庭と境界 一.空間としての境界 例へば、化け物である。民話・傳説に於いて、化け物と云ふのは、概ね、トイレ・井戸・辻・坂・道路のカーヴ・橋のたもと・川のほとり・山の中・海の中等に、ばあと出現し、それに遭遇した人間が、きゃっと云って駭くことに成ってゐる。何故、人間は駭くのであらうか。そりゃ化け物が脅かすからに決まってるぢゃないか、と云ふ意見が在るかも知れないが、さうではない。詰まり、化け物の出没する所は、概ね、見通しの惡い所なのであり、勢ひ、不意に現れるやうに成ってしまふ爲に、駭く譯である。これにだって勿論、化け物は、人間を脅かさうと思って、わざわざそんな所を選ぶのであると云ふ反論が在る。然し、そんなことは無い。化け物は、その種類に依って、出没場所が決まってゐるのであり、若しかすると、その氣に成ればそこに行かなくて濟む人間よりも、彼らの方が悲慘なのだ。 過日行なはれた、總理府統計局と交通安全協會の共同アンケート調査の結果に依ると、化け物の方でも、ばあと出現した人間に、きゃっと云って駭いてゐるのである。 こゝまで來れば、既に明らかであらう。云ふまでも無く、化け物の出現せざるを得ない諸々の空間は、全て、「他界」と「此界」を結ぶ通路なのである。 然し乍ら、こゝで、それらの空間は、化け物(彼らは、人間側の都合に依って「神」と呼ばれたり「妖怪」と呼ばれたりする)の出現する、一種の「聖域」ではあるが、他界そのものではないと云ふことに注意しなければならない。これらの空間は、小松和彦の指摘する如く(1972,p.188)、他界と此界雙方の要素を含み乍ら、孰れにも屬してゐない第三の領域、謂はゞ「境界」なのである。では、如何なる場所が境界たり得るのだらうか。他界と云ふ物が、眼に見えない「他−世界」であり、此界と云ふ物が、眼に見える「世界」である以上、境界と云ふ物が、見えるけれども見えない「間−世界」であるのは當然であらう。具體的に云へば、死角を伴った場所こそ、境界なのである。 死角と云ふ物は、萩原朔太郎が坂に關して云ふやうに、見えざるが故に、空想を掻き立てる。空想は、見えざる彼方に對する憧憬と成り、一方で、未知への畏怖を伴ふ。「畏怖と憧憬」とは、云ふまでも無く、他界の主屬性である。詰まり、他界を他界ならしめてゐるのは、境界なのだ。更に言ひ換へるなら、境界とは、眼前しない他界への想像を強ひるやうな空間であり、だからこそ、人間は、そこに於いて、化け物を見るのである。 このことを重視した日本化け物民俗研究會は、交通安全協會に對し、交通安全講習會で上映される映畫の一つ『死角の危險』は、タイトルを『境界の危險』に變更すべきだとの要求を行なったが、交通安全協會側は、そんなことをしたら、車はトイレや井戸にまで注意しなきゃいけなく成るぢゃないかと、この要求を一蹴した。 二.境界としての庭 このやうに、他界は不可視なのに對して、境界は可視なのである。當然、その場所は誰でも知ってゐるし、訊かれゝば、詳しく教へてやることだって出來る。中には、トイレや井戸の如く、身近な物であり乍ら、境界を以って任じてゐる物も在る。實は、庭もさうなのである。 周知の如く、「には」と云う物は、元來、神を祀る齋場であった。それぞれの場所に在る自然を一同に會させて、それを愛でると云った動きは、未だ、お花畑に毛の生えた程度の物であり、「その」と呼ばれてゐた。軈て、その、神を呼ぶ領域を造ると云ふ觀念と、自然を集める領域を造ると云ふ觀念とが、どうせ領域にゃ違ひ無い一緒にしちまへと云ふ横着な考へに依って結合する。その結果誕生したのが、神を呼ぶ場として模倣された自然と云ふ奴である。 良く知られてゐるやうに、推古紀二〇年の條に、百濟國より渡來した者が、その身の異常の故、島に棄てられようとしたが、造園の才を以って自薦した爲、南庭〔おほば〕(御所の庭)須彌山の形と呉橋を構築させたと云ふ記事が見える。同三四年五月の條には、大臣〔おほおみ〕蘇我馬子は、自邸の庭に小〔いさゝか〕なる池を造り、その池の中に小〔いさゝか〕なる嶋を造ってゐたので、時の人は、「嶋大臣〔しまのおほおみ〕」と呼んだと云ふ記事が在る。更に、齊明紀三年七月には、飛鳥寺の西に須彌山の像を造ると云ふ記事も見られる。 「須彌山」とは、云ふまでも無く、サンスクリット語 Sumeru (妙高山)の音轉寫であって、佛教に於ける「宇宙山」である。古代日本には、明らかに道教の無視出來ぬ痕跡が認められるが、道教に於ける宇宙山は「崑崙」であり、「須彌山」は「崑崙」と同機能の物と看做して良いであらう。『淮南子〔えなんじ〕』抔で、「崑崙」は天界への通路とされてゐる。須彌山・崑崙を通って天帝=神が、此界に御登場になる譯である。