南佛人の嘘吐きとくれば、かの Alphonse DAUDET (アルフォンス・ドーデ 1840-1897)が Les Aventures prodigieuse de Tartarin de Tarascon [レ・ザヴァンテュール・プロディジューズ・ド・タルタラン・ド・タラスコン](タルタラン・ド・タラスコンの大冒險)の主人公、タルタラン・ド・タラスコンが直ちに想ひ起こさるも、ドーデはもう少し東方なる Nîme (ニーム)の産。尚、ガスコーニュ人とて最も高名なるは恐らく Savinien de CYRANO DE BERGERAC (サヴィニヤン・ド・シラノ・ド・ベルジュラック 1619-1655)ならんが、實は彼はパリ近郊生まれにて、南佛人に非ず。慥かに、アジャンの北方にベルジュラックてふ街はあれど、彼をネタに芝居を書ける Édmond ROSTAND (エドモン・ロスタン 1868-1918)のせゐならん(ロスタンはマルセイユ生まれの、つまり phocéen フォセアン なり)。尚、このロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』に出てくる「これ、ガスコンの青年隊」てふ文章を引きて椿實の小説を褒めたるが、誤植にて「これが、スコンの青年隊」とされちまひしは柴田練三郎。このネタは、柴練の三田(慶應大學)の後輩・安岡章太郎のエッセイ集『良友・悪友』にて用ゐられたり。又、モダン風味の小説を書いてゐた椿は、その後作家の道を斷念、家業を繼ぎたりしが、後年『椿實作品集』全一巻の刊行されぬ。實は、小生も持てるこの本の中に柴田練三郎のかの文章の再録されてあれど、誤植訂正されたらず、相變はらず「スコン的」のまゝなるには笑ひぬ。編集者は『良友・悪友』を讀まざりけるか。
もとい。扨、そのサン・トゥーアンの古書肆は、古びた建物の一階部を占有せるが、チラシに依れば、書棚の總延長 1km の由、成る程なかなかに巨大な店なり。小生、同僚たる觀光人類學者 H 先生のお土産とて、パリの遊園地、萬博がらみの圖版本を探せしあれど、なかなか見出し得ず。この古書肆も奧に「パリ・コーナー」を持ちたるが、結局見付からず。されど、1889 年、例のエッフェル塔の建てられたるフランス革命 100 周年記念萬博の會場を、兄妹が見聞し、田舎の知り合ひに傳へるてふ形式の案内本 Promenades de deux enfants à l'exposition (プロムナード・ド・ドゥー・ザンファン・ア・レクスポズィスィオン 子供ふたりの萬博散歩)(Eudoxie DUPUIS ユードクスィ・デュピュイ, 1890) を購ふ。中の插し繪に Jonque chinoise (ジョンク・シノワーズ 中國のジャンク船)てふ繪あれど、どう見ても家紋の付いた日本の帆船てふも抔あり。
序でてふことで、メトロ 12 番線に乘り、一路南へ。ポルト・ド・ヴァンヴで降り、例に依りて、ブラサンスの古書市へ行く。ヴァカンス中のこととて、古書肆の屋臺も半分近くに減りてあり。
冷やかすだけ心算なりしが、つい、古文法書と、明治 27 年 (1894)、Pierre BARBOUTAU (ピエール・バルブトー)てふフランス人が日本に來て日本畫家に插し繪を描かせしシリーズの Jean de LA FONTAINE (ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ 1621-1695)『寓話』 (Les Fables(レ・ファーブル)) を買ふ。これ、上製本は 350 部の限定本なれば、フランス國立圖書館、京都外大抔も所有せるが、小生のは普及版なれば、然程の價値は無からん。
その後は、これ亦例に依りて、鄰の公園にて讀書。
★2000/08/14
紀要論文に向けてあれこれ考へねばならず、實際あれこれ考へてもをりしが、一向に進まず。買ひモノにのみ外出。
モベール・ミュチュアリテのアジア食材店にて買ひ出しの後、不圖、スィテ島の最東端なる Square de l'Île de France (スクワール・ド・リル・ド・フランス イル・ド・フランス公園)に立ち寄る。この島の先端部地下には第 2 次世界大戰中に強制收容所に送られたる人々の追悼記念館あり。階段を下りてゆけば、細い割れ目の如き入り口あり。中に入れば、強制收容所の部屋の再現されてありて、壁には諸々の文句書かれたり。
舗裝改修中の Quai de Montebello (モンテベッロ河岸通り)。アスファルトの下には、ちゃんと石疊殘りたり