フランス研修2013-4日目

By 黒猫亭主人, 2013/09/12

本日は、セルジー・ル・オー近郊の Vauréal ヴォレアルにある Lycée Camille Claudel カミーユ・クローデル高校へゆき、日本語をまなんでゐる高校生と交流する日である。ミュリエル先生およびワファと待ちあはせ、セルジー・ル・オー駅前のバス乗場から34Sのバスにて数分、赤を基調としたカミーユ・クローデル高校にいたる。学生たちは、周囲をあるくフランスの高校生たちの外面的成熟っぷりにをのゝいてゐたが、全員、じぶんたちより年下であると暗示をかけて落ち着かうとしてゐた。

カミーユ・クローデルとは、かのロダンの弟子にして彼女やった藝術家。ロダンと破局後、精神を病んだ気の毒なひと。日本と関係ぶかいポール・クローデルのお姉ちゃんでもある。

カミーユ・クローデルとは、かのロダンの弟子にして彼女やった藝術家。ロダンと破局後、精神を病んだ気の毒なひと。日本と関係ぶかいポール・クローデルのお姉ちゃんでもある。

高校側の担当は、日本語の先生であるジュリアン・フォリー先生。まことに流暢に日本語を話される気さくで陽気な方であった。彼の案内で、学生ホールへ。この日だけ、特別に、仏日交流の会場としておさへられてゐたのだが、入口の天井には、折り鶴がモビールのごとくつるされてゐた。出迎へてくれたのは、高校3年生で、そこそこ話せる子ら――なかのひとり、シャルことシャルレーヌは「おつかれさまー!」といふてた――。時間割をみると、日本語は週3時間――英語も3時間、スペイン語が1時間、哲学が8時間、数学0の文系の子であった――まなんでゐる。

まづはソフトドリンク片手に、学生同士の交流。漢字はちょっとしかわからないといふてゐたが、くみとちひろとかおりが、漢字で名前を書いてみせ、そのイミを説明したり、漫画のハナシをしたりで盛りあがってゐる。

アイス・ブレイキング・タイム。

アイス・ブレイキング・タイム。

交流中の1回生のひろしと、2回生のともひろ。

交流中の1回生のひろしと、2回生のともひろ。

その後、こちらで昨日用意した6つのアトリエの希望者をつのると、人気・不人気がわかれ、結果的に、午前中の部は、映画や漫画のワンシーンをジェスチャーをして作品をあてさせる「mime マイム」、スマホやデジカメの写真を数枚えらんて説明する「album photo 写真アルバム」、日本側はフランスの歌を、フランス側は日本の歌を習ってうたふ「chanson 歌」、絵を描いていく途中で、なにを描いてるのかをあてさせる「pictionnary ピクショナリー」の4つのうち、「写真アルバム」と「歌」が統合されて、最終的に3つのアトリエが開催され、日仏協働が展開された。

アトリエ・マイム。

アトリエ・マイム。

アトリエ・ピクショナリー。

アトリエ・ピクショナリー。

アトリエ・シャンソン+フォト。

アトリエ・シャンソン+フォト。

午前中のアトリエ発表会。マイム・チーム発表中。

午前中のアトリエ発表会。マイム・チーム発表中。

アトリエ・テアトル(演劇ワークショップ)うちあはせ中。

アトリエ・テアトル(演劇ワークショップ)うちあはせ中。

午後の部。テアトル練習中。

午後の部。テアトル練習中。

午後の部、発表会。ボードの右がフォレ先生。

午後の部、発表会。ボードの右がフォレ先生。

描いてる絵をあてる、ピクショナリー。

描いてる絵をあてる、ピクショナリー。

テアトル上演(?)中。右の男子は、竹内順子のサインと、じぶんで描いた漫画を見せてくれたヲタくん。

テアトル上演(?)中。

ところへ、1年生の日本語学習者集団がやってきたが、人数がおほいので、ミュリエル先生の求めに応じて、小生がお相手することに。1年生てふことは、この9月に入学したばかりで、日本語学習歴2週間である。しかたないので、共通日本語で自己紹介ののち、大阪方言ヴァージョンでくりかへし、その違ひをたづねてみるとか、ひとりひとり名前をいふてもらふとかしたのち、なぜ日本語を学んでゐるのか、てふ定番の質問をすると、文化、とりわけ漫画、アニメてふ、これまた定番の返事がかへってくる。そこで、どんな作品がとつっこんでみると、出るわ出るわ、返事をしたくて手をあげる子らがあとをたたず。

『進撃の巨人』L’Attaque des Titans もすでに人気で、アニメをみてゐるらしい。どのキャラが好きかときくと、髪に赤メッシュをいれた、一見してヴィジュアル系大好き少女が、クリスタとリヴァイとこたへ、あなたの好きなキャラはと逆質問され、サシャとこたへる小生であった。

この1年生たちを観客に、各アトリエが、午前中の成果を発表。ことばを使はない省エネの「マイム」が、そのアニメ・漫画コンテンツのおかげでいちばん盛り上がってゐたのは当然か。

大人たちで昼食ののち、午後はまた別の高校生たちとアトリエ。歳をきいてみると、ほとんどが17歳以下である。今回は、「マイム」のかはりに「théâtre 芝居」がはひってをり、府大のりゅうのすけ、ひろし、かずまの男子トリオが所属してゐたが、ミュリエル先生のもってきた2ページで1話完結のコント集を、りゅうのすけ、かずまと仏女子ひとり、ひろしと、仏女子、仏男子ひとつづつの2チームで上演することになり、その場で、まづは解釈、ついで台詞をいれてやることになったが、さすがに難しく、とりわけひろしは、まだまだ仏語初心者てふことで、彼のチームは、まづ日本語で、ついでフランス語をテクストみながら演ずることになった。

「芝居」のアトリエは、小生にアイディアをもとめてゐたミュリエル先生であったが、もともと芝居に情熱をもつ彼女、さいごは、みづから演出に乗りだしてゐた。発表会では、「芝居」がやはり盛りあがり、おほいに笑ひをよんでゐたのは、演者一同、やった甲斐を感じてゐたことであらう。

この日のラストは、校長先生の挨拶とフォリー先生の仏日2言語による閉会の辞。さいごは、彼の「フクシマ先生に一本締めで」てふ無茶ぶりをされたが、せっかくなので「大阪締め」でえゝかといふと、大阪に4度いったことのある彼は大喜びで是非にてふことなので、おそらくこの地域では史上初とおもはれる大阪締めのパフォーマンスとなった。

のちに、ワファにもとめられて訳したのは、こんなかんじ。

打ちまひょ(パンパン) Frappons les mains ensemble
もひとつせ(パンパン) Encore deux fois
祝はうて三度(パ、パン、パン) En fêtant, encore trois fois

当然のことながら、日仏の学生たちはすっかり仲良くなり、メアドを交換し、別れををしみつゝ――かずまは女子高生にハグされてた――、バスに乗り込むわれわれであった。

別れを惜しみつゝ。

別れを惜しみつゝ。

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