★2000/02/14
Saint Valentin (サン・ヴァランタン)の日なり。こちらの天氣豫報は、日本に比して非常に大雜把なり。豫報圖を見ても、フランス全土に雲や太陽やのマークが10程しかなし。尤も、約55萬 km2(日本33萬 km2)の中に96の縣のあれば(海外縣5つ)、細かくマークしてられぬのも判らぬではなし。ところでF3の天氣豫報は、最後に「今日は××の日」とか「明日は○○の日」とか表示す。これは366日全ていづれかの聖人を割り當てたるカトリックの習慣によるものにて、嘗てはフランスでもこの聖人表裡からしか名前を選べず、その代はり、自分の名前と同じ聖人の日を ma fête (マ・フェット)としてお祝ひせるなり。
マントのショー・ウインドウもハート・マーク一色となる。良く云はれる如く、女性からしか贈らぬは日本の習慣にて、こちらでは男女雙方が贈り物をせり。
サン・ラザール驛には巨大なレオナルド・ディカプリオの吊り看板が登場、アメリカ映畫 La Plage (ラ・プラージュ 原題は The Beach)の宣傳なり。フランスの映畫公開は水曜が原則なれば、明後日封切りのための廣告ならん。この映畫、ディカプリオの相手役に、Virginie Ledoyen (ヴィルジニー・ルドワイヤン)てふフランス女優が出たるなれば、色々話題とはなれるなり。但し、内容は別段ラヴ・ストーリーてふ譯ではなさゝうなり。
パリはボルドーなどと竝びて zone C なれば、逸早くヴァカンスとはなれるなり。
例の Pokémon も毎朝、しかも2本づつ放送せり。アメリカに引き續き頗る人氣を博せる由にて、ポケモン・カードも大人氣と聞く。勿論「ポケモン」てふサイトもあり。アニメ雜誌は云ふ迄もなく、Télépoche てふA5版のテレビ・ガイド誌にも「親ごさんのためのポケモン記事」など載る。放送元のTF1では、自社の子供向けサイトの中にポケモン・コーナーを設けたり(今ならエンディングに使はれたる「ポケ・ラップ」を聽くこと可)。
マントの市
市の立てる廣場
このポケモン、アメリカ版の移植と思(おぼ)しく、中に出てくる看板などは英語に置き換へられてあり。「ロケット團」は La Team Roquette (ラ・ティーム・ロケット)、ムサシ=Jessie、コジロウ=James と全く英語なり。恐らく英語版の直輸入ならん。然り乍ら、他の登場キャラの名前は、ピカチュー=Pikachu(ピカシューに非ず、勿論ピカチュー)、フシギダネ=Bulbizarre (ビュルビザール)、ヒトカゲ=Salamèche (サラメーシュ)、ゼニガメ=Carapuce (カラピュース)などと譯されたり。それぞれ bulbe(球根)+bizarre(妙な)、salamandre(火蜥蜴)+mèche(燈芯)、carapace(甲羅)+puce(蚤の如く小さいもの)ならん。興味深きは人間の方にて、サトシ=Sacha(サシャ)、カスミ=Ondine(オンディーヌ)、タケシ=Pierre(ピエール)なり。Sacha は savoir(サヴォワール 知る)の現在分詞 sachant を思はせ、「聰い」との關連性をたちどころに喚起せるも、後兩者の由來に就きては、彼らが如何なるポケモンのオーソリティーかと、フランス語名の意味の雙方を知らずば解けず。知りたき御仁は小生迄メールされたし。
また、水曜は市(marché マルシェ)の立つ日なり。フランスの市は週に2、3囘、朝から午過ぎ(大體2時くらゐ)まで、廣場や歩道の上にて開かる。こゝマントでは水・土なり。
市を冷やかしに出てみれば、食料品はもとより、靴、衣服、古本、絨毯まで、諸々の屋臺あり。ぐるりと一周して戻る。
★2000/02/19
