巴里便り

L'Ile Saint-Louis 篇

(2000/07/11-14)


2000/07/11
 仕事終はらず、芝居を斷念、F2 でやってた映畫を 2 本見ぬ。1 本目は日本でも公開濟みなれど、2 本目は公開されたるか?
 1 本目は Tombés du ciel (トンベ・デュ・スィエル 天から落ちてきた人々=パリ空港の人々)(1993 年、監督・Philippe Lioret フィリップ・リオレ)。年末にパスポートや靴まで盗まれた男が、ロワスィ空港で入國できず、そのまゝ、空港に泊まる羽目になるも、そこで空港に暮らす人々と知り合ひになり……。  主役は、Patrice Leconte (パトリス・ルコント)監督作品(Tandem タンデム抔)でお馴染み、口髭がトレード・マークの Jean Rocheford (ジャン・ロシュフォール)。紙切れ一枚なきがゆゑにアイデンティティを證明できず難澁するてふ「哲學的テーマ」を内包しつゝ、順調な日常がいとも容易く破壞され、それをキッカケに新しい視點/始點を發見するてふハナシは、ありがちやも知らざりしかど、語り口によりて成功せるなり、てふか、これぞフランス映畫なるか。空港の住人 Zola 役の男の子、可愛し。
 2 本目は Que la lumière soit ! (ク・ラ・リュミエール・ソワ! 光あれ!)(1997 年、Arthur Joffé アルテュール・ジョフェ)。宇宙の一角で、テレビに見入れる姿見えぬモノ。戰爭やら飢餓やら悲慘なる地球上の光景に、矢庭にタイプを叩き出し、一本のシナリオを完成さす。これが、《主》(Seigneur セニュール)にて、先づはハリウッド近くのネイティヴ・アメリカンの酋長に乘り移り、自分のシナリオの映畫化を目指すが、敢へなく挫折。お付きの天使(演ずるは、1 本目の『パリ空港の人々にも出てた Tikcy Holgano (ティキー・オルガノ)。彼は、1 本目では禿なれど、この作品では髪の毛ふさふさ。こっちの方が制作年が後なれば、當然ヅラならん。因みに、『タンデム』にて、ジャン・ロシュフォールの相方を、ヅラ被りつゝ勤めし Gérard Jognot ジェラール・ジョニョは、自ら監督・主演の最新作、Meilleur espoir feminin (メイユー・レスポワール・フェミナン 女性最高の望み=女がいちばん憧れる職業)で、矢張りヅラ被りつゝ、それをギャグに使ひたるらし。ところで、彼(か)のアデランスの薄毛率調査によれば、フランス男性、三人に一人は薄毛なり。多いてふことは、それだけ特別とちゃふわけで、氣にもせんてふことなるか)の忠告もあり、ジェット機の機長に乘り移ったり、無茶苦茶しつゝ、映畫發祥の地、パリへと向かふ。そして、と或るスタジオにて、一人の若い女性 Jeanne (ジャンヌ)を見掛け、彼女の家の家政婦さんに乘り移って、彼女の家を勝手に家捜し、彼女監督の一本の映畫フィルムを發見、それを勝手に上映して、感動せる《主》は、彼女こそ、自分のシナリオの監督と思ひ定め、以後シツコク付き纏ひ、最後は、死んだ父親に迄乘り移りて、ジャンヌに監督を強ひる。その後、エッフェル塔から落っこちたところを《主》に助けられ、その折りの《主》の話を聞きて、漸く、そのシナリオを映畫化する氣になるジャンヌ。先づは、資金繰りと、彼女の勤める映畫會社に持ち込む。椅子の高さ調整に使はれ、植木鉢の下敷きに用ゐられ、ゴキブリ目掛けて投げ付けられと、マトモに扱はれざるにも拘らず、社長の目に止まり、地上 120 階の社長室に呼ばれしジャンヌは、シナリオをこき下ろさるゝも、何か才能を感ずとて、書き直されしシナリオを監督するやうに云はる。そして、撮影開始。《主》は又も色んな人に乘り移りつゝ、文句や注文を付けたり(TF1 の名物ニュース・キャスター PPDA (ペー・ペー・デー・アー)[Patrick Poivre d'Arvore パトリク・ポワヴル=ダルヴォール] も乘り移られてたりす)、最後は映畫に使ふ熊に迄乘り移りて、ジャンヌにキツク怒らる。さうかうせるうち、社長(この社長を演ずるは、Luc Besson リュック・ベッソンの Nikita ニキータにて教育係たりける Tchékcy Karyo チェキィ・カリョ。