巴里便り

Mantes-la-Jolie 篇

(2000/02/04-07)


2000/02/04
 午後、パリに出てEさんに會ふ。彼女は非常勤先で一緒なりしTさんの彼女にて、滯佛4年、Nerval (Gérard de Nerval ジェラール・ド・ネルヴァル 1808-55)と佛語教育の兩方で DEA (デー・ウー・アー: Diplôme d'études approfondies (ディプローム・デチュード・アプロフォンディ 高等研究免状)の略。博士論文を書くための資格)を取りたる人なり。然り乍ら、逐にこの3月末をもって日本に戻る豫定なれば、諸々の家財道具などを安價にて讓って下さる由。實はF君も愈々家財道具を増やす決心を固めたれば、彼女の所には何があるか確かめねばならぬと思ひて、電話をし、會ふ段取りを付けたるものなり。
 實は彼女とはメールと電話でのみコミュニケートせる仲にて、ぢかに話すはこれが初めてなり。彼女はパリの南端に廣がる Cité universitaire (スィテ・ユニヴェルスィテール:大學都市。世界の各國が留學生のために建てし寮が建ち竝ぶ。基本的に自國の留學生用なれど、他國人枠や一時滯在用の部屋もあり)のインド館の住人なれば、RER (エール・ウー・エール: Réseau Express Régional 首都圏高速鐵道)の Cité universitaire 驛にて待ち合はす。
 恙なく出會ひ、インド館をちらりと見せて貰ひたるのち、彼女は前から氣になってた催し物にゆきたしと云へば、その催しに向かふ。
 彼女が目當ては、メトロ Sully Morland (シュリー・モルラン)下車直ぐの Pavillon de l'Arsenal (パヴィヨン・ド・ラルスナル)にて開催されてありし "Les Premières fois" (レ・プルミエル・フォワ)てふものにて、例へば、「メトロは1900年に云々」てふ式に、フランスに於ける諸々の事物の「最初(プルミエル・フォワ)」をパネルにして展示したるものなり。
 その後、彼女の提案にてシュリー橋を南下、パリ第6と第7大學の一緒になりたる建物(通稱 Jussieu ジュシュー)を打ち過ぎて、イスラム教のお寺たるモスク(mosquée モスケ)に行き、そこの喫茶室にて甘きお茶を頂戴せり。
 その後、サン・ミシェルにて雑談するうち、F君登場す。本日は、F君の友人宅に晩餐に呼ばれてあれば、Eさんとはこゝで別る
 F君とクルマに乘り込む。クルマはサン・ミシェルの地下駐車場に停めてありぬ。フランスは、斯樣な地下駐車場があちこちに存在せり。
 さて、向かふ先は10區、Oberkampf (オベルカンプフ)てふ通りのアパルトマンなり。あちこち彷徨ひたる擧げ句、9時過ぎに漸く到着。ホスト・ホステスのG氏とNさんに迎へらる。G氏は50代のヴェトナム系フランス人、Nさんは若い日本女性にて、聞けば横濱の有名なる女學校の出身との由。ゲストは我々の他に、歐州宇宙開發事業團にて働けるR氏とその夫人。スペイン人のR氏は長年ドイツに滯在してありしが、このほどフランスに異動になりたる由。氏のフランス語は語末の e が発音される西佛語なれど、ペラペラなり。イギリス人の夫人は、フランス語會話力、小生とおっつかっつにして、詰まると英語になるも(或ひは、R氏にスペイン語で尋ぬ)、F君もG氏も英語にも強ければ、何らの支障も無し。
 apéritif (アペリティフ:食前酒)を呑みつゝの歡談から始まりて、食卓に移り、ヴェトナム料理やら何やらかんやら、鱈腹食ふてもまだ餘るほどの持てなしを受く。モチロン、料理は美味しく、一同、Bon ! だの Excellent ! だの贊辭を連發しつゝの食事なり。その間、樣々の話題を巡りて、佛・英・日・西・越各國語の飛び交ふ。更に、食後は digestif(ディジェスティフ:食後酒)を呑みつゝ歡談を續け、漸く1時過ぎに辭せり。


