巴里便り

Mantes-la-Jolie 篇

(2000/02/20-26)


2000/02/20
高速 ヴェルサイユ市内 ヴェルサイユ宮東側道路 犬を連れた客
パリ南西22km程のヴェルサイユ ヴェルサイユ市内 ヴェルサイユ宮東側の道路 どこに行っても犬を連れた人をり。それとも散歩か?
 快晴の日曜日。當然の如くF君の外出欲に火の點きて、 Château de Versailles (シャトー・ド・ヴェルサイユ)に行かんと提案す。實は先週まで、我々、「Versailles」てふアドヴェンチャー・PCゲームをやってたのなり。この Crio 社製のゲームは、Louis XIV (ルイ・カトルズ)の一日を學びつゝ、ヴェルサイユ宮殿(何故か「宮殿」と譯すが習ひなり)にしかれられたる惡巧みを阻止すべく、あちこち調査して囘るてふものにて、日本版も發賣されてあり。我々は、毎日の如くチャレンジ、1週間餘りでクリアす。即ち、このゲームに再現されし17世紀のヴェルサイユにさんざん親しみたれば、實物を見るに、些かの興趣あらんとの企てなり。
宮殿正面 宮殿側から正門側を望む ルイ14世騎馬像 シャトルバス
宮殿正面 宮殿側から正門側を望む ルイ14世騎馬像 Trianon (トリアノン)宮の方まで行く園内シャトル
廣大な敷地 蛙の泉水 宮殿後方 禮拜堂を望む
廣大な敷地。奧までずっと續けり 蛙に變へらるゝ人間を配せる泉水。後世の再構成品 宮殿後方。下は orangerie (オランジュリ 蜜柑園) 禮拜堂を望む
 高速を走り、パリに入る手前でヴェルサイユに向かふ。ヴェルサイユの街は、普通の郊外の景色なり。
 さて、着きてみれば、成る程廣大なる敷地に、觀光客の犇めけり。先に庭園を散策、冬のことゝて、噴水も花もなく、昨年末の tempête (タンペット 嵐・暴風雨)にて大量の木々の倒れ、その復舊に未だ掛かりたるゆゑ、立入禁止の箇所も多し。
 流石に廣大なる庭園の隅々まで巡ることはせず、城内に入る。ゲームには、18世紀以降の、例へば Marie-Antoinette (マリー=アントワネット 1755-93)の部屋などはあらざれば、17世紀との相違も趣き深し。
 日本人團體さんも多し。ガイドさんも多く、各國語の解説が城内を飛び交へり。日本人向けガイドをそれとなく聞きをれば只聞きする勿れと怒らる。F君は今まで怒られたことなどなかりしにと云へり。
 その後、近所の食堂にて食事を攝りて歸宅。


2000/02/21
 A先生のセミナーの後、受講生連と Trocadéro (トロカデロ)のカフェで駄辧る。さらにその後、S君とメシする。S君は、嘗て關西の研究會で良く顏を合はせし仲にて、現在はEHESSに於いて、かのT先生の指導學生なるが、2年の契約教員として Lyon (リヨン)大學の日本言語文化セクションにて日本語を教へてあり。ヴァカンスの間を利用してパリに上京、序でにA先生のセミナーに顏を出せりと云ふ。
 S君の餃子を喰ひたしとの希望により、Opéra 近邊に集中的に存在せる日本關連の店(但し、昨今、フランスの à la mode (ア・ラ・モード 流行り)は「アフリカと日本」にて、日本料理屋は其處此處にあり。のみならず、中華總菜屋さんが壽司屋に化けたる店もあちこちに見られる程なり)の一つにラーメンを喰ひにゆく。
 肝腎の餃子の味には何の感慨も持たねど、店の壁に所狹しと貼られたる「有名人色紙」には駭けり。日本人に知られたる店なのだなあと思ふが、この餃子でか、とも感ず。
 諸々語り合へるに、早8時過ぎ。サン・ラザールでの列車は9時、マント着は10時となる。夜の郊外線はナカナカに寂しく、1車輌に1人てな状態になると、些か劍呑なり。嘗て、マントに歸るのに、通常使はぬルートの列車に乘りたれば、實に1時間半掛かり、しかもどんどん乘客の少なくなりゆきて、心細きこと限りなかりけるを想起す。こちらの電車は、驛名などのアナウンスなきが普通なれば、ホームに着くたびに驛名を確認し、乘り過ごさぬやうにせるは、甚だ落ち着かぬものなり。こちらの人間でさへ、うっかりすると、己の所在の不分明となるらしく、周章てゝドアのとこにやってきて、ホームに降り立てる人に、こゝは某々なりやと尋ねたる光景、一度ならず目撃せり。
 この日は恙なく歸宅せり。


