巴里便り

L'Ile Saint-Louis 篇

(2000/06/20-21)


2000/06/20
GEL2000 二人乘り乳母車 サン・トゥーアン中心部 市役所南側の建物
膃肭臍印の GEL2000(ジェル・ドゥー・ミル)は surgelé (スュルジュレ 冷凍食品)のみを扱ふスーパー 對面シートの二人乘り乳母車 サン・トゥーアン中心部。スーパーの上はスケート場 市役所南側の建物
市役所東側の學校 お店屋さん エルネスト・ルナン通りのホテル パルマンティエ通りの窓
市役所東側の學校 お店屋さん Ernest Renan (エルネスト・ルナン)通りのホテル Parmentier (パルマンティエ)通りの窓
パルマンティエ通りの窓 II 角の丸い建物 向かひ側の建物 角のカフェ
パルマンティエ通りの窓 II メトロ Garibaldi (ガルバルディ)の上の六叉路の角なる建物 向かひ側の建物 左の雙子ビルの反對側の建物。右側が Charles Schmidt (シャルヽ・シュミット)通り。彼方に見ゆはサクレ・クール
エドガール・キネ通り クレベール通りの壁 兄弟 コンポアン袋小路の古扉
Edgar Quinet (エドガール・キネ)通り Kleber (クレベール)通りの壁 兄弟 Impasse Compoint (コンポアン)袋小路の古扉
コンポアン袋小路の古屋 ガンベッタ通りの家 ウジェーヌ・リュモー通りの豚肉屋さん レストラン
コンポアン袋小路の古屋 Gambetta (ガンベッタ)通りの家 Eugène Lumeau (ウジェーヌ・リュモー)通りの豚肉屋さん クレベール通りと Mathieu (マチュー)通りの角のレストラン。勿論營業中
ガブリエル・ペリー大通りのカフェ 向かひ側の麺麭屋さん 南側から見たるカフェ ポルト・サン・トゥーアンの降り口
Avenue Gabriel Péri (ガブリエル・ペリー)大通りのカフェ 向かひ側の麺麭屋さん 南側から見たるカフェ メトロ、ポルト・サン・トゥーアンの降り口
 夕方(と云ひても陽がカンカン)より郊外散策に。行き先は嘗て蚤の市の後ぶらつける Saint-Ouen (サン・トゥーアン)。85 番のバスにて終點サン・トゥーアン市役所前に行き、そこから南下。ペリフ(環状道路)を越えてパリ市内に入り、Porte de Saint-Ouen (ポルト・ド・サン・トゥーアン)に到る。こゝ始發のバス 81 番線にて Havre-Haussmann (アーヴル・オスマン)へ。席を立たんとするに、通路側に坐わりたりしちんまりした老婦人にモガモガ口調にて「次で降りるのか?」と尋れられゝば「然り」と答ふに、「私もである。これって、幸ひにも (heureusement) ではないか、え?」と訊かる。「いや全く」と答へて共に下車す。
 扨、こゝよりメトロ 9 番線にて Saint-Ambroise (サン・タンブロワーズ)へ。11 區は rue du Général Blaise (ブレーズ將軍通り)なる Aktéon Théâtre (アクテオン・テアトル)に芝居を觀に行くためなり。
 地圖を改むるに、こゝは嘗て來りしモーリス・ガルデット公園(スクワール)の向かひなり。サン・タンブロワーズから歩くこと 5 分程にて到着。20 時開演なれば、1 時間餘を公園にて過ごす。
 この劇場は、連日 2 本立てなれば、2 枚のチケットを購ひて、客席へと入れり。