2000/02/05
 本日は土曜にしてF君も會社は休みなれば、取りも敢へず、洗濯にゆかんと欲(ほっ)し、スポーツバッグ一杯の洗濯物と、コップ一杯の粉石鹸を持ちて、近所のコイン・ランドリーへと赴きぬ。
使用説明看板 洗濯機の説明
使用説明看板 洗濯機の説明
洗濯機 コイン投入口 ランドリー全景
洗濯機 コイン投入口 ランドリー全景
(左はF君)
 コイン・ランドリーは一臺につき24FF。小生が日本の住まひの近邊なる我孫子のコイン・ランドリーより些か高く、且つ暇もかゝるなり。F君は洗濯機2臺に洗濯物を滯り無く收納すると、マシン番號を確かめて、入り口横のコイン投入口にコインを投入す。マシンそのものにはコイン投入口なく、集中管理さるゝなり。こはナカナカに扱ひにくき投入口にて、すぐ、下にこぼれ落つる寸法となりてあり。
 洗濯完了までの45分に、その邊のカフェにて晝食を攝り、コイン・ランドリーに戻りて、洗濯物を囘收、F君宅に戻り、洗濯物を干すことゝす。
 もとより物干し竿の如きはなく、ヴェランダも附屬せざる部屋なれば、近來使はれたる氣配のなき臺所に紐を張りて、即席物干たらしめんとす。さて紐を括る場所はと見れば、窓の取っ手とドアの取っ手より他になし。さりながら、取っ手は下向きに折れ曲がりたるステンレスにて、單簡に括りたるのみにては、洗濯物の重みに堪へかねて滑り落つるは必定(ひつじょう)なり。取っ手に括らんとせる小生を見てF君は「同じ事を考へてるが、そいつは難しいぞ」とセヽラ笑ひけるが、そは小生が芝居屋にて身に付けたる技を知らざるがゆゑの輕擧なり。
だゞっ廣いフランス 街道沿ひの古屋
何もないフランスの田舎 街道沿ひの古屋
ロッシュ・ギヨンの城塔 路地
ロッシュ・ギヨンの城塔 路地
 さて、物干しも完了してみれば、晴天なり。F君曰く「生涯で、快晴の土日にあと何囘出會へるかと思たら、こんな日にぢっとしてはゐられない」。斯くて、君お氣に入りのドライヴ・コースを走り、マントより蛇行せるセーヌに沿って更に西方、イル・ド・フランスのまさに端っこの小さな街 Roche-Guyon (ロッシュ・ギヨン)へと向かひぬ。
 こゝには、山の中腹に中世の城塔(donjon ドンジョン)が殘りたり。中に這入ることも可なれど、時と足を惜しみて登らず、さらに山頂にゆきて、そこよりセーヌを見下ろせり。
 あっといふ間にロッシュ・ギヨンを探索し盡くして、16時程となりぬ。本日は、舊正月にて、中國系の人々が春節祭を行なふ日なり。實は、今晩、舊正月を觀に行かぬかとの誘ひをF君は受けてありせば、小生も同道せることになりてあり。されば、19時にパリに着到のスケジュールにて、そろそろ歸り、再び出發の準備を整へんとす。
カフェの二階 セーヌ河
カフェの二階。作り物の猫の後に本物の猫 セーヌ河。奧がマント、そしてパリ
城塔を背後から望む 遊びに來てた家族連れ
城塔を背後から望む 遊びに來てた家族連れ。右はF君の愛車フィアット・ブラバ
 パリのチャイナタウンは13區なれど、20區の Belleville (ベルヴィル Piaf ピアフの故ク。美街の意)にチャイナタウンのありて、こちらの方が古し。こたびは、いづれに行くかと思ひて、F君の誘はれたる友人との待ち合はせ場所たる10區のカフェに赴きぬ。
 その場にて待つこと暫し、F君の友人たる parisienne (パリズィェヌ)A孃登場す。と、こゝで、誤解のありたることが判明。春節祭は既に終はりてありて、A孃の我々を誘ひてゆかんとせるは、彼女の友人の日本人宅の晩餐會にて、その宅は13區にありといへり。斯くて我々はA孃を乘せて、13區のど眞ん中、Place d'Italie (プラス・ディタリィ イタリア廣場)へと向ひぬ。
高速道路A13番線
高速道路A13番線にてパリへ
 些かの苦勞の後、日本人O氏の宅に闖入してみれば、そこに集へるは、悉く日本人にて、いづれも長期滯佛者なり。部屋も、日本式に靴を脱ぎてあがる式なれば、ドアの手前に靴を竝べて、廣きお宅を拜見とはなる。F君と小生は、飛び入りの客なることをO氏に詫びつゝ、大量の食事をご馳走になりぬ。O氏は Huysmans (ユイスマンス 1848-1907)にて博士論文を準備せる傍ら、翻譯や通譯に從事せりといふ。パリに部屋を探せる小生、このO氏より或る不動産屋さんの連絡先を教へてもらへり。
 深更になりてO邸を辭し、A孃を元の10區に送り屆けて、我々はパリを後にせり。


