巴里便り

L'Ile Saint-Louis 篇

(2000/06/04-07)


2000/06/04
 1番線のメトロに乘りて、東の終點シャトー・ド・ヴァンセンヌに向かふ。ヴァンセンヌの森内なる Cartoucherie (カルトゥシュリー 彈藥庫)てふ劇場にて Théâtre du Soleil (テアトル・デュ・ソレイユ 劇團太陽/太陽劇場[巷間流布せる「太陽劇團」は小生が趣味に合はず])の Tambours sur la digue (タンブール・シュル・ラ・ディーグ)「堤の上の太鼓」てふ芝居を觀るためなり。演出家 Ariane Mnouchkine (アリアーヌ・ムヌーシュキヌ)に率ゐられたるこの劇團は、1964年、メンバー全員が役者で裏方てふ平等の權利を有することを理念として生まれ、お決まりの「創立メンバー脱退」などを經て、80年代よりアジアに傾斜し、横濱ボート・シアターの如く假面裝着の芝居をするところなり。
ヴァンセンヌ城の城塔 往年の名車展 カルトゥシュリー入り口
建築中のビルのやうに見えたれど、中世の遺跡たるヴァンセンヌ城の城塔 ヴァンセンヌ城の南空き地で開かれてゐた、往年の名車自慢の展覽會 カルトゥシュリー入り口
 ヴァンセンヌ城内を突き切りて、1km程離れたるカルトゥシュリーに向かふ。途中、年配の紳士に、カルトゥシュリーはどう行くのだと尋ねられしゆゑ、地圖を出して説明せんとせるに、いや近くの筈だ、と制せらる。だからと、現在位置を説明せんと試みるに、いや地圖を見る迄もない筈だ、と云ひ張る。頑固なおっさんなり。
 カルトゥシュリーは倉庫の建ち竝べる場所にて、その幾つかを改造して、テアトル・デュ・ソレイユ、Théâtre du Tempête (テアルトル・デュ・タンペット 嵐座)、 Théâtre de l'Aquarium (テアトル・ド・ラクワリヨム 水族館劇場)、Théâtre de l'Épée de bois (テアトル・ド・レペ・ド・ボワ 劇團木の劍)の四劇團が小屋を構へたり。日本と違ひて、基本的に役者は劇場に所屬せるものなれば、劇團も本據地を持ち、théâtre は「劇場」と「劇團」兩方の意味を持てり。
テアトル・デュ・ソレイユ 幕間。スナック・コーナー 劇場内の壁
「テアトル・デュ・ソレイユ」劇場の前 幕間に劇場内のスナック・コーナーに集まる人々。中華系料理が賣られたり 壁には佛樣が澤山。西洋で「佛教」と云へば、基本的イメージは「チベット」なり
樂屋 劇場内部 一場面
樂屋。アジア趣味滿載 滿杯の客席。下手に演奏ブース 「操られて」ゐるのも人間
テアトル・ド・ラクワリヨム 「彈藥庫」劇場群 厩舎
テアトル・ド・ラクワリヨム。こちらでは Beckett を上演中 「彈藥庫」だったのか? 奧はテアトル・ド・レペ・ド・ボワ 別の一角には厩舎もあり
 着きて見れば、小屋前には、開演1時間前にも拘らず、長蛇の列。小生が如き前賣も豫約も無き飛び込みの客は、待機客リストに名前を書き込みて、席の空きを待つことになりぬ。
 さて、制作擔當のマダムが幾たびか現れ、殘りの人は殘念、となり掛かりたるところへ、流石こちらの人々、是非何とかしろと訴ふ。マダム、小屋に走り行き、走り戻りて、小屋の扉の前にて、リストの讀み上げを繼續。50人目くらゐなりし小生も、愛でたく劇場裡の人となれり。
 キャパ500程の座席は滿杯となりて、我ら後組は、階段に坐わらせらる。小生の置かれしは最上段、背後は照明オペ・ブースなり。
 『パリスコープ』には「俳優によりて演ぜらる人形古典劇の樣式にて」とあれば、如何樣なるものならんと思ひて觀れば、要するに「人間が人形も演ずる人形淨瑠璃」なりき。即ち、假面付けた役者が人形振りせる背後にて人形使ひが恰も操るが如く動く、てふもの。背後の人形使ひに持ち上げられて飛んだり、滑ったり大變なり。
 臺本は、デリダのお弟子さんにしてポスト・モダン・フェミニズムで知られる Hélène Cixous (エレーヌ・シクスー)の書き下ろしにて、Khang (ハン)てふ殿樣の國が洪水とハンの甥 Hun (アン)の乘っ取りの野望によりて危機に瀕せる、てふハナシ。登場人物の名前は朝鮮系なれど、衣裳は殆んど日本風にて、丁髷(ちょんまげ)も戴きぬ。bizarre なり。
 30分の幕間を挾みて、正味3時間の長丁場に、音響はナマ演奏にて、舞臺下手に陣取りたる演奏家が、三味線、チェロ、鉦、銅鑼、縱笛、何だか判らん樂器抔を絶え間なく鳴らし續くてふものなり。演奏家は巨大體躯のおっちゃんなれど、横に介添へ役の女の子がゐて、彼女は、演奏家の汗を拭ったり、空いてる方の腕を揉んだりもす。大變なり。
 舞臺は能を意識せるものにて、背景の繪は墨繪風、振り落としにて場面を變へたり。ラストには本水(ほんみず)の出でたれど、それなら、ポンプで吹き上げて欲しかったと思へるは、テント芝居屋の常なり。