 1 本目は La Compagnie des Kütchük's (ラ・コンパニー・デ・キュチュクス [?])と Audience Production (オーディヤンス・プロデュクスィオン)の Les Mangeuses de Chocolat (レ・マンジューズ・ド・ショコラ チョコレート喰ひの女たち)(作・Philippe Blasband フィリップ・ブラスバン/演出・Stéphane Douret ステファヌ・ドゥーレ)てふ作品。ウイング・フィールドを思はしむる、間口 3 間、奧行き 2 間、タッパはバトン迄 1 間半の小さな舞臺は素舞臺にて、椅子の 4 脚竝べられたるが裝置、地明かりは 7 燈のみのシンプルな舞臺なり。
ローラー少年 マグレブ系姉妹
ローラー少年 マグレブ系姉妹
ケンパっ子 I ケンパっ子 II
公園の地面に描かれたるケンパをやる子 同左
 通路にて既に芝居が開始さる。即ち、這入り來る客に、バインダとチョコレートの入りたる籠を持ちたる一人の女性が" Tu t'appelles comment ?" (チュ・タペル・コマン? 名前なんていふの?)と一々尋ね、答へると、チョコレートを渡し、お坐わりくださいと云ふなり(こゝで、tutoyer (チュトワイェ tu で話す)してる理由は、後に芝居裡で明らかにさる)。軈て、客と共に、女優の入りて、芝居が始まりぬ。
 舞臺は「チョコレートを食べるのを止めたい人たちのためのセラピー」會場にて、最初の女性はその司會者にて、皆んな心を開いて、私たちは共同體なのよ、抔てへり。舞臺には他に、お婆ちゃんがユダヤ人の反ナチ・レジスタンスの鬪士にて、家にチョコレートを山ほど備蓄せる結果、その息子(即ち、彼女の父親)がチョコ嫌ひになりてしまひけるヤンキー(アメリカ人に非ず)女、大仰な妊婦、頭の囘轉のトロイ女の子が個々の問題を抱へて登場、司會者は懸命にセラピーを續けようとするも、あれこれ邪魔の入りて、最後は、司會者に心の問題の克服體驗を聞くことになり……てふハナシ。
 1 時間の短篇、ダハヽと笑はせ、最後にシンミリてふ王道なりて、客ウケ上々。キャパは 100 程が滿席に近く、熱氣ムンムン、役者も觀客も流汗淋漓なりけり。
アクテオン・テアトル オモチャの自動販賣機
ピンクの壁のアクテオン・テアトル 近所のお店の壁なる「ガチャガチャ」。多分故障中
アクテオン・テアトルのドリンク・コーナー アクテオン・テアトルのロビー
アクテオン・テアトルの bar (バール) 小さい乍らもロビーあり。椅子は映畫館式の立派なもの
 次の芝居までの合間、劇場のロビー(椅子もあればドリンク・コーナーもあり)にて待ちたるに、4 人の女優さん達、すっかり普通のパリジェンヌとなりて現はれ、お客さん達と歡談す。矢張りチケットの賣れ先が知り合ひ縁者なるは、日佛同斷なり。
 2 本目は L'Instant fatal (ランスタン・ファタル 運命の瞬間)の La Tragédie comique (ラ・トラジェディ・コミック 喜劇的悲劇)(作・Yves Hunstad イヴ・アンスタ & Eve Bonfanti エヴ・ボンファンティ/演出・Eric Prévost エリック・プレヴォー)、Serge Thiriet (セルジュ・ティリエ)の一人芝居なり。
 舞臺には劇場用の幕が吊られ、その脇に臺本を載せたる譜面臺。妙テケレンな恰好の役者がツケ鼻を付けて登場、即ち、「役」なり。この「役」が、自らを演じてくれる「役者」を探すてふのがオハナシの發端。彼が發見せるは、一人の赤子にて、この子が長じて芝居に志すやう、アレコレするのが可笑しい。25 年後、男の子が長じて役者となりてからは、ツケ鼻を取ると「役者」、ツケ鼻付けると「役」と目まぐるしく、最後は「役者」のために「愛」を求めて大遠征、結句、「役」が「役者」を獨り立ちさせるてふ一種の Bildungsroman 教養小説なり。
 90 分の一人芝居を飛び囘り且つ多數の役を演じ分け、SE も口でやりと、實に體力芝居なり。も少し短く出來るならんとは思へど、良く出來た芝居なりき。
