大阪市立大学インターネット講座 2001

《意味》の生まれる場所
――言語理解システムの探究――



第 11 回



4. コミュニケーションの言語哲学(III)――ウィトゲンシュタイン――

 オースティン、サール、スペルベル&ウィルソンと続くオクスフォードの「日常言語学派」の流れに対し、イギリスにおける大学のもう一つの雄、ケンブリッジには、あのウィトゲンシュタインがいました。今回は、この甚だポピュラーな、とは云え頗るユニークな言葉の思弁者・ウィトゲンシュタインについて述べたいと思います。
 ウィトゲンシュタイン (Ludwig Josef Johann WITTGENSTEIN 1889-1951) は、1889 年 4 月 26 日、ユダヤ系の父親と半分ユダヤ系の母親の間に、当時オーストリア・ハンガリー帝国の首都であったウィーンに生まれました(したがって、この苗字は「ヴィトゲンシュタイン」と呼ばれていたわけですが、1938 年、ナチス・ドイツがオーストリアを併合してしまった際にイギリスに帰化していますので、英語式に発音されるのが普通です)。ですから、オースティンよりも 22 歳年長になります(因みに、6 日前には同じオーストリアでヒトラーが、10 日前にはロンドンにチャプリンが生まれています)。
 ベルリンの工科大学で機械工学を学んだ後、渡英して、マンチェスター大学で航空工学を学んだウィトゲンシュタインは、その関心を、機械設計→数学→数学基礎論→論理学と移していきます。その結果彼は、1911 年、ドイツ・イェナ大学のフレーゲの許を訪れますが、フレーゲの勧めにより、当時ケンブリッジ大学で教鞭を執っていたバートランド・ラッセルの門を叩き、そこで論理学等を学ぶことになります。第一次世界大戦に志願従軍したウィトゲンシュタインは、1918 年の休暇中に、生前唯一の纏まった出版物『論理哲学論考』(Logisch-Philosophische Abhandlung) を脱稿しました。しかしこの著作は出版の機会に恵まれず、1921 年に漸く活字になりますが、ウィトゲンシュタイン自身の校正を経ていないこの版は、誤植も多く、著者自身によって「海賊版」と呼ばれる結果になります。結局、この本の決定版は、ラッセルがオグデンに相談した企画により、オグデンとラムゼイによる英訳を付され、ムーアによる Tractatus Logico-Philosophicus というラテン語タイトルを与えられて、1922 年、英国の出版社から刊行されました。
 「語り得ぬことには沈黙しなければならない」(Wovon man nicht sprechen kann, darueber muss man schweigen) という有名な文句で結ばれる『論考』は前期ウィトゲンシュタイン哲学の根幹をなす著作ですが、この作品によって哲学的諸問題を本質的に解決してしまったと感じ、戦時中に出会ったトルストイ的世界に憧れた彼は、教員養成学校に入学して教員資格を取り、1922 年当時には、オーストリアの地方の村へ小学校教師として赴任していました。その後、1926 年まで、彼は小学校の先生をして暮らします。この間、時代を先取りして「コミュニカティヴ・アプローチ」のような教育方法を実践したり、『小学校のための単語集』を出版したりしていますが、この間の経験が、後の思索に少なからぬ影響を与えたとされています。
 しかしながらウィトゲンシュタインは、やがて村の人々の無理解によって、逐われるように小学校教師の職を辞し、1929 年、ケンブリッジに戻ってきます。彼は、そこで学位を取り、講師に迎えられるのですが、実は、彼が小学校の先生をしている間に『論考』が大きな反響を呼んでおり、これに影響を受けた「ウイーン学団(26)シュリックがウィトゲンシュタインに会見を求め、その結果、ウイーン学団との交流が生まれていたことも、彼が哲学の道に復帰した契機の一つだと考えられています。
 さて、1936 年に講師の契約が切れたウィトゲンシュタインは、ノルウェーに建てた小屋に籠もって、新たな著作――後の『哲学探究』――に取りかかります。1938 年には、先に述べたように、オーストリアがナチス・ドイツに併合されてしまい、ユダヤ系の彼は英国へ帰化するなどの苦難を経ながら、1939 年、ムーアの後任として道徳哲学の教授に推され、教鞭を執ることになります。しかしながら、ここでも、折からの第二次世界大戦に際して、病院助手に志願したりと、彼の倫理の実行者としての面は健在でした。そして、1945 年には『探究』の第1部の初稿を完成しますが、著述への志向が高まるに連れ、教授職との両立に困難を覚えた彼は、1947 年末にケンブリッジを退職、イギリスとアイルランドを行き来しつつ、『探究』の完成に専念します。
 1949 年、『探究』が一応の完成を見ると、彼は、弟子のマルコムの招きで渡米し、周囲の哲学者たちと、「確実性の問題」(27)について議論を重ね、刺戟を受けてイギリスに戻りますが、このとき彼は、すでに癌に冒されていたのでした。そして 1951 年 4 月 29 日、彼にとって一種のホスピスの役目を果たしていた、ケンブリッジのペヴァン医師の自宅で逝去します。遂に未完に終わった『確実性の問題』が絶筆となりました。後期ウィトゲンシュタイン哲学の中心と看做される『哲学探究』(Philosophische Untersuchungen) は、彼の死から二年の後、弟子のアンスコムリースの編纂によって刊行されることになります。
 さて、ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』において、次のように述べています(28)

