.10.14(Sam)01:05
決戦は金曜日―― un vendredi
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昨日のワタクシ。
10:00■会議。事前準備をして赴くも、委員長の都合で30分遅れて開始。12:30、時間切れだが、検討事項が積み残ったので、17時に再開することに。 12:40■コース決定ガイダンスに顔出し。途中、資料の刷り増しをしに走る。仏言文コース、第一巡目は0名。隣の独文が結構集めてゐるのが羨ましい。ガイダンス担当の寺井先生がどんなことを話すのかと偵察に。表文、英文、社学が頗る多し。あと、言情もかなり集めてゐた。英語系強し。取り敢へず、当面の敵は表文、英文やなあ。何か良い作戦はないものか。 13:50■教育促進支援機構の研究チームが企画した「院生合同研究会」に顔を出しに経済学部棟会議室へ。広川ゼミが参入してるらしく、日本史院生率高し。てふか、部屋に這入ると、あーさの発表について広川先生がバリバリ質問してるとこであった。ふたりめのマリエの発表のイントロのあたりで已むなく脱出。 14:30■臨時教室会議。何やらぐだぐだのうちに、ぼくのみ時間切れ。 15:00■将来構想委員会。大学院入試改革についてアレコレ議論。 17:00■午前中の続篇。あとは委員長一任。 18:00■大周章てゞ授業の準備。途中、教室代表と話しつゝ、別件の電話でも議論。 19:40■専門の授業「対照言語論」2回目。言語類型論のハナシで、丁度準備したところまで消化してタイム・アップ。 21:20■研究室へ帰還。 21:55■退出。昼メシ喰ふ暇なし。そのぶん贅肉が落ちてくれゝば良いのだが。
しかし、金曜日って、毎週こんな感じになりさうな、イヤな予感が……。 | | |
★2006.10.14(Sam)00:53
大沢在昌『狼花 新宿鮫IX』(光文社)
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『狼花 新宿鮫IX』
前作――『風化水脈』。地味な人情話なので一部にはウケが悪いが、その真壁をめぐるハナシこそすばらしい傑作――以来、5年ぶりの新宿鮫シリーズ。先月出てたらしいが、まったく気づかず。「大極宮」(たいきょくぐう)の二人の新刊が相次いで出たことになる。読者サーヴィス心旺盛な大沢在昌は、宣伝取材で、ずいぶんあれこれ大盤振る舞ひしてくれてゐるが、到頭、ロベルト村上こと仙田勝、もしくは深見と、鮫島と同期のキャリア香田警視正とが「消える」らしいのだ。えー、マヂでー。 しかし、いったい、いつ読めるのだらう。 | | |
★2006.10.14(Sam)00:46
瀧波ユカリ『臨死!! 江古田ちゃん』(講談社アフタヌーンKC)
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『臨死!! 江古田ちゃん 1』
すでに相当評判となってゐる「江古田ちゃん」を漸く購入。冒頭の2コマ目で早くも大爆笑。オリモノって……。 にしても、まだ24歳なのだよな、江古田ちゃん。そして「猛禽」てふことばは流行ったりするのか? | | |
★2006.10.14(Sam)00:41
夢花李『同細胞生物。』(大洋図書 CRAFT COMISC)
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『同細胞生物。』
「心の細胞組織」が同じカタチをしてゐる同士が、ふとしたことからそれを知り、当然のごとく惹かれあって……。 BLの王道集。 | | |
★2006.10.14(Sam)00:32
古屋兎丸『彼女を守る51の方法』(BUNCH COMICS 新潮社)
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★2006.10.14(Sam)00:17
西原理恵子『パーマネント野ばら』(新潮社)
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『パーマネント野ばら』
こちらは『新潮45』に連載の漫画。山間のハウス農家のばあさんがたのパンチパーマを一手に引き受ける美容室に、子連れで出戻ったなおこのおハナシ。等身が高く描かれてゐて、他の女性主人公と一線を画すつもりのやうであったが、途中、フィリピンパブの経営者みっちゃんの出番が増えるあたりから、いつものテイストに。四十路を迎へる女性への賛歌。 | | |
★2006.10.14(Sam)00:12
西原理恵子『いけちゃんとぼく』(角川書店)
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『いけちゃんとぼく』
「絵本作家になりたかった」らしい西原理恵子の「初絵本」。『野生時代』に連載されてゐたものなので、書き下ろしではない。 成長してゆく男の子の日常と、恋のハナシ。いけちゃんが何者かは、最後にあかされる。 | | |