惡役もピッタリ)に晩餐に呼ばれ、ジャンヌのシナリオの内容が「神」のシナリオと見拔き、ジャンヌを問ひ詰め、ベッドに誘惑する。即ち、彼こそ「惡魔」なり。飛び出して逃げたるジャンヌは、《主》を求めてこゝかしこを彷徨ひ、逐に精神病棟に收監されてしまふも、そこで、嘗て《主》に乘り移られた人々に再會(ちゃんと熊もゐる)。ワタシは《主》に選ばれし監督なりてふと、その人々どんなハナシなのか聞かせてくれと彼女の周りに集ひて、ト、その時、治療室に連行されるジャンヌ。嘗て《主》に乘り移られたる患者達は、こゝに一致團結してジャンヌを解放(この邊、ジャンヌ・ダルクのパロディ)、映畫撮影隊から機材を奪ひて、ところへ、ジャンヌの下の階に住むラビ(ユダヤ教の聖職者。ヘブライ語からフランス語に瞬時に翻譯する妙な機械をジャンヌに貸してくれたことあり)が、ジャンヌの受け取りたる古ヘブライ語にて書かれたるファックス(無茶苦茶長い)を解讀した結果を齎す。即ち「人々が眠りたるとき、そのうちへ行け」。斯くして、撮影隊は、夜中の街を驅け囘り、樣々の寢顏を撮影して囘ることに。翌朝、疲れてサッカースタンドにて眠り込みたる撮影隊の前に、《主》がジャンヌの父親(の屍體)に乘り移りて登場(何か、Field of Dreams 風)。その後、惡魔の魔手よりフィルムを守り、諸々の後、逐にノートルダム寺院にて、無料上映會を開くことに。集まりし群衆裡には、、惡魔の社長も混じってゐたるが……。
 このジャンヌを演ずるは、當時 22 歳の Hélène de Fougerolles (エレーヌ・ド=フージュロール)。口元の黒子がチャーミングな彼女、實は小生が贔屓なり。18 の時のテレビシリーズを皮切りに、以後數本の映畫に出たるが、英語映畫にも幾本か出たる彼女、今年は、かのレオ樣の The Beach にヒッピー・コミューンの役員の一人で出演(尚、この映畫でレオ樣の相方になりたる矢張り佛女優の Virginie Ledoyen (ヴィルジニー・ルドワイアン)は、今年のカンヌ映畫祭の司會者に拔擢されてあり)、フランスでは Jean-Hugues Anglade (ジャン・ユーグ・アングラード)と Yvan Attal (イヴァン・アタル)主演の Le Prof (ル・プロフ 先生)にヒロイン役で出演と(秋にももう一本公開豫定)、大いに露出せり。が、小生は、兩方とも未見なのでありぬ。


2000/07/13
サン・ルイ橋上 サン・ルイ橋上の屋臺 假設 DJ 場
サン・ルイ橋上 シテ島側から。サン・ルイ橋上の屋臺 假設 DJ 場
フランス共産黨のスタンド サン・ルイ橋上の人々 モベール袋小路
佛共スタンド ごった返す橋の上 Impasse Maubert (モベール袋小路)
漫畫專門店 サン・ルイの圍爐裏 シトロエン DS
サン・ジェルマンとサン・ジャックの角なる漫畫專門店のショーウインドウ。ピカチュウあり サン・ルイはルグラティエ通りの店。圍爐裏にて zen(禪)な雰圍氣 家の角に停められしシトロエン DS。50 年代後半
 先週より氣温上がらず、最高でも 20 度止まりの日續けり。ヨーロッパ全般に寒き由、冷夏・多雨を齎せるアイスランド低氣壓の強くあるか?
 原稿進まず。されど、今宵は、革命記念日前夜祭。地域の廣場、消防署の中庭の解放されて、bal (バル ダンス・パーティ)開かれ、人々の踊り狂へるてふ樣、目にせざるわけにゆかじ、とて、夜中より散歩に出たり。毎年、サン・ルイの南側、セーヌの左岸の河川敷にて、一大 bal の開かれたると聞きてありしため、期待してゆけば、影も形も無し。今年は、雨催(あめもよひ)なれば、取りやめとなりたるか?
 判らぬまゝ、何やら音のせる方に進みゆけば、サン・ルイ橋の上に bal あり。橋の袂に白テント建ちて、これは DJ ボックス、その前の些かなる空間に、人々踊れり、てふか、躰を搖すりゐたり。
 橋上には屋臺も竝び、何やらパンフレット配りたるスタンドもあり。赤旗立てたる PCF (Parti Communiste Français パルティ・コミュニスト・フランセ)即ち佛共の屋臺もありて、異彩を放てり。
 サン・ミシェルに出たれど、人影疎らにて、索然たり。サン・ジェルマンを通りて戻る。思はぬ夜の散歩なり。扨、bal はいづこに行けるや?