(36) 名称は対象を意味する。対象は名称の意味 (Bedeutung) である。
(『論考』3.203)
(37) 命題のみが意味 (Sinn) を持つ。とある名称がとある意味 (Bedeutung) を持つのは、とある命題のコンテクストにおいてのみである。
(『論考』3.3)

これは、ラッセルの記述理論を受け継いだ考え方で、たとえば「現在のフランス国王」(29)という記述には、このままでは「指示対象」の有無を問うことができず、「現在のフランス国王は禿だ」といった「命題=文章」の中で使用されて初めて「対象=意味」を持つというものです。つまり、この時期のウィトゲンシュタインは、「対象=意味」というものが、存在すると考えていたわけです。
 ところが、中期から後期にかけて、ウィトゲンシュタインの「意味」にかんする考え方は変化していきます。たとえば『探究』において彼は、上のような『論考』にみられる考え方を否定して、次のように述べるのです。

(38)
  1. ――語に「対応する」対象を名指すのだと主張するや、「意味」という語はとんでもない使われ方をしていることになる、ということをはっきりさせるのは重要なことだ。それは、名称の意味と、その名称を持つものとを混同することになるのである。某氏が亡くなったとき、死ぬのはその名称を持つものであって、その名称の意味ではないであろう。そして、もし名称が意味を持つことをやめるならば、「某氏が死んだ」と云うことにはどんな意味も存在しなくなるであろうから、そのように云うのは全くナンセンスなのだ。
    (『探究』40)
  2.  「意味」という語が用いられる「大抵」の場合――すべての場合ではないにしても――次のような云い方で、この語を説明することが出来る。すなわち、とある語の意味とは、言葉におけるその使用 (Gebrauch) である、と。
     そして、ときおり、とある語の「意味」は、その語が名指す存在もしくは対象を示すことで説明される。
    (『探究』43)
 この (38b) から、ウィトゲンシュタインの考え方は「意味の使用説」と呼ばれます。ここに云う「使用」(「慣用」とも訳されますが)とは、どういう場合に用いればよいとか、どういう風に用いればよいとかといった「使用規則」「使用方法」ではなく、「とある語が、斯々然々に用いられている」という「具体的ケース」のことです。これは要するに、「言葉の意味」とは、「言葉が用いられることによって生ずる」のであり、それ以前にどこかにストックされているといったものではないということになります。
 このことを説明するために、ウィトゲンシュタインはさまざまの例を挙げますが、前回のスペルベル&ウィルソンが (27) で直示辞を例に取って「伝達される情報は予めすべて用意されている」というコード・モデルを批判したように、ウィトゲンシュタインもやはり直示辞の例を用いて、「語の意味は予めすべて用意されている」式の考え方を批判しています。

