巴里便り

L'Ile Saint-Louis 篇

(2000/07/01-04)


2000/07/01
 前日、A 孃より電話ありて、母親の誕生日祝ひをするが、來るかてふ。彼女には研究用會話コーパスを記録したいと云ふてありせば、それを慮(おもんぱか)りてのお誘ひなり。一も二もなく oui と答(いら)へ、本日朝より、デジタル・ヴィデオ・カメラ (le camescope numérique ル・カメスコープ・ニュメリック)抱へて、A 孃が車中の人となりぬ。
 扨、どこに行くのかと改めて問はゞ、パリより 160km 程南、Bourgogne (ブルゴーニュ)地方の北端なる Sens (サンス)なる街てへり。訊けば、彼女の母と祖母はパリ、彼女の姉とその彼氏はブルゴーニュの東端 Dijon (ディジョン)にて、彼氏のご兩親は、お鄰 Centre (サントル 中心)地方なる、ジャンヌ・ダルクで有名の Orléans (オルレアン)の人なれば、三都市のほゞ中間點を取れるなり。
フランス地圖 サンス周邊
パリとサンス 三都市。地圖はIsmapから(何と日本語頁もあり。言葉一寸變だけど)
 南へ向けてポルト・ディタリ(イタリア門)へと向かふに、A 孃、ルノーの修理工場 (garage ガラージュ)を見たら合圖せよてふ。何故かと問はゞ、タイヤ (pneu プヌー= pneumatique の略)を交換する必要ありとの由。結局、チェーン店の自動車整備店にて、大層待ちたる擧げ句、前輪を交換。待てる間、道路を走る自動車の多さを訝(いぶか)りたる A 孃、本日が 7 月 1 日、即ちヴァカンスの初日たることを悟る。流石粗忽者の彼女、其をすっかり失念せるなり。
 高速道路 A6 にて Orly (オルリー)空港をかすめ、École de Barbizon (エコール・ド・バルビゾン バルビゾン派)で有名なる Fontainebleau (フォンテヌブロー)の森を突っ切り、「一寸だけ」遲刻してサンスの中心なるレストランに着きぬ。
 時間通りに會食を開始せる一同は、既にメインディッシュに取り掛かりたり。出席者は、A 孃のお姉ちゃん N さん、その子の L ちゃんと、彼氏の B 氏とその間の子供 G くん、A 孃のお婆ちゃん MN さん、本日の主賓たる A 孃のお母さん D さん、その親友たる矢っ張り D さん(同じ名前なり)と我々。誕生日祝ひとは云ひ條、ホントの誕生日は 5 月にて、各自の都合によりこの日になれりてふ。
 N さんと B 氏は入籍してないらしく、L ちゃんが、自分の弟の父親を名前で呼ぶのが些か面白し(尤も、小生も Yoshi と呼び棄てなるが)。昨年 10 月に PACS (パクス 同棲せる異性・同性カップルを法的に認むる法律。pacser (パクセ パクスする)てふ動詞も新聞の見出しに載れり)の可決されたるも、斯樣なカップルの普通となりてきたる所以ならん。
元水車小屋 川の流れる庭
元水車小屋 川の流れる庭。この先にバーベキュー用の場所あり
前の通り 小生の部屋
前の通りは rue de Moulin (ムーラン=粉挽き水車小屋)通り 小生の部屋。ツインを獨り占め
 食事の後、サンスと同じく、Auxerre (オーセール これがフランスにあるにも拘らず、Bruxelles を「ブリュクセル」と發音するフランス人多し)を縣廳所在地とせる Yonne (ヨンヌ)縣内、サンスより 20km 東の Foissy sur Vanne (フォワスィ・スュル・ヴァンヌ)の民宿 (gîte ジット)に到る。こゝは水車小屋を改裝せる所にて、キッチンこそ一つなれど、豪華なる寢室を幾つも持ち、部屋によりてはトイレ・バスも備はりたるものにて、嘗てはパリの人なりける 70 のムッシューと 52 のマダムが經營せり。料金表に依れば、朝食付き 1 人 1 泊 315ff、2 人 365ff、3 人なら 415ff なり。
 庭に出て暫しまったりせる後、B 氏に誘はれ、街まで麺麭を買ひに。眞(まこと)に鄙びた街にて、商店街は、殆んど店を閉めたり。
 宿に戻りて後、言葉のレヴェルに於いては最早六歳兒にも及ばぬ小生、六歳半の L ちゃんとボール投げにて遊び、汗だくとなりぬ。
 軈て、庭にて、バーベキュー・パーティの用意。一切は B 氏が仕切れり。
 途中雨のパラつきて、どうなるやと思はしむれど、軈て雨も熄(や)み、目出度く晩餐となる。宿のムッシュー&マダムも招待してありせば、ムッシュー、次々とワインを差し入れて下さる。學生時代ロシア語をやりたる D マヽはなかなかインテリにて、これ亦インテリ風の宿のムッシューと、如何なる話の運びにや、シャトーブリアンの Atala (アタラ 1801 年作)について議論を始む。暗くなりて後は、電氣スタンドを庭に引いてきて迄、會話を續く。明かりを點けるや、蟲の澤山寄り來て、濛々たる煙の立ち上りたれば、ムッシューは「蚊 (moustique ムスティク)のバーベキューだ」とか云ひて濟ましたり。
 小生が言語(げんぎょ)の學やれりと知りたるマダム、何やら訊きたげなりしかど、話題は、ロシア語に較べてドイツ語の發音が快からずてな方に行きて還らず。そのまゝ、宴は果てぬ。