 因みに、チラシの裏面を寫すと:「自らの作者のテクストから飛び出した、その役をコントロールできない役者、大掛かりな空想舞臺美術、頑固な舞臺監督小さな座布團、ドン・キホーテ、偶然、そして60 億の人物が舞臺に結集、前代未聞公演と演劇史上嘗て無い臺本のために」
 詰まり、これを一人で演じたるわけなり。
 終演は開演のオシに合はせて 23 時過ぎ。コヤの外に出づれば小雨の降れる空とはなりぬ。


2000/06/21
 本日は La Fête de la musique (ラ・フェット・ド・ラ・ミュズィーク 音樂の祭典)にて、各所で無料コンサート開かれぬ。Palais de l'Élysée (パレ・ド・レリゼ エリゼ宮=大統領官邸)前にては、昨年 Michel Berger (ミシェル・ベルジェ 故人。France Gall の旦那)をカヴァーせる曲が大ヒットの Véronique Sanson (ヴェロニク・サンソン)、Place République (レピュブリク廣場)にては英バンド Oasis (オアズィス)など。尚、このレピュブリクのは、毎年大物ロッカーを呼ぶので有名なり。
 一方、ノートル・ダム前、ヴォージュ廣場などの主要廣場にも簡易舞臺の設けられ、招待音樂家達の簡易コンサートあり。加へて、路上に機材を竝べたるロックバンド到るところに見ゆ。最も簡便なるは、ギター一本、太鼓一個、思ひ付きし處にて直ちに演奏を開始せる即席コンサートなり。屋臺も出現、斯くしてこの夜はパリ中縁日の如し。あちこちに人山の生まれ、縱ノリ、コーラス、勿論ダンスあり。
セーヌ河畔の太鼓人 ノートルダム廣場の特設ステージ ノートルダム廣場の屋臺 サン・ミシェルの噴水前
ノートルダム横のセーヌ河畔。太鼓叩ける人あり ノートルダム廣場の特設ステージ ノートルダム廣場の屋臺。柵の中に開店するらし ごった返すサン・ミシェルの噴水前。スピーカーの出でたり
サン・ミシェルの噴水前の太鼓 ジベール・ジューヌ前 トラック荷臺ラッパー 見物親子
サン・ミシェルの噴水前のアフリカ太鼓 サン・ミシェル、ジベール・ジューヌ「語學・文學店」前 サン・タンドレ・デ・ザール横廣場。トラックの荷臺のラッパー それを見る親子
オデオン・メタル オデオン・メタル II 學校通りのバンド アンリ・モンドール廣場の屋臺
オデオン驛上のメタル・バンド 同じく。但し準備中 パリ第 5 大學(左側)前のバンド オデオン驛上、Henri Mondor (アンリ・モンドール)廣場の屋臺
オデオン・メタル III オデオン・テープ オデオン・ロック オデオン・アコギ
準備中バンド 一人で出來るテープ・バンド(?)。客も一人 R さん曰く、去年も同じ場所にゐたるロック・バンド Carrefour Odéon (オデオン四ツ辻)のアコースティック系
オデオン・フォーク オデオン・アカペラ ズージャ・ドンバ エドモン・ロスタン廣場
オデオン廣場のフォーク系。凄く遠巻き オデオン座裏のアカペラ・コーラス。その場で樂譜を配りたり リュクサンブール公園の北側 Rue de Médicis (メディスィス)通りのジャズ・バンド ごった返す Place Édomond Rostand (エドモン・ロスタン廣場)
サン・ミシェル・ボンゴ オデオン・ロック II 燃え立つ屋臺 噴水の彫像に上る人々
サン・ミシェル大通りのボンゴ青年達 再びオデオン四ツ辻 オデオン驛前の屋臺。がうがうと燃え立つ サン・ミシェル噴水前。彫像の處に昇りたる人々
パレ大通りの人々 スィテ・ギター ノートルダム廣場 ノートルダム・えぢゃないか