フランスを去ることの決まりたるF君(結句、君が歸國は1ト月延びて、4月末となりぬ)、ひたすらフランス語の本を買ひ集めることに情熱を燃やせり。君が指針は、コストパフォーマンスが高い、即ち分厚くて安いのを集めるてふものなり。その結果、フランスのペーパー・バックたる poche (ポーシュ)版を二束三文で買ひ漁ることを無情の喜びとせるやうになれり。君が好みは Folio (フォリオ)てふ文庫シリーズにて、數多くの古典作家から現代作家までを揃へ、Folio plus (フォリオ・プリュス)てふシリーズは、解説などのオマケが付きたれば、F君はこれを躍起になりて集む。時に小生にこの作家は買ひかなどと尋ぬれば、小生、佛文學史の知識を總動員してこれに返答せり。
さて本日、F君は、土日のみ開かれてある市(いち)の中でも、古本の市に連れてゆきてくれたり。所はパリ15區、巨大なる SNCF のMontparnasse (モンパルナス)驛の南西、往年の名歌手の名を戴く George Brassens (ジョルジュ・ブラッサンス)公園の東側の四阿(あづまや)の下に「ブラッサンスの市」として知らる Brancion (ブランション)の古本市はありぬ。
行きてみれば、大小二つの四阿の下に、京都百萬遍は知恩寺にて毎年5月に開催されし古本市の如く、板を渡せる簡易賣り場の上に、古本を、あるは整然と竝べ、あるは雜然とつくね、高價稀覯本から安價ゾッキ本に到るまで、まさに「お好きなひとには溜まらない」光景をば展開せり(この市に關しては、些かの報告あり)。
F君は直ちにポーシュ版に取り掛かり、次いで、新刊書が半額近くで賣られたる店に向かふ。小生は初めてなれば、如何なる書籍(しょじゃく)の賣られたるか、如何なる値段を付けられたるかなど具(つぶさ)に點檢す。その結果、言語學の研究書などは殆んど存在せざりしかど、古繪本や革裝丁本など興味深き本の多きことを知れり。なほ、片隅に製本 relieur (ルリユール)コーナーのありて、實演などもあり。
さて、夜となりて、一服の後、F君のかねてから小生に語りたる Franco-Japonais (フランコ・ジャポネ)の會に行かんとす。そは毎週土曜の夜、かの Pascal (Blaise Pascal ブレーズ・パスカル 1623-62)が壓力の實驗を行なひしてふ La Tour Saint-Jacques (サン・ジャックの塔)の東側のカフェ「サン・ジャック」の奧のテーブルに、三々五々集へる滯佛日本人と親日フランス人の交流の會なり。こゝの常連に「全佛將棋連盟」の會長(勿論、フランス人)がゐて、F君は彼ら將棋好きフランス人と將棋を指しにきたるなり。
君が將棋を指せる間、小生は DEA 準備中のSさんとフランス遊學中のイラストレーターUさん、さらに政治學者の卵たるK君と雜談す。首都圏のM大の學生なりてふSさんは Jacques Prévert (ジャック・プレヴェール 1900-77)をテーマとせると云ふ。プレヴェールは今年生誕100年なれば、研究書・傳記の類(たぐひ)も數々出るならん。まあ、それはそれで大變なるが。Uさんは大阪でプロなりしかど、同業者間の足の引っ張り合ひとも云ふべき世界に疲れて、10ヶ月程フランスに逗留の後、東京に行くと云へり。小生が芝居のハナシをせば、一度觀たかったと殘念がる。小生もお客が一人増えてたのにと殘念なり。關西のK大生K君は、第4共和制に於ける de Gaulle (Charles André Joseph Marie de Gaulle シャルヽ・アンドレ・マリ・ド・ゴール1890-1970)の外交史を研究せりと云ふ。いづれどこやらの專任教員となりたる曉には、是非ともフランス語の喧傳に努められたしと要望す。
こちらに於いて土曜の夜は、基本的に深更まで遊ぶが習ひなれば、この會も蜿蜒と續き果てる氣配を見せず。然り乍ら、我らはマントまで歸る身なれば、午前0時過ぎ、店を辭す。なほF君、本日も調子悪く1勝2敗なりき。