★2006.10.09(Lun)03:50
京極夏彦『邪魅の雫』(講談社ノベルス)
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『邪魅の雫』
京極堂シリーズ最新刊。ヴォリュームあるなあ。いつ読み切れるのかしらん。 | | |
★2006.10.09(Lun)03:04
日本フランス語教育学会
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| 奇跡的に7時前に起床。今年の秋の大会は京大である。8時に出て、9時45分に到着。CALLがらみの研究発表の司会を3件こなす。フロアからの質問がたくさん出たので、司会者からの質問はせずに済んだ。その後、京大・西山さんの contrat d'accueil et d'intégration [コントラ・ダクェィユ・エ・ダンテグラスィヨン](受け入れ統合契約)についての発表もふくめ、6件の発表、報告を聞いたが、いづれも興味深いものであった。 じつは教育学会は昨日から行なはれてをり、懇親会も昨夜。完全な出遅れであるが、この春まで理事をやってた関係で、いろいろな先生に仲良くしてもらってゐる。ありがたいことだ。そんなわけで、久闊を叙しあったりすることもなく、いつの間にか中へ。 出版社のブースでは、白水社のすーちゃん、朝日の河合さんらと雑談。11月末の仏文学会関西支部大会での再会を約す。撤収は16時過ぎ。
(昨日の北野家、伏見ビル、芝川ビル(申請中)も登録文化財であったが、流石京大、登録文化財がゴロゴロしてゐる。ちなみに大阪市立大学1号館も登録文化財。緑青色のプレートが目印だ)
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★2006.10.08(Dim)02:03
船場建築祭・本番
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| 8時入りで環境音楽CDセッティングやら、配線養生やら、受付設営やら。ぼくは、客の誘導やら何やら諸々係。もちろん、腰には道具袋とガムテ、養生テ、コンベックス(メジャーのこと。使はなかったけど)を標準装備Bタイプである。 開場の10時には、すでにお客さんが。そして、11時、1回目のパフォーマンス。ダンス冒頭と最終部の地下室での照明係をインプロヴィってやったが、なにしろ一般室内灯用の調光スイッチなので、一部無茶苦茶に。とまれ、パフォーマンスは無事終了。反省点は17時の部に活かされた。 お客さんも延べ260名ほどがご来場。昔近所で働いてた人から、前を通るたびに中が気になってた人、近代建築マニアにいたるまで、さまざまであったが、年配のご夫婦が目立ったやうだ。 ちなみに、芝川ビルのオーナーは百又株式会社――「百足屋又右衛門」の略か?――だが、この親会社は千島土地株式会社。芝川社長は、かの名村造船跡地を改装、巨費を投じて Black Chamber を作った人であった。とりあへず、千島の社員のFさんに今後も宜しうにと云ふておく。 17時の部も無事終了。パフォーマンスは約1時間なので、地下室で佐久間さん演ずる鬼が棺――に見立てた、流し台――にすっぽり嵌って終演ののち、即バラシ開始。その後、1階で打ち上げの後、余りまくったワインを抱へ、今日も北野家へ。最後は、アートカフェD仲間の海老根先生、増田先生とともに――杉浦さんはまたも置き去りだ――心斎橋の一風堂で「博多ラーメン」――小倉育ちの増田さんは、これで安ければ博多ラーメンと認めてもよいと云ひながら喰ってた――を食し、ぼくのみ撤収。帰宅は4時。翌朝10時からの仏語教育学会で司会をせねばならんのだが、果たして起きられるのか、大いなる不安を抱へつゝ、知らぬ間に沈没。
(写真1:芝川社長のお祖父さま又四郎氏が芝川邸を改築、女学校――校長には、庄野貞二、潤三兄弟のお父さんである帝塚山学院初代院長の庄野貞一が迎へられた――として建てられた芝川ビル。1927年竣工。現在の朝ドラのロケに使はれてゐるさうな) (写真2:ビル中を動き回るダンサー。ラス前はエントランスに閉ぢ込もってのダンス) (写真3:芝川ビル入り口横の特等室。又四郎氏の趣味のマヤ・インカ風味が。現在は株式会社モアイさんが入居) (写真4:伏見ビル会場では、アートカフェD仲間の花村先生のインスタレーションが。曰く「目立たないインスタレーション」。苔とパイプを設置してゐたが、ほんとに古ビルと一体化してゐた。但し、撤収に難渋)
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★2006.10.07(Sam)07:11
船場建築祭・仕込み