サン・ミシェル橋を渡りて、噴水を望む。勿論、歩行者天國に非ざるゆゑ、車も通れど、歩行者の天下 スィテ驛上のギター彈きを圍む見物客 ノートルダム廣場 ノートルダム通りをやってくる群衆
ノートルダム・サンバ ノートルダム・包圍網 アルシュヴェシェ・サンバ 流れるサンバ
實はサンバ隊を圍む人々。繋がりたり 知らずに通り掛かり、包圍されし車。呆れ顏の運轉手氏 ノートルダムの東側、不斷は觀光バスで溢れるアルシュヴェシェ河岸通りに、サンバ隊が ちゃんと衣裳・化粧あり
アルシュヴェシェからフルール河岸通りへ 包圍されたるサンバ隊 サン・ルイ・サンバ サン・ルイ・ディスコ
アルシュヴェシェからフルール河岸通りへ行進せるサンバ隊 踊りに加はる人々次々増え、すっかり包圍されしサンバ隊 サンバ隊、サン・ルイに上陸。踊りまくる人々 ディスコ状態
 この祭典、1982 年以來、毎年 6 月 21 日に開かるゝものにて、當然の如く文化省の肝煎りなり。當時の大臣は「祭り」好きの Jack Lang (ジャック・ラング)ならん。彼はこの他、Printemps de... (〜の春)シリーズも創設せり。社會黨の有力候補として來年のパリ市長選に意欲を燃やせるも、この度の内閣改造におきて國家教育相の座を貰ひ、あっさり市長選候補を辭退、些か評判を落とせるらし。
 何ゆゑこの日なりやと云へば、この日は實際の「夏至」、即ち最も日の長き時にて、以後再び日照時間の短くなりゆけば、古來、諸々のお祭りの行なはれたるに因りたるなり。テレビガイド誌『テレポシュ』の記事に依れば、6 月 24 日に行なはる Les fête de Saint-Jean (レ・フェット・ド・サン・ジャン 聖ヨハネ祭)の傳統に、le solstice d'été (ル・ソルスティス・デテ 夏至前夜)及び非キリスト教習俗に引っ掛けたるものゝ由。因みに Shakespeare の A Midsummer Night's Dream 即ち「夏至前夜の夢」が、この晩、妖精やモノヽケ等の「この世ならざるモノ」(être surnaturel) のこの世に現はるてふ傳承を基にせるは良く知られたるハナシ。
 「オンガク命」の A 孃よりメールにてお誘ひありて、20 時にオデオンにて待ち合はせ、嘗て晩餐をご馳走になりたる O 氏夫人の R さんと三人で出掛く。A 孃のお目當ては、何とかてふ(名前失念)58 歳のミュージシャンなれど、R さんの持ちたる大衆新聞「パリジャン」のガイドには出たらず、ロック好きの R さんに合はせ、近間のメタル・バンドを聞く。聞けば、昨年も同じ場所に陣取れりてふ。
 その後、A 孃とオデオン座からリュクサンブール公園、サン・ミシェル、ソルボンヌ廣場と逍遙、色々の音樂を聽ける後、R さんと合流、お茶したる後、23 時半、解散。
 ノートル・ダム横の通りにて、何やら群衆の迫りきたり、何かと思へば、サンバを奏でるグループに、通りすがりの人々が即席サンバ・チームとなりて、えぢゃないか踊りの如く練り歩きたるなり。その熱狂たるや凄まじけれど、一行をやり過ごしたるところに、別のサンバ・グループあり。こちらは衣裳、メークも整へたるグループにて、ひっそりと音樂開始すれど、例のカウ・ベル、マラカス、太鼓、ホイッスルのリズムに、たちどころに觀客増大、グループと共に移動、軈てサン・ルイ橋上にてパフォーマンスを見せるに到りて、觀客の半數はその場にてリズムに身を委ね、逐にはサン・ルイのカフェ前のサンバ・ダンス・フロアに變貌、老若男女を問はず踊り狂ひぬ。然し、1 時間に渡りて太鼓、カウ・ベル叩き續けのマラカス振り續けの體力には感心。
 てふ譯にて、音樂の祭典、見逃すべらかず。






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