巴里便り

L'Ile Saint-Louis 篇

(2000/06/08-10)


2000/06/08
クストゥー通りの古ビル つっかへ櫓 トロゼ通り 坂道なる扉
rue Coustou (クストゥー通り)の古ビル 何やらビルにつっかへが 急勾配のトロゼ通り 坂道なる扉
トロゼ通りを見下ろす 傾く椅子・机 ジラルドン通りの角 サン・ビュイッソン廣場
トロゼ通りを見下ろす。正面にアンヴァリッドの金塗り頭 再びルピック通り。椅子も机も傾きぬ rue Girardon (ジラルドン通り)の角。マルセル・エメ廣場の反對側 square Saint-Buisson (サン・ビュイッソン廣場)。右に立てるは、自らの首抱へたる Saint Denis (聖ドニ)
モンマルトル畑 ソール通り ラパン・アジル ユトリロの繪で有名なる薔薇色の建物
Clos Montmartre (モンマルトル畑)。サクレ・クールの天邊が見ゆ ソール通りから北を望む。先日行けるフュナンビュール座はこの先 ソール通りの角なるラパン・アジル Utrillo の繪で有名なる薔薇色の建物
コルト通りで寫生する人 フルートの聞こえる部屋 モン・スニ通り モン・スニ通りの似顏繪描き氏
コルト通りで寫生する女の子。横はモンマルトル博物館 コルト通りのアパルトマン。フルートの練習せり モン・スニ通りからパリの北側を望む モン・スニ通りの貯水槽の下なる公園。似顏繪描き氏が客を連れて横のベンチで仕事を開始せり。小生の去り際、「コンニチハ」と聲を掛けらる
土産物屋と觀光客 練習中の子供たち サクレ・クール寺院 サクレ・クールよりパリを望む
土産物屋の竝ぶ通り サクレ・クール裏手なるリセ。子供たちの何やら練習中 パリ・コミューンの砲兵陣地跡に 1876 年着工、34 年を掛けて完成せるサクレ・クール寺院 サクレ・クールよりパリを一望。正面にポンピドゥー・センター、その向かふにジュシューの高層學舎、その又向かふは 13 區の高層建築群
ソフト・ハットのをぢさん モーリス・ユトリロ通り 階段途中の猫 夕陽のサン・ルイ・アン・リール通り
ソフト・ハットのをぢさん 全て階段の rue Maurice Utrillo (モーリス・ユトリロ通り) アンドレ・デル・サルト通りに降りる階段途中にゐたる猫 夕陽を浴びるサン・ルイ・アン・リール通り
 木曜なれば、例によりて V 君宅へ行く。本日は時間的餘裕の出來たるによりて、Pairs buissonnier (パリ・ビュイッソニェ 巴里ぶら)てふ本に擧げられしモンマルトル散歩道を試してみんとて、まづはバス 67 番線にてピガールへ行きぬ。因みに 7 年前もこゝを歩いて呼び込みのヲッチャンに聲を掛けられたりしが、今囘はヲバチャンに腕を掴まれ、「ノー・マネー、ノー・マネー」(金は要らんてふ意味ならん)と云はれたり。日本人は良い客(カモ)なるか。
 さて、順路は、ピガールより Boulevard de Clichy (クリスィ大通り)から rue de Lepic (ルピック通り)・rue de Tholozé (トロゼ通り)、未だ殘りたる風車を横目に見て、Le Passe-Muraille 「壁拔け男」や Les Bonnes peintures 「うまい繪」の作家を名にし負ふ Place de Marcel Aymé (マルセル・エメ (1902-1967) 廣場)を過ぎ、Place de Dalida (ダリダ廣場)をかすめ、Avenue Junot (ジュノ通り)を經て、rue Caulaincourt (コランクール通り)、rue Saint-Vencent (聖ヴァンサン通り)、高名なる Lapin agile (ラパン・アジル すばしこい兎)で曲がり、ソーヌ通り、rue Cortot (コルト通り)、rue du Mont-Cenis (モン・スニ通り)からサクレ・クールに到るてふものなり。成る程本に記されたるが如く、アップ・ダウンの順路なれど、見所は押さへたり。