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| 芝居が仕事の一部になりつゝあることの現はれである船場アートカフェが、御堂筋パレード前夜祭として企画した「船場建築祭」。「大大阪」と云はれた昭和初期に建設され、なほ現役のビルや住居を舞台に、パフォーマンスやらインスタレーションやら展覧会やらを行なひつゝ、都市の創造・再生をめざすてふイヴェント。 で、昨日、ぼくは、芝川ビルの「音楽インスタレーション&コンサート・ダンス」――地理の森先生作曲のオペラ「豊後掾」は本邦初公開。ダンスはお馴染みジャワ舞踏家佐久間新さんとバリ舞踏家の大西由希子さん――の現場監督として、またも教授会を脱走して仕込み。途中、二部2限目の授業――「対照言語論」。他にとる授業が少ないせゐか、70名もがご来場――のため、途中抜けして、23時まで。 その後、展示品の番人として泊まり込みのアートカフェD仲間・杉浦先生を激励しに北野家へゆき、差し入れに来てたアートカフェD仲間・山口先生とワークショップ・デザイナーはせがわみづほさんらと呑みつゝ、贔屓の山口晃作品を間近に堪能。これは役得である。余談だが、その場の5名の中で、小生、最年長であった。イヤハヤ。 皆は先に撤収したので、杉浦さんととりとめもないハナシを続け、最後は沈没した杉浦さんを俊寛よろしく置き去りにして、1時に退散。 さて、船場建築祭本番。本日10時より、各所にて開催。芝川ビルのパフォーマンスは、11時と17時から。乞ご来場。
(北野家にて。深夜の秘密展覧会)
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★2006.10.05(Jeu)06:05
Name Voyager
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★2006.10.03(Mar)09:47
スティーヴン・ミズン『歌うネアンデルタール――音楽と言語から見るヒトの進化――』[熊谷淳子](早川書房)
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『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』
下のレイの論を参考に、かつてニンゲンさまのご先祖さまの言語は「歌」だったてふ論を中心にすゑ、考古人類学、心理学、脳生理学、そしてもちろん言語学を駆使して言語と音楽の起源について語った本。言語の音楽起源説といへば J.-J. ルソーであるが、ミズンは、原初の言語が Hmmmmm(Holistic Multi-Modal Manipulative Musical Mimetic)、すなはち、「全体的・多様式的・操作的・音楽的・模倣的」な一連の音であったとする。それを補ふ形で、20万年ほど前――ネアンデルタールが現はれたころ――に「分節的・複合的」言語が生じ、長い間をかけて、Hmmmmm にとって代はってゆき、Hmmmmm の方は音楽に――さらには、赤ちゃんに話しかける「アババババ」みたいなことば(IDS: Infant Directed Speech 赤子指向発話)――痕跡をとどめるとする。まあ、細部はベンキョーになります。 Steven Mithen は、イギリスのレディング大学の初期先史学教授。訳者は大阪教育大の障害児教育を出たのち、コロラド大の修士で「オージオロジー」Audiology(聴覚科学)を学んだ翻訳家。 | | |
★2006.10.03(Mar)09:28
Alison WRAY ed.Transition to Language (Oxford Linguistics), Oxford University Press
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The Transition to Language (Oxford Linguistics)
下の岡ノ谷先生も寄稿してゐる言語進化の論集。編者は、「全体的原言語論」(Theory of Holistic Protolanguage) の アリソン・レイ。彼女は、英国カーディフ大学の教授で、言語進化論のみならず、Formulaic sequences(定型表現/決まりパタン)についても精力的に仕事をしてゐる。彼女の論は、原初的言語は、動物の鳴き声の如き、非分節的で非システマティックなものだったてふこと。すなはち、あるイヴェント(出来事)を表現するときになにやら発話したとしても、別の機会に同じやうなイヴェントを表現するのに同じ発話を用ゐるとは限らないてふことである。要するに、「その場的・一時的」なのだ。さらに、たとへば、あるイヴェントについて tebima と発話され、べつのイヴェントについて kumapi と発話されたとして、その共通する音 ma が抽出され、それが、両イヴェントに共通の要素を「指示してゐる」と看做されるやうになり、つひに「単語」化していったてふわけである。じっさい、コンピュータ・シミュレーションでは、最初は各自が勝手に「オレことば」を発話してゐても、数世代たつと安定し、「共同体ことば」の成立することが確かめられてゐるやうだ。 