2000/02/06
 折角の日曜なるに、天氣はイマイチにて、仰ぎ見れば曇天の廣がれり。但し、この時期のフランスはもっと寒い筈なるが、小生の到りてより、曇天の日は氣温高く、8度以上をキープ、逆に快晴の日は寒くなりたり。防寒對策にパッチを2枚も買ひ込みてきたれど、一度として使用の必要を感じたることなし。
 さて、小生との共同生活を機に、何にもない部屋に、幾ばくかの家具の設置を考へたるF君、今日は家具を買ひに行かんと提案せり。君が希望は、冷藏庫、電熱レンジ、ソファベッド、本棚なり。マントの郊外にも、車に乘りてゆくことを前提とせる郊外型ショッピング・センター Auchan やら家具屋さんやらのありて、まづはそこへ向かふ。
 さりながら、各店を巡りてみて、F君が心裡に内包せる希望の値とは些か異なるものばかりなれば、レンジもソファベッドも買はず、今度は、マントの街中にある古家具および諸々を扱ふ店(こゝも、郊外型風なりき。マントにはまだまだ土地のある證左なり)に行く。こゝにても色々檢討の上、F君は白い本棚の250FFなりを購入す。
 上の本棚を持ち歸る。本棚は背丈が2000mmもありて、F君の車には載りきらず。中古品にて釘で留めたるところもあれば、分解するも能はず。結句、お尻のハッチバックを開けはなしにして、一部突き出せるまゝ、そろそろと家に戻りぬ。
 さて、戻りてみれば、今度は本棚を上ぐるが一仕事なり。F君の駐車スペースは、地下2階、部屋は1階(日本式の2階)なれば、エレヴェータを用ゐるが普通なれど、さあ入れてみようとて長大なる本棚が頭を突っ込んでみたところで二進(にっち)も三進(さっち)もゆかずなりぬ。あれこれやるも、逐に斷念、二人で階段を擔ぎ上げることゝ相成る。F君は階段にて喘ぎつゝ、かういふことがあるから、キミが來るまで買へなかったんやとのたまへり。
 夜、永井荷風の『ふらんす物語』をF君に借りて讀む。こは、日本を發つ前にF君が是非讀めと勸めたりし一品なりしかど、忙しさのゆゑに、逐に讀む能はず、こゝに到りて漸く目をとほせり。F君曰く、「巴里の別れ」の章は心に染みる、もし自分がフランスを離れねばならぬ日が來たら、全く同じ心境に陷るに相違ない云々。
 「巴里の別れ」は荷風が明日は巴里を去るてふ日の述懷と、船の乘り換へ地たる倫敦での想ひ出を綴りたる章にて、若き荷風は「何故ふらんすに生まれなかったのであらう」と嘆息し、倫敦にて出會へる若き佛女性の口から、今ひとたびあの美しい言の音(ね)をば耳にせんと渇望し、序でに巴里の素晴らしさに比して倫敦をメシまづく道汚き街とこきおろせる章なり(因みに漱石は、倫敦の下宿の夫人が佛蘭西生まれと知りて、「あなたは佛蘭西語を話しますかと聞いた。いゝやと答へようとする舌先を遮って、二三句續け樣に、滑らかな南の方の言葉を使った。かういふ骨の勝った咽喉から、どうして出るだらうと思ふくらゐ美しいアクセントであった。」と書けり)。なほ、荷風の佛蘭西滯在は11ヶ月、巴里には三月(みつき)のみと解説にあり。F君は當初4年はゐてもらふとて派遣されたるさうなり。もしその折りの到來せば、君の嘆きは荷風の比に非ざること疑ひなし。