(39) 人は私に云う、「この表現がちゃんとお判りでしょう? ――私も、あなたがご存じのと同じ意味で使っているのですよ」。――まるで、意味というものが、語がどんな使用においてももたらし、纏いつかせたままでいる一種の暈(かさ)をなしているかのように。
 たとえば、誰かが(対象を示しながら)「これはここにある」という文章が、その人にとって意味を持つと云うとき、実際にこの文章が用いられるのは、どんな特殊な状況下であるかと自問すべきである。この文章が意味を持つのは、その状況においてなのだ。
(『探究』117)

 ウィトゲンシュタインはまた、「痛み」という語の意味にかんして、こう述べています。

(40) […] ある子供が怪我をして、泣き喚く。すると、大人たちがその子に話しかけ、叫ぶことを教え、さらに後に、文を教える。彼らは子供に、痛いときの新しい振る舞い方を教えるのである。
 「すると、『痛み』という語は実際には泣き喚くことを意味していると仰有るのですか?」――逆である。すなわち、痛みの言葉による表現は、泣き声の代わりなのであって、それを記述しているのではないのだ。
(『探究』244)

 つまり、「痛い!」という言葉は、「発話主体の身体のどこかに存在する《痛み》という対象を指示する記号」ではなく、「泣き声」と等価であり、その表出により他人もその「痛み」を理解できるという点において、謂わば「痛いという身体経験そのもの」とも云えます。これは、「痛い」という言葉の「意味」が、その言葉の「使用」と表裏一体であるということのみならず、「痛み」という「私的感覚」も個人の裡に閉じ込められてはいない、ということをも示していると云えるでしょう。
 さらにウィトゲンシュタインは、「ゲーム」という言葉を例に取り、「語に中心的な意味」、すなわち「本質」があるかという問に、そのようなものはないと答えています。たとえば「チェッカー」「チェス」「トランプ」「球技」などはすべて「ゲーム」と総称できますが、これらすべてに共通なものは、殆んど存在しないように見えます。「鳥」についても同様です。「雀」「鴉」「鷲」などと並べていけば、「羽根がある」「卵を産む」「空を飛ぶ」「尾がある」などが抽出できるように思われますが、「駝鳥」「ペンギン」を入れれば「空を飛ぶ」という共通点は脱落し、「キーウィ」を加えると「尾がある」も消さねばなりません。しかしながら、「チェッカー」と「チェス」がその形態において、「チェス」と「将棋」がその遊技方法において類似(あるいは共通)していることから、「全体を貫く類似・共通性はないが、部分々々は類似・共通している」を指摘(『探究』66)、このような類似性を「家族的類似」と呼んでいます(『探究』67)。この考察が、「ゲーム」や「鳥」という語に本質的「意味」が存在するという考え方に対する反証となることは、云うまでもないでしょう。
 「コード」(規則)という問題についても、ウィトゲンシュタインは、「万人が参照できる実体」という見方を否定します。上で「ゲーム」に共通する本質はないと書きましたが、「ルール」があるという点は、どのゲームにも共通しています(この点は、実は「本質」かも知れませんが……)。ですが、ウィトゲンシュタインは、「ルールがあるからゲーム」なのではなく、むしろ「ゲームだからルールが見いだせる」と考えました。このことを「規則に従う」ということを述べている箇所から見てみましょう。
 ウィトゲンシュタインは、次のような数列を作る際の「規則」について述べています。すなわち、「+n」という命令に対して

(41) 0, n, 2n, 3n,...

という数列を書き出すようにさせる規則があるとします。このとき、「n = 1」ならば、

(42) 0, 1, 2, 3,...

が得られ、「n = 2」ならば、

(43) 0, 2, 4, 6,...

となります。そして、このまま 1000 以上の数列を続けさせたとき、ある生徒が、

(43) 1000, 1004, 1008, 1012,...

