本日は、朝食時間を延長して、先週の総括。改善点やきづいたことをひとりひとつづつあげてゆく。やっぱは通信手段はいるよねとか、仏学生とあそぶときは集合時間早くするか遅くするかどっちかにしてくれとか、トイレットペーバーの補充は切れかけよりまへにすべしとか。これは、来年度の研修に活かされるであらう。
その後、ホテル清掃のために、部屋の片づけと、評価のためのお絵かきののち、午後より授業。Cergy 1 と 2 の合同で、ナハル先生が担当であったが、学習歴のことなる両グループをまとめて、わりとふつうの速度のしゃべりで、ダイレクトメソッド。当然、Cergy 1 の3名は、なんだかようわからん様子。それでも、聞かれたことに返答はできてゐたので、今回、文法的なことはすっとばしで、とりあへず仏語を発話させるのが目的と見た。
後半は、ヴァル・ドワーズ県議会での質疑応答会にそなへて、県議会のハナシ。日本の政治状況と比較するとて、自民党は droite 右派、民主党は gauche 左派、とナハル先生が説明したので、いや民主党は centre 中道と説明。公明党は、え説明せず。
放課後は、パリに出て、boulvard Saint-Michel サン・ミシェル大通り63番地にあるらしい、古代ローマの forum の遺構を見にゆく。
そのまへに、Saint-Paul サン・ポール界隈を散策、小雨のパラつくなか、rue François-Miron フランソワ・ミロン通りの中世家屋を見にゆく。16世紀以前、おそらくは14世紀からある家らしい。
その後、シャルル・マーニュ高校のグランドの壁につかはれてるフィリップ2世時代、すなはち12世紀の城壁をながめ、サン・ポール村をひやかし、2000年に住んでたサン・ルイ島のアパルトマンの1Fのアラブ・コンビニをおとなふと、旧知のアブデルさんがレジのところで、おゝ、ça va ? コンバンハ! といふてくれた。前回の研修以来なので2年ぶりだが、元気さうでなにより。観光客相手のことがおほいこのお店のひとびとは、色んなことばができるのだが、彼はとりわけ日本語がうまいのだ。ちょくちょく来日してるらしく、来年も、大阪と東京にいく予定といふてゐた。
アメリカびとらしきお客さんがたくさんの買ひものをしようとしてたので長居はせず、ワイン一本購入して、ちょいと立ち話しただけであったが、さりぎはには、「もうかりまっか!」ト、いつの間にやら大阪弁もマスターしたやうである。
サン・ルイからシテ島をとほり、ノートル・ダームの背後をみつつ、pont de l’Archevêché アルシュヴェシェ(大司教区)橋にさしかかると、ルーヴル向かひの pont des Arts(學藝橋)も吃驚の南京錠(cadenas)が欄干に鈴なり状態にて吃驚。バイク用の鍵に、小さい南京錠が居候してたりしてるし。
いっときあがってゐた雨が激しくふりはじめ、サン・ミシェルの地中海料理店界隈へでてから、そのうちの一軒に避難がてらケバブ料理を食す。
そののち、例のローマ時代の遺構をたづね、パンテオンからくだってきたとこにあるサン・ミシェルの63番地の地下なる駐車場へもぐるも、地下5階までたづねてみつからず、断念で残念。
いつの間にやら20h過ぎて、あたりは薄暮。今週も、夜間は、セルジー・ル・オーへの直通がなくなるので、いささか迷ったが、82番のバスにてエッフェル塔へ。ここんとこ夜景を撮ってなかったので、すっかり観光客となりて、下から撮影、さらにセーヌをわたりてトロカデロへむかひ、正面写真を撮影ののち、22番のバスでシャルル・ドゴール=エトワールへ。とほりすがりに、凱旋門の夜景も撮影し、ぶじ直通のある時間にRER上のひととなりて帰還せり。