2000/6/09
 本日も晴時々曇り。巴里外周巡りに出づ。
 本日の目標は、パリ市の北部、ルヴァロワ・ペレとサン・トゥータンに挾まれたる Clichy (クリシー)なり。市役所前が始點のバス 74 番線にて、終着點 Clchy-Hôpital Beaujon に行き、些か逍遙す。Parc R. Salengro (R. サラングロ公園)に行きて、暫し休息。ベンチにリセエンヌと思しきが 5 人坐わりてありて、その内 2 人が「眼鏡っ子」なり。
 今囘フランスに到りて些か駭かされしは「眼鏡っ子」率の高さなり。觀光客抔も見るに、フランスに止まらず、歐州にては眼鏡率上昇せるか、眼鏡人を多く目撃せり。因みにフランス人の 1 日平均テレビ視聽時間、日本人のそれを逐に上囘りて 3 時間 15 分程と聞く。テレビやゲームのせゐなるか? ティーン月刊雜誌 Miss Star-Club の No 98 には、15〜20 歳の女の子の眼鏡っ子率、男の子より 20% 増しとあり。その理由として「男の子は背が高く、モノを讀む際に本などを離して見ることになり、結果、眼が疲れにくい」てふのと、「女の子は男の子の 2 倍モノを讀むから」てふのが擧げられたり。ホンマかいな? 尚、Y 孃によればこちらは空氣の乾燥せるゆゑ、コンタクトはツラしとか。
市役所の壁なる彫像 バス車内の注意書き セーヌの對岸なる高層住宅 クリシーの交叉點
オテル・ド・ヴィル(市役所)の壁なる彫像 バス車内の注意書き。「窓の開閉について乘客の意見が一致しない場合、閉めたい人優先」 セーヌの對岸は Gennevilliers (ジャンヌヴィリエ) quai de Clichy (クリシー河岸通り)と bd. du Général Lceclerc (ルクレール將軍大通り)との交叉點
R. サラングロ公園内の建物 ベンチのリセエンヌ ベンチで寢る人々 モーツァルト公園
R. サラングロ公園裡の建物。詳細不明 女子高生。眼鏡っ子率 40% 寢る人々。背後の古風な建物には Le Grand Magasin du Printemps (ル・グラン・マガザン・デュ・プランタン)と書かれたり。何ならん? 同じくクリシーの Parc Mozart (パルク・モザール)。モーツァルト的モノ皆無
スュレーヌ中心部の猫 サン・クルーへの道 中心部の廣場 バスの發着點
スュレーヌ中心部は小道多し。猫も散歩せり 南なる Saint-Cloud (サン・クルー)へ向かふ道 中心部の廣場。すっかりカフェのモノ バスの發着點なる廣場
下校する高校生 寢そべり猫 古風なお店達 ピュトーの交叉點
Rue de Verdun (ヴェルダン通り)を下校する高校生 店前にて寢そべる猫 古風なお店達 ピュトーの交叉點。2cv (ドゥー・シュヴォー)が通り過ぐ
ピュトーの路地 古屋 古風な洋品店 下校する小學生
ピュトーの路地 古屋 古風な洋品店 下校する小學生
植木屋さん 教會前の古屋 リシャール・ワラース大通り 工事現場
大通り沿ひの植木屋さん 教會前の古屋 Boulvard Richard Wallace (リシャール・ワラース大通り)をパリ側から望む セーヌの中の島 Île de Puteaux (イル・ド・ピュトー)の工事現場。背後に見ゆるはラ・デファンスの高層ビル群
遊びに出掛く小學生 サン・ディアマン劇場 貼り紙 サン・ディアマン劇場
バス43番線 Place de Bagatelle (バガテル廣場)横のお出掛け小學生 開場前のサン・ディアマン劇場 劇場の貼り紙。「當劇場の如きは助成金なくんばやってけないのにこゝ 10 年で 20% も下がった、助成金を上げろの署名にご協力を」 終演後のサン・ディアマン劇場
 3 時過ぎ、翻然としてブーローニュの森の西側なる Suresnes (スュレーヌ)を訪なはんと思ひ付く。されば、バスに飛び乘り、Porte de Champerret (ポルト・ド・シャンペレ)からバス 93 番線にて、スュレーヌへと向かひぬ。
 着きたれば、こゝも亦、近代化しつゝある郊外の一つなり。中心部は些か古びたショッピング街にて、細々と廣場・通路など整備されたれど、平日の午後は活氣もなし。
 歩きて、北側なる Puteaux (ピュトー)へと向かふ。この街の北端は例のラ・デファンスなれど、街の中心部はまだまだ開發前の古き姿を殘したり。
 ピュトーからセーヌを渡りて、ブーローニュの森の西端なるバガテルに戻り、バスにて 8 區へ、さらにバスを乘り繼ぎ、イタリア廣場へと到る。近所の rue des Cinq Diamants (サン・ディアマン [五金剛石] 通り)にて芝居を觀るためなり
 キャパ 100 の小劇場 Théâtre Cinq Diamants (サン・ディアマン劇場)にて掛かりたるは例のジャン=ピエル・バークリの初期作(1980 年作)にて單獨で書きたる Le Grain de sable (グラン・ド・サーブル 砂つぶ)てふ作品にて、演ずるは La Compagnie de l'An Vie (ラ・コンパニー・ド・ラン・ヴィ 劇團アン・ヴィ[an vie(人生の年?) は envie (欲望)と掛けたり]にて、三人の若者のありふれたる人生の斷面を描きたる會話劇なり。舞臺は樂屋の如き場所にて、彼らは白塗り風の化粧を落としたり付けたりせり。どうやら、これは「社會での假面」なるらし。
 この劇場の舞臺は、間口 4 間、奧行き 2 間程、タッパは舞臺上 3000mm ばかり。但し、外を歩く人の聲の聞こゆ。段ボール使ひしチープな裝置なれど美術も役者もまあまあ。されど、音響オペのトチリ數囘は戴けぬ。金曜の夜なれば客の入りは上々かと思へど、32 人ほどなりき。