2000/07/14
飛來せるヘリコプター 停滯せる戰車 シャン・ゼリゼの群衆 びっしりの沿道
飛來せるヘリ。前を行くジェット機は五月蠅いこと限りなし 停まってる戰車 凱旋門側を望む びっしりの沿道
 一夜明くれば、Le Quatorze Juillet (カトルズ・ジュイェ 七月十四日)。勿論、「巴里祭」抔てふのは日本のみにて、これは 1930 年代の René Claire 監督作品 Le Quatorze Juillet てふ映畫の邦題が『巴里祭』なりしことに由來せるは、周知の如し。この映畫、巴里の下町を舞臺に、タクシー・ドライヴァーの兄ちゃんと賣り子の姉ちゃんの、好き合ひ→すれ違ひ→大團圓てふ定番のストーリーを持つ名作なり。因みに、相棒のタクシー運轉手役は、À nous la liberté (ア・ヌ・ラ・リベルテ 自由を我等に)の主役の一人。この相棒のタクシーを、醉っぱらひて運轉しちゃふ金持ち老人役の人も、クレール作品の常連(の筈)。
オベール通り 馬脚
オペラ座の西側、オベール通り オペラ座前に竝べ始められし馬脚 オペラ座大通り
ミッション 2000 のビル コメディ・フランセーズ前 パレ・ロワイヤル廣場
テーブルクロスにてリボンの如く飾られたるは、この企畫の勸進元 Mission 2000 (ミスィオン・ドゥー・ミル) コメディ・フランセーズ前 Place du Palais Royal (パレ・ロワイヤル廣場)
クール・カレ ポン・デ・ザール ワインを呑むカップル
ルーヴルの cour carrée (クール・カレ 方形中庭) 藝術橋上は、テーブル無し。對岸はアカデミー・フランセーズ セーヌ通りのワインを呑むカップル
人集り 太鼓隊
Rue de Buci (ビュスィ通り)との交叉點の人集り サン・ジェルマン大通りを越えて南進せる太鼓隊 Rue de Tournon (トゥールノン通り)。突き當たりが元老院
赤い 2CV リュクサンブールの晝餐會 リュクサンブールの芝生
シトロエン 2CV(ドゥー・シュヴォー)と云へば、「五月革命」のダニエル・コーンヴァンディット、と云へば、矢作俊彦の『スズキさんの(以下略)』 公衆立入禁止の市長達のピクニックの後は無料コンサート リュクサンブール公園の芝生ピクニック
ヴィヴィアーニ公園のインスタレーション I ヴィヴィアーニ公園のインスタレーション II
Square de Viviani (ヴィヴィアーニ公園)に突如屹立せる自動車 實は、目鼻付きたる Rony (ロニ)作の現代造形
 無論、この日は、1789 年佛蘭西大革命の發端の日なり。革命軍は先づ Invalides (アンヴァリッド 廢兵院=現在は軍事博物館)を襲撃、こゝにて武器を調達せる後、バスティーユ監獄に向かひたり。因みに、囚人はコソ泥等が 7 人のみ。守備兵は 114 名、安閑と鼻毛を拔きたるところへ 10 倍の群衆攻め寄せ、逐にこれを落とせり。
 朝から TF1 と F2 にて、特番。メインは 10 時からのシャン・ゼリゼ軍隊パレードなるが、番組は 8:30 ぐらゐから始まりて、メイン迄の時間をドキュメンタリーにて埋めたり。
 TF1 のは「軍隊の女性達」。色々の部署にて働ける 4 名の女性軍人を選びて生でインタヴューと 4 本のドキュメンタリー。ゲストの一人に例のフランス初の女性ミラージュ乘り、カトリーヌ・エーグル孃呼ばれたり。彼女、polytechnicienne (ポリテクニスィエヌ 理工科大學卒業生)、即ち、國防省所屬の Grandes Écoles (グランド・ゼコール)、École polytechnique 出身の由、理系の超エリートなり。階級は capitaine (カピテーヌ)なれば、「空軍大尉」なるか。  パレードは Porte Maillot (ポルト・マイヨ)よりコンコルド廣場まで。先頭はシラク大統領。以下ぞろぞろ。
 軍隊の行進なぞ毛程の關心も湧かぬなれど、折角滯在せる上は、一見は義務ならんとメトロ 1 番線にて出掛く。と、車内アナウンスありて、外に出られる驛は Georges V (ジョルジュ・サンク ジョージ 5 世)のみと知る。が、コンコルドでもシャン・ゼリゼ−クレマンソーでも乘り換へのために扉開けば、觀光客ぞろぞろと降車せり。
 扨、凱旋門のあるシャルヽ・ド・ゴール−エトワールの一つ手前ジョルジュ・サンクにて降り、上に昇れば、豫想通り人だらけ。行進はと見れば、現在停止中なりき。