2000/02/22
 かねてより探しをりしパリの住まひ、例の夜會の折りにO氏に教へて貰ひたる日本人不動産屋さんF氏を通じて、漸くと或る物件を借るゝことゝなれり。十數年パリにて働けるF氏は、20年程前にアルジェリアに出稼ぎに出たるが、フランス語圏での最初の生活てふ方なり。
浴槽 ソファベッド 棚
立派な baignoire (ベニョワール 浴槽)。但しお湯は溜める端から冷えてゆく。勿論追ひ焚くは能はず F君が熱望せし canapé-lit (カナペ・リ ソファ・ベッド)。君の歸國命令と共に、その必要も失せぬ 昨年末に嵐が共同アンテナを攫ってゆきしゆゑ、テレビの映り頗る惡ろし
 この物件は、氏のものに非ず、日本の不動産業者が日本人に貸す目的で買ひ集めたるものゝ一つにして、その會社は、他にも、Cit&eacut;e; (シテ)島や、Marais (マレー)などの日本で知名度の高き場所に物件を持ちてあり。日本での不動産物價を考へれば、慥かにこちらは安く、然なる商賣ありてもをかしからず。小生も、サン・ルイと聞きてグラリときたる俗物なり。
 さて、本日は契約のためにパリに出づ。場所は、當該物件の建てる處、即ち、パリのど眞ん中、セーヌに浮かぶ骨董品、アメリカ人と日本人に大人氣の Saint-Louis (サン・ルイ)島なり。
 物件のアパルトマンは4階(日本式の5階)なれど、エレヴェーターなし。サン・ルイは景觀保存のために諸々規制のあるらし。えっちらおっちら上がりてみれば、持ち主會社の擔當者Iさんが出迎へらる。この方は滯佛4年目の若き女性なり。
 Iさんが細々説明せる間、F氏は部屋の中の汚れ具合・破損具合など細かくをチェック。この état des lieux (エタ・デ・リュー)と云ふは、退去時に現状維持がどれほど出來てゐるかを確かめるための資料なり。諸々契約書を交はし、鍵を受け取りて、爾後、11月末まで、小生の假の庵とぞなれる。


