コドモノクニ

安倍枕流(浪花グランドロマン)

 嘗て社会における「中景の喪失」を指摘したのは別役実氏で、近頃「中間の消滅」を論ずるのは哲学者の東浩紀氏である。これは要するに、頗る身近なことか甚だSF的な発想にしかリアリティを認められぬ感性のことで、世間は想像力不要の「近景」と非現実的な「遠景」に二極分解してゐることになる。これに苛立つ人も多いが、実は斯様な感性は珍しいものではない。「子供」の認識世界がそれである。このことは子供の遠近法を缺いた絵を見ると良く判る。
 勿論、芝居界も世に倣ふ。昨今、演劇人口は増えるのに観客数がちっとも伸びないといふのは、全くこのせゐに他ならない。つまり、子供のごっこ遊びでは、その場にゐるものは全て観客かつ参加者なのである。無論「見巧者」の消失が芝居の衰頽を招くと嘆く意見もあるが、過度の心配は無用であらう。子供といふのは、ごっこ遊びの中で「中景」の見方を身に付けてゆくものだからである。
 にしても一国悉く子供である。なるほど政経界の合従連衡は合体変形ロボごっこであり、無闇に日の丸が立つのは、お子さまランチへの憧憬(しょうけい)に相違無い。

(コラム「演劇ざんまい」『季刊 せりふの時代』14, 2000年冬号, 小学館: 137)


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