と書いたとします。この生徒は「規則」に従っていないのでしょうか? ところが、その生徒が「+n (n = 2)」という命令を、「1000 までは 2 を、2000 までは 4 を、3000 までは 6 を加える」という風に解釈していたとしたら、彼は (41) の規則には、全く違反していなかったことになるのです。
 ここにおける問題は、要するに「+n の正しい解釈は何か」ということになりますが、これを事前に決定することは不可能です。勿論、「+n」という記号は、通常「どんな場合も n は変化せず、同じ数を増やすこと」と理解されていますが、これは、たまたま、われわれの世界においてそうであるというだけで、別の時空間の別の共同体では、(43) が正しいということもあり得るわけです。そしてこのことは、「規則というものには、どのようにしても従うことが出来る」ということでもあります。何故なら、

(44) 0, 2, 3, 6, 6, 10,...

という数列を書き出しても、「+n (n = 2)」を「奇数には n を掛け、偶数なら n を加える」と解釈すれば、規則に従っているという風になるからです。このことにかんし、ウィトゲンシュタインは、

(45) 「しかし、規則は、私が"今"なすべきことを、どうやって示してくれるのだろうか? たとえ私にどんなことが出来たとしても、何らかの解釈に従えば、それは常に規則と両立できてしまうのだ」――そうではなく、むしろ、こう云うべきであろう。つまり、どんな解釈も、解釈されたものも含めて、宙吊りになっている。解釈は、それのみでは、意味を決定できないのだ、と。
 「たとえ私が何をしても、それは常に規則と両立できてしまうのではないのか?」
(『探究』198)

と述べています。何をしても規則に背かないとするならば、規則はもはやわれわれの行動を規定しない、つまり「規則」は「規則」ではない、という規則の無効性が明らかになってしまったわけです。しかし、われわれは「規則」に従って暮らしているように思えます。当然、それを「規則」たらしめる「共通理解」(=解釈)が存在するのではないのでしょうか? ウィトゲンシュタインの考えは、次のようなものです。

(46) われわれのパラドックスとは、こうであった。すなわち「どんな振る舞い方も、とある規則によって規定されることはないだろう。何故なら、それぞれの振る舞い方ごとに、規則に一致できてしまうからだ」。これに対する答は、次のようなものである。「もし、どんな振る舞い方も規則に一致できてしまうならば、同様に、どんな振る舞い方も規則に一致しないことができる。したがって、ここには一致も不一致も存在しないであろう」
 ここには、単純な事実にかんする誤解が見て取れる。すなわち、われわれが議論を進めていく間、一つの解釈の向こうにある別の解釈を考えるまでの少なくとも一瞬だけはその解釈に満足しているかのように、われわれは次々と解釈を与えていく、という事実である。このことは、「解釈」ではない規則、それが適用されるケースに応じて「規則に従う」「規則に反する」と呼ばれるものごとの中に立ち現れるような規則の考え方がある、ということを示している。
 そういったわけで、規則に従うどんな行為も、一つの解釈であると云いたくなるかもしれない。しかしながら、「解釈」という語には、規則の一つの表し方を別の表し方に置き換えるということ以外の意味を与えるべきではないであろう。
(『探究』201)

 すなわち、「規則」はそれについての「解釈そのもの」ではなく「それが問題にされる場」においてのみ立ち現れるものであり、「解釈」とは「規則に従った振る舞い」のことではなく「一つの規則を別の規則に置き換えること」であるというわけです。要するに、人は振る舞う際に、「規則」に従うのではなく、その場その場で次々と「規則」を更新していくわけですから、規則への「一致/不一致」は問題ではなく、振る舞ったときは常に「結果的には規則に従っている」ということになります。言い換えれば、「規則があるから行動が一緒になる」のではなく、「行動が一緒だから、そこには規則があると考えられる」というわけです。そしてこれが、「意味は語の使用の場において立ち現れる」と同じ考え方であることは明らかでしょう(30)
 かくして、ウィトゲンシュタイン式に考えるなら、コミュニケーションの問題はこうなるのではないでしょうか。すなわち、