2000/02/07
朝の清掃 美容院
朝の清掃 マントの美容院。"avec ou sans rendez-vous"とは「豫約の有無に拘らずOK」の意
 滯佛中のA先生が講義に出席すべく、パリに出る。A先生は小生が出張にあたりてE.H.E.S.S. (École des Hautes Études en Science Sociale エコール・デ・オット・ゼチュード・アン・スィアンス・ソスィアル 高等社會科學研究院)のT先生に仲介の勞をとって戴きし方なり。A先生はこの2月末まで1年間の出張で來られ、その間、昨年の11月より、毎週、16區の Maison de l'Asie (メゾン・ド・ラジ アジア館)にて「言葉と空間」てふ題目にてセミナーを開催せる由。
 マントからのSNCFはパリの北西なる Saint Lazare (サン・ラザール)驛に着く。直通特急で30分、快速で1時間なり(なほ、別ルートもありて、それによれば1時間半かゝれり)。朝夕のラッシュ時にはそれなりの本數もあれど、晝間は30分に1本の割り合ひなれば、驛までの時間も考慮の上、時刻表をよく檢討、快速を選びて、パリに向かへり。
SNCFのシート 國立藝術高等院の落書き 廢ビルの落書き
SNCFのシート。破壞衝動は落書きのみにとゞまらず École Nationale Supérieure des Beaux Arts (エコール・ナスィオナル・スペリウール・デ・ポ・ザール:國立藝術高等院)の壁の落書き 廢ビル全體にも落書き
 郊外(banlieu バンリュー)を走るSNCFは、悉く落書きされてあり。車體は内外を問はず、驛舎、線路沿ひの壁、鐵道關係の小屋、およそ壁面のあらば落書きのカンヴァスとぞなれる。如何なる鬱屈(或ひは情熱)が落書き子をして然(さ)なる活動へと驅り立てるならん。中にはキース・ヘリングの如き天才もゐるやも知らざりしかど、大半は便所の落書きと選ぶところなきシロモノなり。
改札機 改札せよとの看板
あちこちに設置してあるSNCFの改札機。これでパンチを入れる サン・ラザール驛の「パンチを入れよ」と書いてある看板。トレ・デュニオンがアンダー・バーにしか見えない
 途中、セーヌ沿ひの枯れ葦原や林の木立の中などを通りて、パリへと向かふ。流石に左樣な場所には落書きなけれど、サン・ラザール驛に近くなりぬれば、再び落書きに溢れたり。
 さて、目指すは16區、あれこれ戸惑ひつゝ、辿り着きたるはEHESSの東洋言語文化セクションの別棟とも云ふべき場所にて、先生方のオフィスと些かなるセミナー室あり。小生は直接A先生を訪なひて、一緒に近所にて食事せるのち、セミナー室に赴きて講義を聽く。
 參加者は8名ばかりにて、多くは日本人留學生なり。途中にインターヴァルを挾みて都合3時間、久々に生のフランス語を長々と聽く。
 セミナーの終はりて後は、三々五々と帰る。
 パリを離るゝ前に、サン・ラザール駅前の Fnac (フナック)にて本を眺める。このフランスの紀伊國屋ともいふべ大手書店は、文具は勿論、CD、ヴィデオ、オーディオ、情報機器のハード、ソフトも取り扱へれば、7年前との変はり様に甚だ駭(おどろ)けり。
 夜。F君例の如く8時過ぎに歸宅して、開口一番、「福島君、歸國命令が出ちゃったよ」。聞けば、諸々の事情により、東京本社へ轉屬の内示のいでて、さらには4月1日に出社せよとの由。餘りの突然さと、4年と云はれて來たれるに2年半にて歸國とは如何なる心境ならんと忖度(そんたく)するもさらなり。抑々(そもそも)二タ月で歸國準備とは無茶なハナシにて、然に非ずとも10年はゐたかったと述懷せるF君は、取り敢へずゴネてみる樣子なり。


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