2000/02/24
古い工場の壁 郊外型食料品店 歸り道 よくあるパターンの壁
古い工場の壁 郊外型食料品店 歸り道 よくあるパターンの壁
 愈々(いよいよ)小生のマントを去るは2/26の土曜日と決まりぬ。この日の朝に EDF-GDF (ウー・デー・エフ=ジェー・デー・エフ Électricité de France - Gaz de France エレクトリシテ・ド・フランス=ガズ・ド・フランス フランス電力・ガス會社)がメータの點檢に來る豫定なれば、パリの部屋にをらねばならず。前夜より行くか迷へど、結句その日の早朝にマントを發ちてパリに向かふことにせり。されば、マントの日々も今日明日のみ。買物を兼ねて散歩に出づ。
マントのノートル・ダム寺院 改修中の後部 ノートル・ダム地區の入り口 奧は民家
マントのノートル・ダム寺院 改修中の後部 ノートル・ダム地區の入り口 奧は民家
石疊が續く エレヴェーターのボタン マントの飛行機雲 F君の同僚のアパルトマン
石疊が續く 路地の名は rue du cloître Notre-Dame (ノートル・ダム囘廊通り) マントの飛行機雲 F君の同僚のアパルトマン。嘗てその同僚が1週間のヴァカンスでスキーに出かけたりしをり、我らで「スティルウェン」てふ名(F君最初「シトロエン」と聞き違へたり)の猫の世話をしに行きしことあり。
 嘗てF君の巨大なる書棚を購ひし郊外型家具店の向かひには郊外型食料品店あり、横にはコーナンの如き日曜大工用品店あり。些かの買物をせる後、一旦歸宅。その後再び外出して、マントに着ける晩、街燈の明かりに浮かび上がりし姿が小生に強き印象をば與へし、かの古きお寺さんと、その周邊を散策せり。
 セーヌにお尻を向けて建ちたるこのノートル・ダム寺院は、後部と門前の廣場が改修中にて、殘念乍ら餘りフォトジェニックとは云へず。そを打ち過ぎて右に曲がらば、ガイドブックにも載りたる由緒ある散歩コースにて、細き石疊の殘りたる界隈なり。
 そののちは、足の向くまゝ、マントの端までゆき、草臥れ果てゝ歸宅せり。


2000/02/25
アパルトマン横の廣場 タイマー式スイッチ タイマー式スイッチ エレヴェーターのボタン
アパルトマンの窓外の景色。インライン・スケートが流行りたり 掃除中の部屋。左がかの本棚。立て掛けてあるのはエア・マット ゴミ集積室のタイマー式電燈スイッチ。捻りたる分のみ點燈す エレヴェーターのボタン。地上は0階、地下はマイナス
 マント最後の日なり。荷物を纏め、一ト月弱お世話となりしF君宅の部屋を片付け、掃除機をかく。この間にも購入せる書籍など増えたれば、F君の小型キャリーバッグを借りて、中に詰めたり。
 軈てF君歸宅。マント最後の晩餐は、アパルトマン前のイタリア料理屋となる。明朝は早出なれば、早々に寢床に就けり。


2000/02/26
 早朝マントを出で、1時間程でパリに着く。ドアの前に荷物を積み上げ、F君は駐車スペースを求めて去る。小生は、部屋にて EDF-GDF を待つ。8〜10時の間と云はれてありしゆゑ、氣長に待つ必要あらんと思ひたるに、豈計らんや、8時過ぎに到着、メータを檢針して歸れり。豫想外の勤勉さなり。
 午後、諸々買ひ取ることゝなりてありしEさんの許へ行く豫定なれば、些か暇在り。F君の買ひモノ及び古本屋巡り、最後はブランションの古本市に行きて、16時過ぎ、Eさんの住めるシテ(シテ島に非ず、大學都市の方なり)に行けり。車を乘り入るゝに些か悶着あれど、逐に中に入り、Eさんの呉れるがまゝに諸々の物品を十把一絡げに買ひ取り、F君の車に詰め込みてサン・ルイに戻り、荷物を大急ぎで、エレヴェーターの無ければ階段にて運び上ぐれば、F君、息を切らしつゝ、學生時代の引っ越し屋さんバイトを想ひ出すと云へり。
 再びシテに戻り、Eさんと彼女の友人にて荷造りを手傳ひに來たりけるHさんと四人でメシを喰ひぬ。Hさんはソウル大學からの留學生にて、偶然にもEHESSのT先生がゼミ生なれば、小生とは既に教室で顏を會はし濟みなり。
 その後、Eさんがシテを引き拂ひて後、歸國するまでの間、短期ご厄介になるお宅に、彼女の荷物を置きに行く。パリの直ぐ横の郊外なれど、難解なる地形に彷徨ひて、思はぬドライヴとはなりにけり。その後、Eさんはシテに再び戻り、小生はサン・ルイに戻り、F君はマントに戻りゆき、長き一日は幕を下ろしぬ。






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