巴里便り

L'Ile Saint-Louis 篇

(2000/07/06-10)


2000/07/06
 本日は、一般 bac の發表日。ニュースにて、合格風景映し出さる。合格者は、進學先を月半ばまでに決定せるなり。
 又、本日は、ボニファティウス 8 世の「アヴィニヨン捕囚」により 1309 年から 1417 年迄法王廳の置かれたる南佛 Avignon (アヴィニヨン)にて、毎年行なはるゝ國際演劇祭の初日なり。今年舊法王廳中庭の開幕は、Pina Bausch (ピナ・バウシュ)振り付けのダンス Le Laveur de vitres (ル・ラヴェール・ド・ヴィートル 窗拭き人)。ニュースにて流れしは、現代サーカス (cirque) のジンガロ一座の Tryptik (トリプティク)は、人は勿論、馬も演技する、文字通り人馬一體のスペクタクル。甚だ殘念乍ら、小生は觀に行けず。
 扨、一昨日空振りに終はりし Tout est bien qui finit bien (作・William Shakespeare/演出・Pierre Beffeyte ピエール・ベフェット)を觀に行く。本日は天氣も晴れ勝ち、氣温もマアマアなれば、晝過ぎよりサン・ランベール公園に出掛け、立ち入り自由の芝生の上で資料を讀めり。學童保育らしき子供集團に取り圍まれたりしつゝ、居坐わること 6 時間、20 時半になりたれば、野外劇場の受付に行きチケットを購入。この頃より次第に雲行きが怪しくなりたるが、開演前、逐にピカ・ゴロ・ザーッと沛然(はいぜん)たる夕立なり。
 21 時。受付前には些かの人集(だか)り出來たるも、制作の人の、今晩は上演します、準備出來次第呼びますとの聲で、一旦散會。15 分遲れで開場となりぬ。
サン・ランベール公園 繩跳びっ子 赤パンツ、黄ワンピ 學童保育
サン・ランベール公園。奧の木立の中に野外劇場あり 繩跳びてふより、繩縛り 赤黄姉妹 二人一組になりて歸る學童保育。流行りのズボン、即ち、側面にポケットある「職人仕樣」を穿きたり。親の趣味か?
公園入り口の一つ 劇場背後 受付と樂屋 狐の嫁入り
サン・ランベール公園出入り口の一つ 劇場を背後。1kw の照明 (DF) 付けられたり 右端受付、正面の簡易テントは上手樂屋 驟雨のサン・ランベール公園。向かふは晴れたり
客入れ中 照明群 下手側 西の空
21 時過ぎ。まだまだ明るし 客席背後の照明群。この下が照明・音響ブース 後に我々の待避場所となる木々と下手樂屋 この頃は未だ晴れたり
第 1 場 舞臺轉換 イタリア戰場の場 木の變裝
メイン舞臺は、手前の假設のもの 一同總出で舞臺轉換中。この間 BGM あり 初めて奧の舞臺使用。イタリア戰場の場 かぶり物登場
ラストの場 ザヾ降り 再開後の舞臺 常設舞臺
小雨の中、愈々大詰め 俄に落つる大粒の雨。裝置も待避中 どっこい再開。裝置は無し 奧の常設舞臺
雨のエッフェル塔 區役所前廣場
公園前から見えるエッフェル塔。但しぶれぶれのぼけぼけ 雨の 15 區役所前廣場
 中を見るに、舞臺奧は常設の野外舞臺にて、客席こそ假設とは云へ、450 は收容可能の堂々たるもの。そこに、80 ばかりの觀客の散らばりて、愈々開始。
 若手中心の輕快なる演技にて、シェイクスピアの、これは單なる喜劇には分類されてをらぬ作品を、喜劇にウェイトを置きて料理。サクサクと進み行きて、芝居は大詰めに。
 と、カメラのフラッシュが。と思ひたるは、さう、稻妻にて、頭上を見上ぐるに、再び、暗雲の垂れ込めたり。忽ち雷鳴の轟きて、次第に頻度を増せりと思ひきや、ポツポツと雨落ち始む。あちこちにて傘開くも芝居は續行。嘗て小生も雨中の野外劇を役者として經驗したれど、觀客として傘差しつゝは初めてなり。そして、最後の場面に這入り、ラスト 5 分前、忽然と雨粒の飴玉程になりて落ち來れば、客席燈り(とは云ふても、スポット 4 發)點き、芝居の中斷を知らす。役者の「え、中斷?」てふ顏に、客席より拍手と bravo。殆んど終演の如し。その後、わらわらと客も役者も待避、役者は樂屋へ、我々は、木の下へ。その間、舞臺監督らは、裝置の養生に大童。
 待つこと暫し、雨足次第に鈍りて、小雨となりたるところで、逐に再開。再び、拍手と bravo。客は戻りはせるものゝ、椅子は水溜まりとなりてあれば、腰を下ろさぬ人多く、すると後からも坐わってゝは見えぬので、矢っ張り立ち上がりてふ式に。裝置は水浸しを避けて縱置きにされ養生シート掛けられたりせば、舞臺に復歸の裝置は玉座のみにて、ラストの場面より再開さる。そして、未だ小雨パラつける中、23 時 30 分、大團圓。正に「終はり良ければ全て良し」。