2000/07/02
古い小屋 川邊
部屋から荒れ小屋を望む 川邊の景色
麥畑 L ちゃん
散歩の途中にて。廣大なる麥畑 カメラに向かふと必ず何かする L ちゃん
 翌朝は 8 時に朝食。これは宿代に込みらし。巨大なる bol (ボル)になみなみと珈琲もしくは紅茶を注ぎ、クロワッサン、ブリオッシュ、バゲットに、バター、ジャム、蜂蜜抔塗りて食す。
 食後は、そのまゝ雜談に突入。A 孃、大切なるギターを持ち來あれば、昨日より聞かせて聞かせてと云はるゝも、庭は濕氣があるからと斷りたるが、本日は愈々、食卓にギターを持ち來たりて、數曲を奏づ。されど、皆は歡談に夢中で、殆んど聞かず。A 孃も、左樣な状態を氣にせず彈けり。これぞフランス人ならん乎。
 その後一部の者で散歩。この邊は玉蜀黍(maïs マイス)畑や麥畑の廣がりたる農村なり。水車小屋も勿論、元は粉挽きに用ゐられしものならん。
 戻りて、再び各々勝手に過ごす。と、B 氏のご兩親現る。L ちゃんは、この老夫婦も prénom 小生、B 氏と共に水と麺麭を買ひ出しに行き、戻りたるや、再び L ちゃんの遊び相手とされ、汗をかきたるところで、晝食。再び庭にてバーベキューなり。
 扨、食後、G ちゃん 1 歳の誕生日も祝ひし後、D マヽの友人 D さんは、別の用事ありとてタクシーにて出發。我らは暫しまったりせる後(實際は、又しても L ちゃんの遊び相手として、鬪牛ごっこなどさせらるが)、出發。宿のムッシューと小生は、互ひに知る限りの言語で「さよなら」を云ひて訣る。
サンスの市 サンスの教會内部
サンスの中心部。市開かれたり サンスの教會内
教會前の通り こゝは未だ國道
サンス教會前の通り 一路パリへ
 サンスに戻りて、教會を見學。例の大革命による佛蘭西式廢佛毀釋運動によりて、尖塔の左側が無くなりてあり。パイプオルガンのリサイタルあれど、見ず。こゝにて散會。出發。
 來た道を再び戻るに、途中驟雨に遭ひたりしつゝ、フォンテヌブローに到りし所にて、窓から三色旗突き出して走りたる車を發見。即ち、今晩こそ、EURO 2000 杯の決勝戰(finale フィナル)、「フランス vs イタリア」戰なり。A 孃、ハタと思ひ當たりて、こいつら皆んなパリへサッカーを見に歸らんとせるにやあらん、されば澁滯するは必定(ひつぢょう)、それくらゐなら、フォンテヌブローを散歩せるがマシ、とて、ハンドルを右に切り、一路フォンテヌブロー市内へ。
 フォンテヌブロー城をぶらつき、近所のカフェにて一服。古い物好きの A 孃は、とある古物屋のショーウインドーに安藤廣重の「東海道五十三次」あるを發見、最初は中國の版畫か抔と尋ねたれど、小生が日本の江戸時代のなりてへば、早速店に入りて、主人に値段を尋ぬ。6000ff、即ち最近のレートで 10 萬圓弱なり。その後、A 孃と、あれは本物か否かにつきて問答す。
 フォンテヌブローを出發、所が、直ちに澁滯となれば、こんなの初めててふ A 孃、絶對パリ迄續きたれば、暫し待つが最良なりとて、路肩の待避ゾーンに駐車してしまひぬ。
フォンテヌブロー城 フォンテヌブロー城の庭園
フォンテヌブロー城。左右がアシメトリー フォンテヌブロー城のフランス庭園
フォンテヌブロー公園の孔雀 澁滯
何故か放し飼ひの孔雀あり 高速の澁滯
 A 孃のルノーのラジオは故障してあれば、サッカーやニュースは勿論のこと、ハイウェイ情報も入らず。待避ゾーンに駐車せる故障車のマダムに訊けど、埒は開かず。軈て、フランスの JAF の如きが現れて、マダムの車を修理せるに、その隊員に尋ぬれば、この道は毎週末こんなだ、と答ふ。單に A 孃の知らざりしのみ。
 出發してみれば、オルリーより先はすいすいと流れ、サッカーのラスト前にサン・ルイ到着。と同時にワアと頭上のアパルトマンよりどよめきの起こり、下のベンチにゐたカップルの、見上げて、何對何だと問へば、1 對 1 と答ふ。ラスト 1 分、フランスのミラクル・ゴールなり。
 部屋に戻りてテレビを點ければ、大統領も首相も觀戰せる中、延長に突入。軈て、フランスのゴール決まりて、奇跡の逆轉 V。窓を開きて前の通りを眺むれば、早速驅け出してく人あり。恐らくシャン=ゼリゼへと向かふならん。斜向かひの窓開きて、マダムが、小生をみてガッツポーズとれり。これで今晩は大變な騷ぎならんと、セーヌ河畔らしきクラクションの祝砲を聞きつゝ思ひぬ。


