年に1度の「大阪市大でどう学ぶか・国際化と語学」の授業をしに、5限にでかける直前、ばったりあった三上先生から、かつて独文→表文(さいごは、文学部のためにと懇願されて、大教センターにうつられ、定年をむかへられた)にいらした独語の大澤慶子先生が、6月1日に亡くなられてゐたことを知る。お一人暮らしであったから、発見はすこしおくれたらしい。「大阪市大でどう学ぶか」の世話役である大教センターの大久保先生もすでにごぞんじで、授業後は、しばしかのじょのことが話題になった。
春に恒例のドイツ旅行をなすったをりに体調をくづされてゐたさうだが、先月までは、大学にも勉強会のためいらしてゐたさうだ。
大澤先生は、小生が2000年に出張でパリに長期滞在してゐたとき、我が家に泊まられたことがある。かのじょの専門である Heinrich Heine ハインリッヒ・ハイネは、1831年、33歳のをり、七月革命後のパリに永住するのだが――フランスだと、Henri Heine アンリ・エーヌてふ読み方になる――、そのハイネの旧居めぐりと、シャルトル大聖堂訪問が目的であった。サン=ルイ島の我が家には、帰国されたTさんから安価でゆづりうけた電気釜があったが、小生がなかなかうまく炊けなかったたごはんを、まことに美味に炊いていたゞいたことがわすれられない。
デカルト学者の小林道夫先生も、今月2日に、69歳で鬼籍にはひられたが、大澤先生もおないどしであった。このところフランス語を勉強されてゐたのだが、さいごにおあひしたときも、さいきんは勉強をお休みしてゐるとはなしてた大澤先生だが、あちらでは、フランス語の勉強を再開なすってゐるかしらん?
大澤先生のこと。写真は、パリにおけるハイネの旧居をカメラにをさめる大澤先生。 http://t.co/VBdpPPqrkY http://t.co/7kAj6TETTf