大阪市立大学インターネット講座2001

《意味》の生まれる場所
――言語理解システムの探究――



第10回



4. コミュニケーションの言語哲学(II)――「関連性理論」――

 フランス生まれのダン・スペルベル(Dan SPERBER 1942-)は、パリ大、次いでオックスフォードで文化人類学を学んだ人類学者で、ディアドリ・ウィルソン(Deirdre WILSON 1941-)は、オックスフォードで哲学を、MIT(マサチューセッツ工科大学)で言語学を学び、現在はロンドン大学で教える言語学者です。彼らは、コミュニケーションにとって重要なのはグライスの「関連の原則」(maxim of relevance)であると考え、そこから「関連性理論」(Relevance Theory)(21)を作り上げました。
 1986年に初版が刊行されるや、たちまち話題を呼ぶに到った二人のコラボレーション『関連性理論』で提案された考えは、チョムスキーの統辞論のように、賛否両論の嵐を巻き起こしつつ現在も発展を続けており、著者たちも認めるように(Sperber & Wilson, 1995: 342)、最終的な完成を見たわけではありません。しかしながら、その出自や影響から云っても、コミュニケーション理論を考える上では、間違いなく重要な理論の一つと云えます。
 関連性理論の主張の一つは、第5回に示した「コード・モデル」の否定です。コード・モデルについて簡単におさらいしておきますと、これは次のようなものでした。

(26)

┏━━━━━━━━━━┓                  ┏━━━━━━━━━━┓
┃       発信者       ┃                  ┃       受信者       ┃
┃┌────┐  ┌──┸──┐ 経路 ┌──┸──┐  ┌────┐┃
┃│伝達内容│→│メッセージ│………│メッセージ│→│伝達内容│┃
┃└────┘↑└──┰──┘      └──┰──┘↑└────┘┃
┗━━━━━━┿━━━┛                  ┗━━━┿━━━━━━┛
│            ┏━━━┓            │
└──────┨コード┠──────┘
エンコード ┗━━━┛  デコード
 では、(27)のような発話は、どう説明されるでしょう。

(27) I'll come tomorrow.

 この発話の意味はもちろん「私は明日来るつもりだ」ですが、コード・モデルにしたがえば、おそらく「私=発話主体は、明日=発話時点の翌日、来るという行為を行なうことを意図している」というような「思考内容」が、発信者裡にコード(=規範)にしたがってエンコードされ、それがまた、受信者裡においてデコードされ、復元される、ということになるでしょう。これにかんしスペルベル&ウィルソンは、当該言語の「文法」、すなわちコードは、「私=発話主体」であるとか「明日=発話時点の翌日」であるという「情報」は与えるが、その「中身」、たとえば、「私=ジョン」であるとか「明日=1980年12月8日」であるといった「情報」は与えておらず(22)、それらの「情報」は、受信者側の「推論」(inference)によって充填されることを指摘します。これは要するに、「コンテクスト」がなければコミュニケーションは成立し得ないということですが、「全ての情報がコード化されるわけではない」という点から、彼らはコード・モデルはコミュニケーション・モデルの資格がないと主張します。
 実際、現在普通に見られるコミュニケーション・モデルは、第5回にすでに見たように、多かれ少なかれ「推論」を取り込んだモデルであり、「コード・オンリー・モデル」を主張する研究者は、寡聞にして知りません。
 しかしながら、スペルベル&ウィルソンの特徴的な点は、従来型の「コード+推論モデル」を認めず、「コード化のメカニズムは、推論に包含される」と主張することにあります(23)
 彼らはまず、次のような場面を想定します。

(28) ピーター 今日は気分はどうだい?
メアリー (黙って、アスピリンの壜をバッグから取り出して見せる)

 彼らによれば、「アスピリンの壜を見せる=気分がすぐれない」という「コード」は存在せず、にも拘らず、ピーターは、メアリーの反応を、自分の問に対して充分に有意味なものとして理解できており、したがってここでは「コードに依存しないコミュニケーション」が成立していると云うのです。
 一方、

(29)
  1. ピエール「マリーさん、明日もし晴れたら、あの木の下に行きます」
  2. 次の日は晴天であった。
  3. マリーは例の木の下に行った。
において、マリーが(29c)の行動を取ったのは、

