昨日は卒業式・修了式および学位授与式。そして、教育促進支援機構の個人表彰式、さらに祝賀会、懇親会。
例によって、『フォーラム人文学』配布のために舞台上手にスタンバイ。しかしながら今年は、川辺先生にくはへ、編集長の進藤先生が手渡し役に参加なすったため、小生の無役になったかとおもひきや、なぜか、生協提供の紙袋を渡す役に。
まいどのことながら、渡してる人間が小生であることに気づかぬ学生がけっかうゐる。あとで舞台上に小生を「発見」した彼女らは「わたしのときにはゐませんでしたよね?」と云ふのだが、なにしろずっとゐたのだ。視覚とはまことに玄妙なものである。気づかぬ学生たちのなかには、1回生でフランス語を教へたのもすくなくないのだが、これはもはや小生のこそなんぞ憶えてゐないてふことであらう。
学位授与式の最後には、純ちゃんの特別学位記が、純ちゃんのご両親に手渡されるセレモニーがあった。村田学部長は大泣きである。舞台上では、彼女の所属していた言語情報コースのヒロユキほかの同級生たちが、花束と想ひ出帖のやうなものを渡してゐた。
ちなみに、支援機構では、純ちゃんとかかはった数名からのことばを集めた文集をつくり、式の開始前にご両親に挨拶のうへ手渡してゐる。そのなかみをこゝにおいておかう。zipのパスワードは、純ちゃんの苗字だ。
祝賀会ではさまざま写真を撮られるのが常だが、基本的に小生の手元にそれらの写真がやってくることはない。彼女らのデジタルデータとして残ったそれらは、はたして今後かへりみられることがあるのかしらん?