フランス研修2013-3日目

By 黒猫亭主人, 2013/09/11

本日は、べつの45名ほどのアジア系団体さんがはひってゐるため、朝食ミーティングの時間帯がくりさがったみっかめ、食堂へいってみると、トレイも食器も洗浄がまにあはず、食材まで足りなくなってゐるてふ事態に。結句、非常食的ななにかを提供され、それを食べてしのぐこととなったが、渡された箱にはアパルトシティ謹製朝食と書いてあり、これはかういふ事態を想定してのものなのかと訝しむ。

朝食ボックスをたべるみなさん。

朝食ボックスをたべるみなさん。

朝食ボックスの中身。ココアとミルクとお茶とオレンジジュースのパックとフルーツとお菓子的なものども。

朝食ボックスの中身。ココアとミルクとお茶とオレンジジュースのパックとフルーツとお菓子的なものども。

さて、大学へ登校。授業ふつかめは、本日午後のパンテオンゆきのための準備。きのふの宿題だったパンテオンの住人のひとり Bougainville ブーガンヴィルは何者か、何をなしたかを報告ののち、お昼は、Communauté d’agglomération 広域行政圏のウエルカム軽食会へ。こゝの広域行政圏は、セルジー市を中心に、13の市町村があつまってつくってゐるもので、EU的なものと説明されてゐた。

RER。ボタンをおさないとドアはひらかない。

RER。ボタンをおさないとドアはひらかない。

出迎へと説明をしてくれたのは、セルジー市の学生担当のひと。この方が説明するのを、ミュリエル先生に命ぜられて、仏日両語のできるネイティヴであるマリ=フランソワーズ先生がゐるにもかかはらず、なぜか小生が日本語に通訳してゆくことに。なほ、学生側は、おかへしに日本語の歌を披露するとて、決めてきたのが『翼をください』。これを Donnez-moi des ailes と訳して紹介、内容の説明いっさいなしに、日本語で歌ひっぱだったが、セルジー側のみなさんはふんふんと聞いてくだすってゐたが、本音は如何なるものかしらん?

今年の参加者が減ったせゐか、軽食はあまるほどあり、さいごにマカロンが出されると、女子たちはキャーキャー。それを聞いた、去年にひきつづき参加のともひろ曰く、去年もさうやった、ト。

軽食ののち、RERにのり、Châteles-Les Halles シャトレ=レ・アールでB線にのりかへ、Luxembourg リュルサンブールで下車、最初の目的地、パリ第4大学、通称 Sorbonne ソルボンヌへとむかふ。ソルボンヌのなまへは、ルイ9世(Saint-Louis 聖王ルイ=サン・ルイ)の礼拝堂付司祭であった Robert de Sorbon ロベール・ド・ソルボン (1201/10/09-1274/08/15) が、1253年、当時、おほくの神学生ちたの経済的事情に困窮に心を痛め、そこで暮らし学ぶ場としての collège 学寮を建てたことに由来する。ちなみに、パリ大学じたいは、1150年頃、ノートル・ダームの神学校をおぎなふものとして登場してをり、その後、1200年に、フィリップ2世(Philippe Auguste フィリップ尊厳王=フィリップ・オギュスト)によって認可され、1213年には、かつての学生であったローマ教皇インノケンティウス3世の勅書、1231年にも当時の教皇グレゴリウス9世の勅書によってカトリックに公式に認可された学校であった。

自転車が電話をかけてゐる……はずはない。

自転車が電話をかけてゐる……はずはない。

ヤキトリ、サシミ、スシは、日本料理店の三種の神器。

ヤキトリ、サシミ、スシは、日本料理店の三種の神器。

ソルボンヌででむかへてくだすったのは、柔和で笑みをたやさないムッシュー。彼の案内により、ソルボンヌの申し込まないと見られないぶぶんをみてまはることになったのだが、こゝでもミュリエル先生は、小生に通訳を要請。マリ=フランソワーズ先生は、後半のパンテオンで合流予定で不在のため、こたびは仕方のないこととはいへ、流れるやうにお話になる――ガイドの専門家なのであたりまへではあるが――フランス語を、2時間にわたり訳しつづけるのには骨が折れた。ところどころ超訳になってたのは内緒である。