 これで義務果たせりと、裏道通りてオペラ座の方に向かふ。實は、本日、2000 (ドゥー・ミル)のカトルズ・ジュイェを祝すべく、一大國家プロジェクト行なはる豫定にて、それを見んがためなり。プロジェクト名は L'Incroyable pique-nique (ランクロワヤーブル・ピクニック とんでもないピクニック)。これは、北は Dunquerke (ダンケルク)から南は Prats-de-Mollo-la-Preste (プラ・ド・モロ・ラ・プレスト)迄、全佛の中央を縱斷せる子午線 (méridien メリディヤン)上にテーブルを竝べ、一齊にランチを食べようてふ企畫なり。勿論山あり谷あり川在り建物あり交叉點ありなれば、一直線とは行かず、點々と、道を辿りて繋ぎゆけり。これに合はせ、その所々にて歌や踊りや物産展や何やかやが企畫され、加へて前日 13 日の 20 時に、北と南の兩端よりリレー・ランナーが、徒歩やら自轉車やらローラースケートやらにて出發、本日の 20 時ぐらゐに、大體眞ん中にて出會ふてふイヴェントもあり。
 上手い具合に子午線はパリを通過せるゆゑ、18 區の Porte de Montmartre (ポルト・ド・モンマルトル)からオペラ座、ルーヴル、リュクサンブール公園を經て、スィテ・ユニヴェルスィテール、Porte de Gentilly (ポルト・ド・ジャンティィ)へとテーブルの出る豫定。
コンコルド廣場 コンコルド廣場北西の空 コンコルド廣場南西の空
コンコルド廣場 22:30。中央に立てるオベリスクは、最後の王 Louis Philippe により立てられしエジプトからのプレゼント。廣場、現在、緑地帶を増やして道幅を制限すべく改裝中 コンコルド廣場北西の空 コンコルド廣場南西の空
觀覽車 花火を待つ人々 コンコルド廣場の噴水
大觀覽車。2000 年の間だけの期限付き 花火見んと集ひし人々 化粧直しされ、一部が(不自然に)金色の噴水。對(つい)の北側噴水は、昔のまゝ
トラック屋臺 花火 バスティーユ廣場 I
トラック屋臺。綿菓子 (barbe à papa バルブ・ア・パヽ 父ちゃんの髭)人氣なり 花火 中央に立てるは 1830 年の七月革命記念碑 Colonne de Juillet (コロンヌ・ド・ジュイェ 七月の圓柱)
バスティーユのカフェ バスティーユ廣場 II
バスティーユのカフェ バスティーユ廣場 23:30
 扨、午過ぎ、オペラ座の脇なる Rue Auber (オベール通り)に着きたれど、闃(げき)として人無し。たゞ、パトカーの出て、道路を確保はせり。こは如何なることかと、オペラ座の方へ歩きゆけば、オペラ座廣場に、澤山の長椅子、板、馬脚(うまあし)つくねられ、觀光客の間で人々だらだらと用意せり。
 暫し眺むるうち、漸くテーブルの竝び始めたれば、ビデオカメラ片手に、Avenue de l'Opéra (オペラ座大通り)を南下。ト、直ぐに南側のこゝにては、既に人々の食卓に着きて、食事始めたり。この準備は、町内會毎にふられたるか? 流石フランス人、こんな時もアッパレてんでんバラバラなり。
 オペラ通りから「モリエール 2000」開催中の Comédie française (コメディ・フランセーズ)前を經てルーヴル中庭、Pont des Arts (ポン・デ・ザール 藝術橋)、Académie française (アカデミー・フランセーズ)横を通り、Rue de Seine (セーヌ通り)。ト、何やら人集りせるは、嘗て出會ひたる「サンバ隊」から、カウ・ベルとマラカスを取り去りたるが如き、小太鼓・大太鼓チームなり。されど、このたびは、踊り出す觀客無し。僅かにオイチャンが一人、束の間のパフォーマンスを見せたり。
 そのまゝ直進して、リュクサンブール公園の北端の Sénat (セナ 元老院=上院)に到るも、全國の市長さんの招待されたる「市長の晝餐會」の爲、通れず、大きく迂囘して、リュクサンブール公園に入れり。入りてみれば、公園内の芝生はピクニック客で一杯。扨、テーブルはと探せど見當たらず、縁の切れ目とて、家に歸れり。
 夜。エッフェル塔下の Champ de Mars (シャン・ド・マルス)の花火を見物に、コンコルド廣場に出づ。鄰のテュイルリー公園にては bal の行なはれたる樣子にて、音樂流れきたり。
 30 分ばかり遲れて、23 時よりエッフェル塔の照明の消えるや、花火 (feu d'artificiel フー・ダルティフィスィエル)打ち上がる。高度低し。立木の陰になりて見えず。
 暫し見物したる後、バスティーユ廣場に行けり。今年は bal の場となりたらざる廣場は閑散とせり。211 年前の喧噪は想ふべくもなし。






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