2000/06/10
 夜、A 孃と出掛く。彼女が連れてゆきてくれたりしは、10 區なる Passage Brady (パッサージュ・ブラディ)てふ商店街にて、インド街なり。成る程エキゾティック滿載の小さなパッサージュには、床屋さん 40ff などもあり。安し。
 一軒のインド料理屋さんにて食事す。食後にインコの餌の如きタネをくれと A 孃の要求せば、淺黒き肌のウエイター君、タネの入りたる箱を持ちて現はる。箱を開けたればゴキブリの埋もれてあり。「何ぢゃこれ!」と A 孃の叫びたるに、ウエイター君は平然と「え、だいじょぶ、だいじょぶ」と答ふ。良く見ればプラスチックのニセモノなり。A 孃、"dégueulasse !"(デグェラス ムカツク)と叫びぬ。
 食後、中心部に戻り、ユシェット通りの外れなるジャズ酒場に入りぬ。入りしな、入り口に立てる從業員氏に、A 孃「今日のバンドは何をやるのか」と尋ねたれば、從業員氏答へて曰く「テクノ」。
 彼女の話なれば、こゝは 50 年代の息吹を殘せる數少なき處にて、75ff の入場料を拂ひて中に入れば、成る程古き佇まひをば示せり。
 地下一階は酒場にて、地下二階は生バンド&ダンスフロアにて、石造りの地下室は熱氣ムンムン、文字通り老若男女が思ひ思ひにあるは踊り、あるは息み、又あるはぼうっとせり。
 五十がらみの銀縁スーツ姿紳士が獨りで現はれ、いつの間にやらダンス相手を調達、往年より鍛へたるダンス振りを見せぬ。他にも常連と思しき女性、10 ばかりなる男の子相手に達者なるダンスを披露せり。年齡層の高きは否めざれど、故にこそ、古き巴里の息吹を存分に殘せるスポットならん。なほ、生演奏はスイング・ジャズなりけり。歸りしなに A 孃、入り口の從業員氏に「良かったよ、今晩のテクノ」と云ひたれば、從業員氏「さうだらう」と答へたり。






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