また、赤ちゃんも、いろいろな音を聴くうちに、連続した音から、一定の固まりを「聞き分ける」ことが可能になるらしい。これはつまり、チョムスキーが、プラトンの「刺戟の貧困」を引き合ひに出して、「誕生から12ヶ月前後で、少ないインプット・データから多様な言語システムを構築できるはずがない」てふ問題提起をし、そこから「言語システムは生得的なユニットである」てふ命題を作り上げた苦労が水の泡、てふことでもある。なぜなら、ニンゲンさまは、胎児の時分から聞き続けてゐる連続した音要素から、どこが「単語」成分であるかを、切り分けて認知することが充分可能だったからだ。生得的なのは「普遍文法」(Universal Grammar) ではなく、「統計処理・抽出能力」だったわけである。 この本の中で、レイは "Dual Processing in Protolanguage : Performance without Competence" てふ論文を書いてゐるが、これはもちろん、performance(言語運用)の基礎に competence(言語能力)があるとするチョムスキーへのアンチであらう。 さて、下の岡ノ谷論と併せて思ふのは、現在の言語においても「文法」と「意味」は別物であり、発話時に「たまたま/その場的に」結び付いてゐるだけではないか、てふことである。つまり、「意味」とは常に「談話」――1つ以上のセンテンスからなる――てふ一連の音連続(シークェンス)を単位としてをり、それは「分析的」ではなく「全体的」なものなのだ。 もちろん、だからと云ふて「文法」をベンキョーしないと、性淘汰されちゃふぞ。 | | |
★2006.10.03(Mar)08:10
岡ノ谷一夫『小鳥の歌からヒトの言葉へ』岩波科学ライブラリー92(岩波書店)
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『小鳥の歌からヒトの言葉へ』
十姉妹に江戸初期に日本で改良発明された鳥で、雄はたいさう複雑な鳴き方をするが、それは、江戸時代、外来種に攻撃されることもなく、安穏と愛玩鳥の生活をおくってきたためらしい。さらに、複雑な鳴き方をする雄は、認知処理能力が高く、そのため天敵から逃れる確率も高いであらうてふ雌の「思惑」が、そのやうな雄と積極的にセックスをすることで、子孫(遺伝子?)の存続率を高めようとした結果、複雑な鳴き方をする雄の子孫ばかりとなったさうな。ちなみに、十姉妹の歌は後天的な学習のタマモノなので、複雑な鳴き方の親を持つ子供もまた、複雑な鳴き方をすることになる。 そもそも、雌雄のある生物において、一般的に雌は、性交・出産はハイ・コスト、ハイ・リスクゆゑ、ハイ・リターンを求めるのださうだ。これはダーウィンの所謂「性淘汰」説であるが、なるほどさうだと云はれゝば、さうなのかもしれない。じっさい、複雑な鳴き方をする雄の前では、雌の出卵率が上昇するといふ。ニンゲンさまでも、別嬪さんとイケメンばかりが好まれれば、子孫はみな別嬪さんとイケメンばかりになるはずである。尤も、ニンゲンの雌の選択基準はさう単簡ではないので、他の特性も生き延びてゐるやうだが。 さて、岡ノ谷先生の論は、このパタンがニンゲンさまの言語にも当てはまるのではないかてふものだ。すなはち、ニンゲンさまにおいても、原初の言語(protolanguage)は一連の歌の如きものであり、そこから「文法」が性淘汰によって発展する。一方、「意味」を担ふパートも別途発達をみる。そして、ある時点でヒョイとひっついて現在の言語の姿となった、てふわけである。これは、「意味=単語」が最初に生まれ、次いで「文法」が発達したと考へてきた伝統的言語進化論に一石も二石も投じる論に違ひない。そのせゐか、昨今、岡ノ谷先生の名前をあちこちで見るのであった。
岡ノ谷論参考URL http://www.blwisdom.com/fseen/05/ http://www2.athome.co.jp/academy/language/lng03.html
http://sc-smn.jst.go.jp/8/bangumi.asp?i_series_code=I026904&i_renban_code=020 ↑のreal video rtsp://160.74.1.178:554/BBbangumi/200309/r20030906_1800_I026904-020.rm | | |
★2006.10.02(Lun)09:43
言語を自律学習するコンピュータ
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メモ。
http://adios.tau.ac.il/
その名も「アディオス」。コーネル大学とテルアヴィヴ大学の共同研究。予備知識皆無にも拘らず、多量のデータから規則を抽出し、発話を生成できるらしい。 holistic protolanguage 論の裏付けとも云へるかも。 | | |
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