2000/06/06
誰かの猫 シャルヽ・マーニュ
このところちょくちょく見かける猫。誰かの飼ひ猫か? 馬上のシャルヽ・マーニュ。鬚はなかりきと傳へらるが。11世紀の武勲詩、La Chanson de Roland (ラ・シャンソン・ド・ロラン ロランの歌)にても鬚をしごきぬ
 チョイとジベール・ジョゼフに買物に。歸りしなにノートル・ダムの前を通りたるに、何やら、警官諸氏の、若者を捉(つら)まへて、身體檢査を行なひたり。ノートル・ダム前でドラッグなど行なひたりしか。
 ノートル・ダム前には巨大な騎馬像のありて、誰かと思へば Charlemagnee (シャルヽマーニュ 742-814)、ドイツ語式のカール大帝なり。「フランス」てふ國名の元となりたる Franc (フランク)族の王にして、西ヨーロッパに廣大なる支配域を構へ、キリスト教の力を借りた地區行政體制を堅めたる人でもあり。典禮につきても、それまでの「ガリア式」に替へて「ローマ式」を推進し、それがため、ラテン語の普及が必要となり、學校で教へらることゝなる。このゆゑに「學校の創始者」として、France GALL (フランス・ガル)のアイドル時代のヒット曲 Sacré Charlemagne (サクレ・シャルヽマーニュ)の中にて、文句を云はれたり(sacré は勿論キリスト教の保護者としての「聖なる」てふ意味と、「〜の野郎」てふ俗語との掛詞なり)。


2000/06/07
サン・スュルピス通り 無印良品 愛書家市
日本の娘さん方御用達、小洒落た店の増えたるサン・スュルピス通り その小洒落度がパリっ子にも受けて、一部に評判の「Muji 無印良品」。こゝの他、レ・アール、フラン・ブルジョワなどの「お洒落地區」にもあり。 教會前、サン・スュルピス廣場の市。黄色きはブラッサンスの古書市のポスター
 西カルチエ・ラタンは6區なる Saint Sulpice (サン・スュルピス)教會前の廣場にて、Marché de la Bibliophilie (マルシェ・ド・ラ・ビブリヨフィリ 書籍蒐集家市)の初日なれば、覗きにゆく。
 この市は、小さな屋臺が軒を連ねる方式の普通の市なれど、賣られたる本の大半は、所謂 livre ancien (リーヴル・アンスィヤン 18世紀以前の本。因みに19世紀末以降の本は livre moderne (リーヴル・モデルン)。「古本」は livre d'occasion リーヴル・ドカズィオン)にて、當然の如く、その筋のマニアが屯ろせり。
公園横の駐車場 逆立ちっ子 繩跳びっ子 さよならっ子
公園横の駐車場 芝生に這入れる公園では、必ず逆立ちを試みる子供あり 繩跳びっ子 手の振り方が既にイッチョ前
横目っ子 サッカーっ子 123ソレイユっ子 お婆ちゃんと一緒っ子
横目っ子 良いキックせる左の男の子 1,2,3,soleil ! (アン・ドゥー・トロワ・ソレイユ!)と云ひて振り返たるときに、動いてたら負け。即ち、佛版「ぼんさんが屁をこいた」 お婆ちゃんと一緒っ子
馬さんっ子 4姉弟 黄色っ子 鞄っ子
馬さんごっこで、馬が逃げてるところ。一寸前まで人馬が逆なりき 4姉弟(きゃうだい)? 黄色姉弟(きゃうだい) お母さんの鞄を持ってあげてる、てふか引きずってあげてる子
三人組1 三人組2
カメラに氣付かれたるか……? 矢っ張り……!
 1900年出版の Le Japon やら、明治30年代の日本の雜誌を製本したヤツなど興味深き本もあれど(小生が後者の本を棚に戻したるや、素早くそれを手に取りて眺め、本屋の主人に何やら話し掛けたりけるは、某K大名譽教授に頗る似たりけるが、さて……)、結句、19世紀初めの Dictionnaire des origines (ディクスィオネール・デ・ゾリズィーヌ)『起源辭典』と18世紀の Principes généraux et raisonnés de la Grammaire françoise (プランスィップ・ジェネロー・エ・レゾネ・ド・ラ・グラメール・フランスェーズ oi は18世紀まで「ウェ」。後、發音通りの ai に變はる)『フランス語文法の一般理性原理』を買ひぬ。前者はリーヴル・アンスィヤンにはあらねど、「montagnes (モンターニュ ジェット・コースター)」の項には、ロシアのそれを眞似て作りたれば、當初 montagnes russes (モンターニュ・リュス ロシアの山)と名付けられぬ、などと記され、更にロシアでは冬の間しつらへられ、大いに人氣を博せりなどと綴られてありて、なかなか愉快なる本なり。
 さて、バス87番に乘り、例によりてルイィ公園に行く。近所の雜誌屋さんにて新聞・雜誌など購入の後、公園の芝生上に陣取りて、讀書と勉強なり。
 この日はなかなか天氣の良き日なりて、公園も繁盛したれど、風寒く、次第に曇り勝ちになりたる夕刻には、人々も去り、我も去りぬ。






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