解説のなかで感じ入ったのは、大広間にかけられてゐた絵画の説明である。今回見学したソルボンヌの建物は、全体的に文系を象徴するぶぶんと理系を象徴するぶぶんにわかれてゐるのだが、大広間の、やはり文系と理系を象徴する絵画が、壁のむかうがわとちょうど逆、つまり、文系パートに理系の絵が、理系パートに文系の絵がかけられてゐたことで、解説者氏がなぜ逆なのかてふクイズを出したのだが、その答へは、文系と理系の相補の必要性、両者の交流の必要性をしめすため、てふものであった。

そもそも文系・理系をわけることじたいナンセンスな気がしてゐたので、これを聞いて、まさに我が意を得たり。今回の研修生である府大の理系女子たちのちひろとゆみこも、特に理系だったわけではなく、理転より文転のはうがやりやすいため、将来の選択肢をなるべくおほくするやうに進路を決めてきたけっか、いまの所属になったのださうだ。

ソルボンヌ中興の祖であるリシュリュー枢機卿の墓所でもあるチャペルをみて、見学はおしまひ。反カトリック運動でもあった大革命のをりに、内装は破壊されてしまってゐるのだが、ステンドグラスは17世紀に建てられた当初のまゝらしい。

こゝでマリ=フランソワーズ先生が合流、パンテオンへむかふ。小生はかつて行ったことがあるが、彼女は、パンテオンへゆくのははじめてらしい。

パンテオンにたどりついたのは17h、18hには閉館てふことで、1時間で駆け足てふことであったが、くたぶれはてた小生は、30分ほどでリタイア。

学生たちは、20hから大学近辺でフランスの学生たちと交流するとて、それまでしばしパリ散策組と、直行組にわかれ、小生は、直行組と、21番のバスにて、ずぼら観光をしつゝ、オペラ座近辺のオベールまでゆき、そこからRERで帰還。濃い一日なりき。

2階のギャラリーも、文系と理系パートに分かれて絵が飾られてゐる。文系部門の最初は、ルイ9世に、ソルボンヌ開校の勅諚をもらふソルボンの図。

2階のギャラリーも、文系と理系パートに分かれて絵が飾られてゐる。文系部門の最初は、ルイ9世に、ソルボンヌ開校の勅諚をもらふソルボンの図。

Grand sallon 大広間。

ギャラリーの横にある Grand sallon 大広間。レセプションなんかに使はれてるらしい

講堂のバックにかかる絵は、パンテオンの聖女ジュヌヴィエーヴの生涯の連作でも知られる、Pierre Puvis de Chavannes ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ。色んな学問領域が擬人化されてゐる。

講堂のバックにかかる絵は、パンテオンの聖女ジュヌヴィエーヴの生涯の連作でも知られる、Pierre Puvis de Chavannes ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ。色んな学問領域が擬人化されてゐる。

講堂裏の控室。やはり文系と理系を象徴する女性の彫刻があって、こちらは理系。顔は、マリー・キュリーがモデルらしい。左が、案内者氏。

講堂裏の控室。やはり文系と理系を象徴する女性の彫刻があって、こちらは理系。顔は、マリー・キュリーがモデルらしい。左が、案内者氏。

ソルボンが最初に開いた学校の跡地をしめす銘板。

ロベール・ソルボンが最初に開いた学校の跡地をしめす銘板。

パンテオン地下なる点字の発明者 Louis Braille ルイ・ブライユの墓所前のアイテム。

パンテオン地下、点字の発明者 Louis Braille ルイ・ブライユの墓所前のアイテム。ちなみに小生と同じ月日うまれ。

「躰の一部が残ってゐること」てふ規則に抵触するため、パンテオンの住人にはなれないサン=テグジュペリは、碑銘のみ。

「躰の一部が残ってゐること」てふ規則に抵触するため、パンテオンの住人にはなれないサン=テグジュペリは、碑銘のみ。

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