2000/07/07
 日本にては七夕なれど、こちらは前夜より雨、そして雷。日本もか。
 昨晩、シラク大統領、「大統領任期 5 年案」(quinquennat カンケナ)を「國民投票」(référendum レフェランドム)に掛けんと決意、皆んな投票に行ってねと宣傳。尚、投票は 9/27。
 周知の如く、フランスでは徴兵制廢止され、青年の一日入隊を以ってこれに代へたり。これは、今迄徴兵の對象外なりける女の子達にも適用され、この 4 月、全國の女の子達がどっと體驗入隊せるが、今日のニュースにては、 フランス初の女性ジェット戰鬪機乘り、その名も Catherine Aigle (カトリーヌ・エーグル [aigle は「鷹」])孃 25 歳のことを流しぬ。


2000/07/08
 晝、天氣のぐずつければ、斜向かひのイタリア料理屋にて晝食。ト、鮮やかなるオレンジのフード付きダウンジャケットに、オレンジのセーター、オレンジのスカートてふ五分刈り頭にグラサンてふ出で立ちの女性、こちらは普通のリーマン風の若い男性と這入りきたり。頭と衣裳の色のみ見れば、殆んどチベット佛教の尼さんの如けれど、よも徒者(たゞもの)にはあるまじ。嘗て近所なりける N さんより、Brigitte Fontaine のほん近所に住まひたると聞けるが、これぞかの人なるか。小生、CD は持ちたれど、最近のスッピンの顏などは知らず。鄰の女性は、紅茶を頼み、男性相手に訥々と喋りたる後、いづこかへ去れり。
 夜、A 孃と晩飯。シャトレの「日本料理店」にて、「魚のしゃぶしゃぶ」が喰ひたいてふ A 孃の望みにより、鍋を喰ふことに。小生は、「魚のしゃぶしゃぶ」はありやなしやと問はれて、そんなもんはないと答へたるが、店のマダムはあると答へ、出てきたるは鍋料理なりき。成る程、「しゃぶしゃぶ」を湯に通すてふ意味に取れば、慥かに鍋はさうなり。其處迄は氣の到らず。
 現在 à la mode (ア・ラ・モード 流行中)の「日本」、日本料理屋も林立すれど、大半は中國系の經營せるものにて、こゝもさうなり。
 ビールにサッポロのありてへるに、頼んでみれば、これはライセンス製産によりヨーロッパで作られたるモノにて、味は本場モンと些か異なれり。が、マダムは日本のビールだと主張。マダム、それはラヴェルだけだよ。他の銘柄もさうならん。勿論、生中など、望むべくもなし。
 食後、例のユシェット通りなるジャズ屋さんへ。この Caveau de la Huchette は、現在發行中の日本語情報誌『OVNI』7/1 號にも記事でたり。この記事によれば、開店は 1946 年にて、晝間は Be-Bop (ビ・バップ 1940 年代に生まれたるジャズの一スタイル)のダンス教室となれりてふ。入場料は、平日 60ff、金土と休日の前夜は 75ff。ドリンクは、ジュース等 26ff、ビール 30ff、安ウィスキー 35ff、バーボンは 45ff と、些か高めなり。萬事思ったことは口に出る A 孃、バーテン氏に、「こゝは高い、けど sympa だ」と云ひて、一瞬天使を通過せしむ。彼女は、先の日本料理店にても、デザートのお菓子が年々小さくなってると云ひて、マダムをむっとさせたり。流石なり。
シャルヽ・プレヴォー・ウォシュボード・グループ 壁際のベンチ 滿席のカーヴ ボーン奏者
バンド・ボックス。右端が「バンド・リーダー、にも拘らず我々の友人」と紹介されたるシャルヽ・プレヴォー、とその洗濯板 ベンチにゐ流れる壁の花々。女性はダンスに誘はれること多し カーヴの奧まで人で一杯 歌も唄ふトロンボーン奏者
踊る人々 サックス奏者 カーヴの奧 カーヴの天井
ぶつかり合ひ乍ら踊る人々 アルトサックス奏者 上でビール抔購ひて來て呑む人も多し。壜割れたり、ワイングラス倒れたりす 16 世紀の遺物? カーヴの天井
曲の合間 バグパイプ
曲の合間に一息つく人々 サックスをバグパイプに持ち換へてインプロビる
 地下のカーヴに降りてみれば、何と、階段に迄人の溢れたり。然り乍ら、そこは A 孃、そんなことはものともせず、掻き分け掻き分け、バンドの前に出づ。場所ないねと云ひても、C'est pas grave. (セ・パ・グラーヴ だいじょぶ)と輕(かろ)く答ふ。
 本日は雨のせゐか、些か肌寒き日なれど、こゝは熱氣ムンムン。にも拘らず、コート着てる人とか、カーディガン羽織りたる人とか、革ジャケット着て踊りたるをぢさんもあり。勿論、汗腺の特別少ないてふ譯には非ざるゆゑ、一曲踊り終はりたる後は、玉の如き汗をだらだら流せり。何故脱がぬ。解せぬ心情なり。
 本日の生バンドは Charles Prévost Washboard Group にて、ウォッシュボード即ち金製の洗濯板を鐵の爪でシャラシャラ掻き鳴らすリーダーの率ゐたる 5 人編成なり。
 1 囘 30 分程のセッションを一晩で 4 度こなす。途中、女性ヴォーカルのゲストや、トランペッターのゲスト、最後は偶々來たサックス奏者の友人がヴォーカルで飛び入り。が、最後の曲で、ピアノにソロを取らせる暇を作らず歌が終はりてしまひしため、サックス奏者は大いに不機嫌になり、些か險惡なる雰圍氣のまゝ、最後の挨拶もなく有耶無耶のウチに最終の囘終了。午前 3 時半。我々は歸途につけるが、大半のお客さん達は、まだまだこの後も 4 時迄踊り續ける樣子なりき。


