2000年に十月(とつき)ばかり滞仏のをり、情報誌『パリスコープ』の映画星取表で多くの人が三ツ星、観客動員数も、長くランキング1位を誇ったのが Le Goût des autres [ル・グー・デ・ゾートル](他人の趣味)(邦題は『ムッシュ・カステラの恋』)で、その監督・脚本・出演が、Agnès JAOUI。才女である。元々女優さんであったが、実生活でもパートナーの Jean-Pierre BACRI と共同で戯曲――を書き、ついで映画脚本を書き、到頭監督するに到った。ちなみに、カステラ氏を演じたバークリは、今回も出演してゐる。 芝居の台本も、映画と似た雰囲気。数名が出てきて、日常の中に、何やら様々の人間関係があやなすてふもの。たとへば Cuisine et dépendances [キュイズィーヌ・エ・デパンダンス](キッチンと付属品)とか。もちろん、映画が舞台に似てゐるのだが。 本作は、有名作家とその娘をめぐる人間関係。2004年度カンヌの脚本賞受賞らしい。なほ、原題は Comme une image [コム・ユニマージュ](イメージのやうに)。バークリは作家役、ジャウイはその大ファンで出演。
カンヌの国際批評家週間大賞はじめ、かずかずの賞をゲットした作品。原題は Depuis qu'Otar est parti...(オタールが去ってから……)。グルジアに暮らすエカ婆ちゃんは、パリに出稼ぎに行った息子オタールが自慢で、彼から届く手紙を孫娘に読ませるのが日課だったが、ある日、オタールが不慮の死を遂げる。その知らせを受けとった孫娘は……。 主演は、85過ぎてからデビューした晩成の大器エステール・ゴランタン。彼女が、横浜映画祭の来賓で来日したときのドキュメンタリー・ラジオが Arte Radio[アルテ・ラディオ]のこゝからダウンロード可能だ。 ちなみに、スターリンの故郷のことばであるグルジア語は印欧語ではなく、したがってロシア語とも別系統である。
「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。」(Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo. Lee. Ta.) この有名な小説をお読みでない方は、ライブドアの株価や自民党の後継総裁なんざ知らずともよいから、是非一読されるがよい。このLとT――もちろんLoLiTaを構成する子音だ――の繰り返される冒頭――じつは、さうではないのだが――からもそのことが分明であらう。「ロリコン」から「ゴスロリ」に到るまで、数々のことばの礎となったこの亡命ロシア人の書いた小説は、疑ひなく20世紀のベスト・テンだ。 主人公のハンバート・ハンバート――これはペン・ネームである――は、スイス出身のフランコフォン。アメリカに渡ってフラ語教師をするのだが――そのため、この小説にはフラ語が頻出する――、これはロシア出身で、アメリカで教師をし、晩年スイスに住んだナボコフの裏返しでもある。 かつて新潮文庫版で読んで感服したこの小説が、ナボコフ研究の泰斗の手によって新訳された。もちろん、再感服である。訳者は、京大英文の若島正。かつて、京大将棋部に若島ありと云はしめた秀才棋士でありチェス作家であり、理学部出身で定時制高校の数学の先生になったものの、英文に這入り直してナボコフ研究者となったひとでもある。じつは、2回生のをりに英語――それもナボコフの短篇集――を教はって以来、小生にとって尊敬する師のひとりである。このクラス(LIIC[エル・ツー・シー]と云ふ名であった)では、最後の授業のときに若島先生を囲んだ写真を撮って、彼の結婚式に贈ったものだ。なほ、この写真は、当時のひとつのエピソードとともに彼の『乱視読者の冒険―奇妙キテレツ現代文学ランドク講座』てふ本に掲げられてゐる。ちなみに、そこに小生の姿はない。なぜなら、それを撮ったのが小生だからである(さらに逸話を付け加へるなら、後に、当時市大にいらした「愚人撲滅主義者」をもって任じる très dure なH先生をして、「若島さんはcleverだね」と賛嘆せしめたこともあるほどの賢者である)。 Oulipo(ポテンシャル文学工房)のひとびと同様、言語の潜在能力にも真摯なる訳者は、韻文の訳にも意を用ゐてゐる。そして、この小説をラストまで読んだあなたは、ふたゝび冒頭から読み返すことになるであらう。必ずや、さうにちがひないのである。