昨日は3月アトリエ公演の仕込みと態変の金満里さんソロ公演「天にもぐり地にのぼる」観劇&ウイングフィールドの福本さんと「むりやり堺筋演劇祭」のハナシ。
満里さんのダンスは、見るたびに「身体表現」の可能性について考へさせられる。下肢に障碍をもつ彼女のダンスは、その場に坐わったまゝの、眼力と上半身によるダンスと、船を漕ぐやうにすすむ、あるひは転がることによるダンスとなる。その随意性と不随意性が渾然一体となったありやうは、「肉体を鍛へる」とは如何なることかなどの思弁を発動させずにはおかない。なにしろ、ラストは、監修の大野慶人先生のギニョール人形と競演してゐたのだ。それを操る慶人先生――周知のごとく、100歳を越えてなほ現役の大野一雄大先生の息子さんである――の身体の動きにも注目すべきであるが、たいへん簡単なつくりの人形は、関節がどうとかの次元ではないにもかかはらず、ちゃんと「踊る」のである。
福本さん――満里さんとタメださうで――には、昨年からはじまった、劇場側からの発信でもある 「むりやり堺筋演劇祭」に、浪花グランドロマンも劇団参加か劇場参加したい旨を報告。ウチのテントでは、ことしも態変さんがやることになってゐるので、態変さんしだいで、「テント劇場」てふ小屋として参加することも考へてるてふハナシをする。
劇場が埋まらないてふハナシのなかで、昨今、若手劇団は、カフェやらライヴ・ハウスやらの小スペースでやる傾向があるてふハナシに。フランス式の café théâtre てふやつであるが、既成の劇場に背を向けた小劇場の先輩たちが、60年代にやってゐたことではある。ただ、理由が、経費削減――芝居にばかりお金を使ひたくないてふ風潮もあるさうで――のためださうで、イデオロギーはおほいに異なる。ウイングのやうな小劇場でも高いのださうだ。デフレの世の中では、それも当然かもしれぬ。かへりみるに、われわれの旗揚げは1990年。バブルの真っ只中であった。
帰りしな、かつての教へ子であるトモエが、態変の楽屋番をやってゐるてふので顔をみにいったら、来年の態変の韓国公演の呼びかけ人になってくれと頼まれた。ちゃうど一年後ださうだが、もう始動せんとアカンらしい。まあ、大阪市立大学の関係者にも声かけとくわと約束。