2000/07/10
 ネット上のニュースを眺むるに、アメリカの人氣ポップ歌手、Britney Spears (ブリトニー・スピアーズ) の、結婚決定てふ報道あり。相手は公認の戀人、N'Sync なるドンバの Justin Timberlake (ジャスチン・ティンバーレイク)にて、彼女 18、彼氏は 19 なり。婚約との噂に英皇太子と結婚したいなどてふ發言もせる彼女なるが、またしても「ヤンマヽ」か?
 ポップス、アニメ、ファッション等、今やアメリカ文化にどっぷり浸れる(何故か、ベースボールだけは流行らぬ)こゝおフランスの女の子達にもブリトニー大人氣にて、若者向け藝能雜誌(昔年の『明星』『平凡』の如きもの)には、このブリトニーと、テレビ・シリーズ Buffy (ホラー系ヤング・ドラマ)のヒロインにて人氣を博せるこれ亦アメリカの Sarah Michelle Gellar (サラ=ミシェル・ゲラー)の顏、毎月缺けたることなし。
流行りモン スポーツ野郎 ブリトニー・ファン
流行りモン
(Le Genre branché en tous genres)
スポーツ野郎
(Le Genre sportif)
ブリトニー・ファン
(La Fan de Britney Spears)。「ウッドストック」とは勿論 1969 年 8 月 16 日、 30 萬人を蝟集せしめたるロック音楽祭
貧乏ちゃん ラッパー アベコベちゃん
貧乏ちゃん
(La Pauvresse)
ラッパー
(Le Genre rappeur, qui paye pour sponsoriser de marques)
アベコベちゃん
(La Contradicroire)
 ブリトニーの人氣の凄さは、坊主頭と耳ピアスこそ些かア・ラ・モードなるが(本人曰く、坊主にせるは單なる實用性の問題なり)、日本がア・ラ・モードになる以前より尺八の音を愛で、太宰と安吾を愛讀、北齋の「赤富士」をパソコンの壁紙とし、ポップスはゲンズブールのみ(これは F 君の言)てふ、仙人の氣風を漂はす V 君迄もがその名を知りたることによりても明らかなり(但し、名前のみ。未だ 18 歳だと教へてやりたれば、頗る驚きぬ)。
 些か遲き話題なるが、雜誌 Le Nouvel Observateur (ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール)の臨時増刊號 Les Nouveaux Ados -- Ils le sont plus tôt, ils le restent plus tard -- (レ・ヌーヴォー・ザド 新しい若者達――早くさうなり、長い間さうでゐる――)の最初に、昨今の若者裝束の戲畫的に描かれたるモノありけるが、そこにも「ブリトニー・ファン」てふものあり。ナカナカ面白ければ、無斷轉載は出來ぬゆゑ、拙畫にて紹介。
 この特集は記事も面白く、若者と携帶電話とか、若者言葉、若者の讀書傾向、更には、日本の「オタク」について迄載りたり。
 F3 では、7/1 日スタート、一ト月掛けてフランスを巡る自轉車競技、かの Tour de France (トゥール・ド・フランス)2000 の中繼流せり。本日は胸突き八丁の難所、les Pylénée (ピレネー山脈)越えの日なり。あやにくの雨に濡れたる田畑裡の田舎道を、殆んど一絲亂れぬ状態にて、自轉車の群の進みゆきぬ。日本でも CS にては中繼せるらしが、これ、フランスの田舎を生で見られる數少ない機會ならん。






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