即ち、須彌山のミニチュアを築くと云ふのは、神の依代〔よりしろ〕を造ると云ふことであり、言ひ換へれば、身近に「境界」をしつらへると云ふことに他ならない。又、池の中の島と云ふのも、道教系神仙思想の海上他界を模した物なのは明らかであって、これは詰まり、他界と境界のワンセットに成ったディオラマであった。 斯くして、「には」と「その」は合體して「所有された境界」と成った。詰まり、「庭園」である。然し、この境界には「死角」が無い。これは、造られた境界ではない本來的な境界と云ふものが、その死角の故に、自づと他界を想像せしめるのに對して、こちらの境界は、先づ他界と云ふ意識が常に在って、そこから便宜的に創造された空間だからであらう〔これは、洋の東西を問はない。例へば、整形庭園と云ふ物も、例の「存在の連鎖」に依る、造られた境界であらう。即ち、天上界の秩序を反映してゐるのである。この點を克服すべく考へ出されたのが、風景庭園であった。詰まり、外界の自然を、なるべく丸寫しすることに依って、自然界に在る死角をも持ち込まうと云ふ譯である。「見通しの拒否」抔は、この考への積極的な適用と云って良い〕。畢竟、庭園とは、此界(美しき天然抔)に對する欲望の眼差しと、他界(現世或いは死後の幸福抔)に對する欲望の眼差しとの交點に結ばれた、自己所有欲の立體映像なのである。 自己所有化の欲望と云ふ物が、庭園に對する動機の一つであるのは、云ふまでも無い。或る風景に感動し、その感動を何とかして留めたいと思った時、庭園造りと云ふ考へが發生する。それが嵩じると、今度は、斯くあるべしと云ふ理想の風景を造り出すやうに成る。それが局部化すると、名木、名石を集めるやうに成り、更に、把握欲が併發すると、盆栽抔と云ふ物に成る。然し乍ら、境界と云ふ物は、元來、圍ひ込み得ぬ空間である。にも拘らず庭園を造らせた(大部分が富者である)人々は、邸内と云ふ「閉ぢられた空間」に、境界と云ふ「開かれた空間」を齎してしまったことに成る。詰まり、庭園とは、ウチを辿ってゐるうちに、何時の間にかソトへ出てしまふと云ふ、「クラインの壺」なのだ。彼らの所有欲は、その極、却って仇と成った。彼らは、庭園の眞ん中に立って、正に、汲み取り式トイレで跼み乍ら眞下の暗い落とし穴に感じたやうな、止めども無い不安に苛まされてゐたのではなかったのだらうか。 三.庭としての都市 宮田登の指摘するやうに(1985)、都市と云ふ物には、怪異が多い。然し、それは、宮田の述べる如く(ibid., pp.222 et qq.)、都市が境界領域を部分的に良く殘してゐるせゐではなく、都市そのものが境界だからである。そして、それは、造られた境界なのだ。 都市には庭が無い。當然であらう。以上の考察で既に明らかな如く、都市自體が巨大な庭なのである。欲望の結晶である點や、物品の集積地である點抔、類似點は多いが、何よりも先づ、作庭術の極みとして、都市は必然の結果であった。 既に境界とあれば、化け物の跳梁跋扈するのは當然であらう。あちらに魑魅、こちらに魍魎と云った鹽梅〔あんばい〕で、最早、人間との區別も付き難い。ことによると、化け物と人間の區別なんぞと云ふ物は、疾っくに失はれてしまってゐるのかも知れないのである。と成ると、これからの小説は、化け物=人間が、化け物=人間の話を書く譯であり、文學は、一層、重層的に成るであらう。これは歡迎すべきことである。然し乍ら、困った事態も出來してゐる。詰まり、都市に暮らして來た我々には、どうやら、どちらが此界でどちらが他界か、區別が付けられなく成ってゐるらしいのである。 (了) 【參考文獻】赤坂 憲雄(1987)「境界喪失」『異界が覗く市街図』青弓社, 1988 大室 幹雄(1984)「庭園における政治的なもの」『is』26 ポーラ文化研究所 川崎 寿彦(1984)「イギリス庭園の栄光と恥部」『is』26 ポーラ文化研究所 ――――(1987)『楽園と庭』中公新書723,中央公論社 小松 和彦(1972)「世捨てと山中他界」『神々の精神史』北斗出版, 1985 ――――(1976)「山岳他界観の二つの位相」『鬼の玉手箱』青玄社, 1986 高山 宏(1984)「風景庭園」『is』26 ポーラ文化研究所 谷川 健一(1989)『常世論』講談社学術文庫897,講談社 舎人親王・編(720)『日本書紀』下 岩波古典文學大系68 岩波書店, 1965 益田 勝実(1984)「古代人と庭」『is』26 ポーラ文化研究所 三浦 國雄(1988)『中国人のトポス 洞窟・風水・壺中天 』平凡社選書127,平凡社 宮田 登(1985)『妖怪の民俗学』旅とトポスの精神史 岩波書店 ――――(1987)「現代の逢魔ヶ時・東京の魔所」『異界が覗く市街図』青弓社, 1988 |