昨日は、恒例の「文林会」。隔年に開かれる元文学部教員の会で、所轄は庶務委員会。現役教員は――殊に、教室のOBの――お話相手として参上することになる。大体は教室代表の務めであるが、小生もなんやかんやで3度目の出席となる。場所はまつむらなので、雨中をチャリで向かったが、途中、四天王寺の石畳で前籠が崩壊、ついでに四天王寺さんの中で出口を見失ひ、遅参する羽目になってしまった。 先輩教員の方々の中で、初参加は、東京よりお越しの楜澤先生(英文)――18世紀つながりで、鈴木田さんのことをご記憶でいらした――と元学部長の増田先生(国文)――武庫女も御定年の由――。最長老は米寿の直木先生(国史)であった。栗山先生(英文)、深見先生(独文)はともに前立腺をお取りになったさうだが、深見文林会々長は、前立腺を取ると若返るのでオスヽメであると、例の調子であった。 仏文では、田辺保先生がご参加。横に坐わってお話させていただく。喜寿を迎へられる先生、一時ご病気だったせゐかお痩せではあったが、今年も3冊の本を出していらっしゃる。一冊はライフ・ワークのパスカルについてゞあるが、いやはや相変はらずのお仕事量、敬々服々のいたりである。朝カルの講座もお続けで、最近は「フランス思想の流れ」のをお話になってゝ、これがまた、盛況なのださうだ。これに関連して、日本でデリダやナンシーを語る人々に、デカルトやパスカルの教養が缺けていると仰有り、さらに raison を何と訳すかてふ宿題をいただく。「理性」なんて訳したら、その時点でアウト、さまざまの年齢層すべての腑に落ちる訳語を考へよてふわけだ。如何にも田辺先生らしい宿題であらう。皆さん、どう訳されるであらうか? | |