Théodore Géricault (テオドール・ジェリコー 1791-1824)の La Radeau de la Méduse (ラ・ラドー・ド・ラ・メデューズ メデューズ號の筏)前のお客さん達。向かふ方にはロマン主義に於けるジェリコーの後繼者 Eugène Delacroix (ウジェーヌ・ドラクロワ 1798-1863)の例の繪 | Denon (ドゥノン)ウイングの東側階段の突き當たりなるサモトラケ島出土の Nike (ニケ BC190 頃)。フランス語では Victoire de Samothrace (ヴィクトワール・ド・サモトラース)。背部にはつっかひ棒あり | 嚴重に守られたる La Gioconda (ラ・ジョコンダ 佛語にては La Joconde ラ・ジョコンド 1503-1507 頃)。モデルは Lisa Gherardini (リザ・ゲラルディーニ)らし。因みに Leonardo da Vinci (佛語にては Léonard de Vince レオナール・ド・ヴァンスィ 1452-1519)は、ネオ・プラトニック(新プラトン主義的)に人體の血脈と大地の水脈を重ねて考へて人體解剖せるらし。正に風水師 | Georges de La Tour (ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 1593-1652)の Marie-Madeleine (マリー・マドレーヌ=マグダラのマリア)。若い娘と髑髏の組み合はせは勿論 memento mori (メヽント・モーリ 死を忘る勿れ)。尚、キリストの復活・昇天後、南佛 Aix-en-Provence (エクス・アン・プロヴァンス)近くの Saint-Maximin-la-Sainte-Baume (サン・マクスィマン・ラ・サント・ボーム)に暮らし、そこで没せりとの傳承あり |
Sandro Botticelli (サンドロ・ボッティチェッリ 1445-1510)のフレスコ畫「七技藝・教養(7 arts libres)に入門を許される青年」 | この「ナポリ副王妃 Jeanne d'Aragon (ジャンヌ・ダラゴン)」(1518)は Raffaello と 弟子の Giulio Romano (ジュリオ・ロマーノ 佛語形 Jules Romain ジュール・ロマン 1499-1546)の合作。他にも共同作品多數殘せり | ルーヴルの地下に、フィリップ・オギュスト時代のルーヴルの遺跡あり。當時こゝは城壁の一部をなしぬ。8/1 に跡を辿りしときにはこゝ迄は到らず | 中世のルーヴル |
城塔 (donjon ドンジョン)の一部と堀 | テュイルリー公園の喫茶コーナーで寛ぐ親子連れ。乾燥せる日々の連續に、風吹かば、公園の中央通りにホワイトアウトせる程の濛々(もうもう)たる砂埃立てり |
前世紀よりの遺物、舊パリ環状線の土手取り崩し工事。跡地は何に? | 「白の廣場」の眞ん中の水で遊ぶ子供達 | 大温室間の噴水は意外にも停止中。その前にてバドミントンせる子供 | ボールを追ひて來たるは弟か? |
大芝生。風の無くんば最大300m迄上昇の氣球は、今年一杯營業 | 水着の子供多けれど、こゝの水は結構汚し | ボール着水。底は藻だらけ | 裸の子供達も多し |
ロング・シュート! | 先に登りて弟を待てる子。何するかと思へば、この上を歩くのなり | ベビー・シッターさん達と到着せるや、直ちに裸になり、序でにチン○○も丸出しにせしヲトコノコ | タオル被りたる子 |
丸出し小僧のお姉ちゃんはアジアチックな顏立ち | 親父のよそ見せる間に…… | この植ゑ込みは中がトンネルになりたれば、潛り込みて遊ぶ子供多し | 日向ぼっこせる人々 |
サッカー少年達 | 讀書せるお姉さん | 歸宅する子供 | サン・ルイ橋上のオルガン彈き。携帶には不向きならん |
マルチェッロと仲間達。開演 30 分前に一寸丈リハーサル | ダンシング幼兒。この後、何故か遠方へ驅け出せり | ツーリストか? | メイン・ヴォーカルがマルチェッロ |
赤子抱きたる儘上下にスイングせるお母さん | 今囘のダンサー | 例に依りて舞臺上に子供。警備員に降りるやう指示され、一度は降りたるが、直ちに復歸 | 増える子供ダンサーズ |
大人は手拍子。男の子は何故か踊らず | 夕陽のノートルダムとツーリスト達 | 小生の影 |