フランス研修2013-8日目

By 黒猫亭主人, 2013/09/16

本日は、朝食時間を延長して、先週の総括。改善点やきづいたことをひとりひとつづつあげてゆく。やっぱは通信手段はいるよねとか、仏学生とあそぶときは集合時間早くするか遅くするかどっちかにしてくれとか、トイレットペーバーの補充は切れかけよりまへにすべしとか。これは、来年度の研修に活かされるであらう。

今週文のナヴィゴ(仏版イコカ)をチャージ。

今週文のナヴィゴ(仏版イコカ)をチャージ。

その後、ホテル清掃のために、部屋の片づけと、評価のためのお絵かきののち、午後より授業。Cergy 1 と 2 の合同で、ナハル先生が担当であったが、学習歴のことなる両グループをまとめて、わりとふつうの速度のしゃべりで、ダイレクトメソッド。当然、Cergy 1 の3名は、なんだかようわからん様子。それでも、聞かれたことに返答はできてゐたので、今回、文法的なことはすっとばしで、とりあへず仏語を発話させるのが目的と見た。

12名とワファと小生が陪席。

12名とワファと小生が陪席。

後半は、ヴァル・ドワーズ県議会での質疑応答会にそなへて、県議会のハナシ。日本の政治状況と比較するとて、自民党は droite 右派、民主党は gauche 左派、とナハル先生が説明したので、いや民主党は centre 中道と説明。公明党は、え説明せず。

放課後は、パリに出て、boulvard Saint-Michel サン・ミシェル大通り63番地にあるらしい、古代ローマの forum の遺構を見にゆく。

そのまへに、Saint-Paul サン・ポール界隈を散策、小雨のパラつくなか、rue François-Miron フランソワ・ミロン通りの中世家屋を見にゆく。16世紀以前、おそらくは14世紀からある家らしい。

マレに属するサン・ポール。18h。

マレに属するサン・ポール。18h。


木材むきだしが如何にも古風な両家屋。1Fはお店。

木材むきだしが如何にも古風な両家屋。1Fはお店。


アパルトマンの一部と化してゐる城壁。

アパルトマンの一部と化してゐる城壁。

その後、シャルル・マーニュ高校のグランドの壁につかはれてるフィリップ2世時代、すなはち12世紀の城壁をながめ、サン・ポール村をひやかし、2000年に住んでたサン・ルイ島のアパルトマンの1Fのアラブ・コンビニをおとなふと、旧知のアブデルさんがレジのところで、おゝ、ça va ? コンバンハ! といふてくれた。前回の研修以来なので2年ぶりだが、元気さうでなにより。観光客相手のことがおほいこのお店のひとびとは、色んなことばができるのだが、彼はとりわけ日本語がうまいのだ。ちょくちょく来日してるらしく、来年も、大阪と東京にいく予定といふてゐた。

アメリカびとらしきお客さんがたくさんの買ひものをしようとしてたので長居はせず、ワイン一本購入して、ちょいと立ち話しただけであったが、さりぎはには、「もうかりまっか!」ト、いつの間にやら大阪弁もマスターしたやうである。

夏場は、平日夜も24hまで、日曜も22hまでやってゐる épicerie だが、電球とかも売ってゐる。

夏場は、平日夜も24hまで、日曜も22hまでやってゐる épicerie だが、電球とかも売ってゐる。


一族でやってゐるので、いつでも彼にあへるとはかぎらない。ちなみに、アブデルさんは、日本びとには、かならず日本語で挨拶してくれる。

一族でやってゐるので、いつでも彼にあへるとはかぎらない。ちなみに、アブデルさんは、日本びとには、かならず日本語で挨拶してくれる。


13年前とはお店の入れ変はりが激しいが、ご近所のおもちゃ屋さん「ノアの箱舟」は健在。

13年前とはお店の入れ変はりが激しいが、ご近所のおもちゃ屋さん「ノアの箱舟」は健在。

サン・ルイからシテ島をとほり、ノートル・ダームの背後をみつつ、pont de l’Archevêché アルシュヴェシェ(大司教区)橋にさしかかると、ルーヴル向かひの pont des Arts(學藝橋)も吃驚の南京錠(cadenas)が欄干に鈴なり状態にて吃驚。バイク用の鍵に、小さい南京錠が居候してたりしてるし。

あんまり凄いので、みんな写真を撮ってゐる。

あんまり凄いので、みんな写真を撮ってゐる。


予め刻印済みの南京錠。

予め刻印済みの南京錠。

いっときあがってゐた雨が激しくふりはじめ、サン・ミシェルの地中海料理店界隈へでてから、そのうちの一軒に避難がてらケバブ料理を食す。

ビフテキを食べるやうになる18世紀以前には、イギリスびとのことを「馬喰ひ」と呼ばはったら、英人は「蛙喰ひ」とかへしたさうだが、れっきとしたメインディッシュであった。

ビフテキを食べるやうになる18世紀以前には、イギリスびとのことを「馬喰ひ」と呼ばはったら、英人は「蛙喰ひ」とかへしたさうだが、れっきとしたメインディッシュであった。


assiette gyros アシエット・ギロてふギリシャ料理。ケバブと菜っ葉と芋。

assiette gyros アシエット・ギロてふギリシャ料理。ケバブと菜っ葉と芋。


古代ローマの風呂場の跡、中世美術館。20hまへ。

古代ローマの風呂場の跡、中世美術館。20hまへ。

そののち、例のローマ時代の遺構をたづね、パンテオンからくだってきたとこにあるサン・ミシェルの63番地の地下なる駐車場へもぐるも、地下5階までたづねてみつからず、断念で残念。

いつの間にやら20h過ぎて、あたりは薄暮。今週も、夜間は、セルジー・ル・オーへの直通がなくなるので、いささか迷ったが、82番のバスにてエッフェル塔へ。ここんとこ夜景を撮ってなかったので、すっかり観光客となりて、下から撮影、さらにセーヌをわたりてトロカデロへむかひ、正面写真を撮影ののち、22番のバスでシャルル・ドゴール=エトワールへ。とほりすがりに、凱旋門の夜景も撮影し、ぶじ直通のある時間にRER上のひととなりて帰還せり。

21hまへ。雨があがってお月さま。背後はモンパルナス・タワー。

21hまへ。雨があがってお月さま。背後はモンパルナス・タワー。


夜の凱旋門。

夜の凱旋門。

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