(47) とある発話による発話者と共発話者のコミュニケーションが成功したと見えるとき、両者は発話の《意味》を共有し、両者間には共通の《コード》が認められる。

「コードがあるから伝わる」のではなく、「伝わっているからコードがある」のであり、言葉の「意味」は、コミュニケーションの結果として、常に「事後的に」発見されるわけです。
 この考え方は、「意味の伝達」の見方に、大きな変更を迫ります。なにしろ、「伝えたい意味」が前提され、それが固定された「コード」に基づいて伝達されるのではなく、「意味」とは「伝わったもの」の謂(いい)であり、「コード」は伝達のために刻々と移ろい、「伝わった」ときにのみ有効=存在するものなのですから。
 ウィトゲンシュタインはまた、その人にしか理解できない「私的言語」を批判したことでも知られています。そしてこのことは、「言語とは社会的なものである」という考え方に繋がっていきますが、この視点に立って社会のあり方を研究する分野が社会学の中に存在します。次回は、その「エスノメソドロジー」と呼ばれる研究について述べたいと思います。


【注】
  1. 先に述べた「論理実証主義者」は、このウイーン学団から生まれた。
  2. これは、かつてムーアが発表した「この部屋には火があるが、私は火があるとは信じない」といった文章の不自然さを巡る考察を端緒とする。ウィトゲンシュタインはこれを「ムーアのパラドックス」と呼んだ。つまり「宇宙には地球がある」のような「自明の理」について「信ずる/信じない」と云うことの問題である。
  3. 以下のウィトゲンシュタインの引用は、いずれもクロソウスキーによる仏訳版を参考にしたため、邦訳版とは云い回しの異なる点がある。なお、『論考』も『探究』も断章形式で書かれているため、引用にはその番号を付した。
  4. なぜ「現在のフランス国王」という例なのかというと、この記述には現実の「指示対象」が存在しないと考えられるからである。勿論、「現在」が我々の存在する時空間ではなく、18 世紀の人物の言葉とすれば、この記述には指示対象が存在することになる。
  5. 周知の如く、ウィトゲンシュタインは「言語」と「ゲーム」の類似を指摘し、言語活動全体を「言語ゲーム」(【独】Sprachspiel,【仏】jeu de langage, 【英】language game)と呼んでいる。
    (n2) ここで、言葉とゲームのアナロジーがなにがしかの光明を与えてくれるのではないだろうか? われわれは、人々が原っぱで、ボールを使ってさまざまなありふれたゲームを始めるが、そのうちのいくつかを終えず、行き当たりばったりにボールを投げ始めたり、ボールで付け狙いあったりする等々のことを想像することが出来る。すると、誰かがこう云う。「この間中ずっと、人々はボールでゲームをしていたのであり、したがって、一挙手一投足ごとに、人々は明確な規則に従っていたのだ」
     そして、われわれがゲームをし、「やりながらルールを作る」(make up the rules as we go along)というケースもありはしないだろうか? そしてまた、「やりながら」そのルールを変更するようなケースも。
    (『探究』83)

【参考文献】
柄谷 行人 (1986)『探究 I』講談社学術文庫, 講談社, 1992.
永井  均 (1995)『ウィトゲンシュタイン入門』ちくま新書 020, 筑摩書房.
野家 啓一 編 (1999)『ウィトゲンシュタインの知 88』新書館.
藤本 隆志 (1981)『ウィトゲンシュタイン』講談社学術文庫, 講談社, 1998.
山本  信・黒崎  宏 編 (1987)『ウィトゲンシュタイン小辞典』大修館書店.
COULTER, Jeff (1979)『心の社会的構成――ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーの視点』(The Social Conctruction of Mind)[西阪仰]新曜社,1998.
WILLIAMS, Meredith (1999)『ウィトゲンシュタイン、心、意味――心の社会的概念に向けて』(Wittgenstein, Mind and Meaning)[宍戸通庸]松柏社,2001.
WITTGENSTEIN, Ludwig (1953)『哲学探究』(Philosophische Untersuchungen) ウィトゲンシュタイン全集 8[藤本隆志],大修館書店,1976.
WITTGENSTEIN, Ludwig (1953) Tractatus logico-philosophicus suivi de Investigations philosophiques,[Pierre Klossowski],tel, Gallimard, 1961/1986.

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