2000/07/04
體操部 バイクの曲乘り モンパルナスの交叉點 テアトル・ド・ポーシュの入り口
スィテ島の警察署、何やら今日はお巡りさんの多量に存在せるなと思ひたるに、横の廣場にて、フェスティヴェル開かれたり。これは體操部? 白バイ隊によるバイクの曲乘り モンパルナスの交叉點 テアトル・ド・ポーシュの入り口
中に進む 一杯の觀客 ノートルダムと虹
中に進むと 觀客既に一杯 歸り道、ノートルダム横に虹を見る。古來虹は凶兆なるが……
 『パリスコープ』によれば、15 區なる Square Saint Lambert (サン・ランベール公園)にてシェイクスピアの Tout est bien qui finit bien (トゥー・テ・ビヤン・キ・フィニ・ビヤン)、即ち All's Well that Ends Well をば野外にて行なへり。本日が初日なれば、早速出掛く。
 オテル・ド・ヴィルより出る 70 番のバスにて、15 區の區役所前下車、擂り鉢型の公園の端に假設舞臺と客席あり。行きて見るに、何と、公演日程、『パリスコープ』のと異なりて、初日は明日。がっくし來つゝも、この時間から間に合ひさうなる劇場を調べるに、かねてより氣に掛かりける Théâ de Poche (テアトル・ド・ポーシュ ポケット座)の Après la pluie (アプレ・ラ・プリュイ 雨の後で)に急ぐ。
 60 階建ての高層ビル、エッフェル塔を僅かに凌ぐ Tour Montparnasse (トゥール・モンパルナス モンパルナス・タワー)の斜向かひ、130 席の小屋を二つ擁するこの劇場は、ビルの狹間を這入りたるところにあり。扨、着きてみれば、觀客多し。些か不安になるも、受付にチャレンジ。が、完賣にて、あっさり斷らる。再びがっくし。この芝居、昨年度の最優秀喜劇戲曲賞か何か取りたるものにて、人氣高きこと、後に知りたるが、後の祭りなり。






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