(30)
  1. もしPならばQ(前提)
  2. Q(結論)
という一般的「推論規則」を、発話者のピエールも共発話者のマリーも知っていた、すなわち共有していたからであり、(30)が「コード」となっていることを示しています。このことから、スペルベル&ウィルソンは、「推論」が「コード」として機能し得る、と主張します。かくして、彼らによると、「コード解読過程」は「推論過程」の一部に包含されてしまうわけです(24)
 さて、このように「推論」こそコミュニケーションの基本だと説く彼らは、当然のように、「発信者の思考内容が、受信者によって完全に復元される」というようなコミュニケーション観を取りません。彼らはまず、コミュニケーションを取り巻く諸々の装置について考察します。その結果、

(31)
  1. 発信者と受信者は、知覚や推論によって知ることのできる事物の集合に囲まれている。これを「認知環境」(cognitive environment)と云う。
  2. 発信者は、受信者の認知環境に変更を加えるべく何かを知らせようとする意図を持つことがある。これを「情報意図」(informative intention)と云う。
  3. 発信者は、この情報意図を自分が持っていることを、自分と受信者双方にとってあからさまなもの(manifest)にしようとする意図を持つことがある。これを「伝達意図」(communicative intention)と云う。
  4. 情報意図と伝達意図の双方が揃っていなければ、コミュニケーションではない。
という考察を導き出します。例を挙げましょう。

(32)  a. メアリーは、喉が痛いということをピーターに伝えたいと思っている。
 b. ピーターに「喉が痛いの」と云う。
 b'. ピーターの前で空咳をしてみせる。
 c. ピーターは、メアリーが喉を痛めているらしいと思う。

 (32a)は「情報意図」です。これを持つメアリーが(32b)(32b')という行動を取ることで、ピーターは(32d)という情報を手に入れ、彼の「認知環境」に変化が生じることになります。
 しかしながら、(32a)という前提がなかったとするとどうでしょうか。それでも、(32b')が行なわれれば、(32c)という結果になる可能性があります。この場合、「情報意図」がないにも拘らず「情報が伝達された」わけですが、このようなケースについてスペルベル&ウィルソンは、(31d)のように「コミュニケーション」とは認めません。
 さて、(32b')のような行為をとっても、ピーター(=受信者)にとって(32a)が分明ではありませんが、(32b)の場合は、(32a)が明らかになるのが普通のように思われます。これは、メアリーが「他ならぬあなたたいして情報を伝達しますよ」という態度をピーターに示しているからと考えられますが、スペルベル&ウィルソンによれば、そのような態度こそが「伝達意図」の現れということになります。
 ところが、その場に二人以外の人物が存在し、しかもメアリーがあさっての方を向いて「喉が痛いの」と云えば、たとえメアリーがいくら「情報意図」を持っていたとしても、ピーターには、それが自分にたいして云われているかどうか判然としないでしょう。これは、「自分がピーターにたいして伝達しようとしていることを、ピーターに気付かせたい」というメアリーの気持ち、すなわち「伝達意図」が曖昧なためと説明できます。つまり、「伝達意図」がなければ、受信者があるメッセージを解読(=推論)すべきデータなのかどうかを知ることが出来ず、敢えて解読(=推論)するに到らないことにもなる、というわけですから、「普通のコミュニケーション」では、「然々のことを聞いてよ」という「情報意図」はもちろんのこと、「あなたに知ってほしいんだから、ちゃんと耳を傾けてよ」という「伝達意図」も前提されなければなりません(25)。かくしてスペルベル&ウィルソンは、「普通のコミュニケーション」を「意図明示的推論コミュニケーション」(ostensive-inferential communication)と呼び、以下のように定義します(Sperber & Wilson, 1995: 75)。

(33) 意図明示的推論コミュニケーション:発信者は刺戟を作り出し、その刺戟によって受信者にある想定群をあからさまに、あるいはよりあからさまにしようとする意図を持っている、そのことを自分と受信者の両者にとってあからさまになるようにすること。

 要するに、「情報意図」と「伝達意図」を備えたものがコミュニケーションだというわけです。
 さて、ここでようやく「関連性」(relevance)が登場します。スペルベル&ウィルソンによれば、コミュニケーションによって惹き起こされる認知環境の変化が大きければ大きいほど「関連性が大きい」ことになります。そして彼らは、次のような「関連性の原則」を示しています(Sperber & Wilson, 1995: 318)。

(34)
  1. 人間の認知は、関連性が最大になるようにできている。(関連性の第1原則)
  2. 全ての意図明示的コミュニケーションは、それ自身の最適の関連性(optimal relevance)を持つ見込みを伝達する。(関連性の第2原則)
そして「最適な関連性を持つ見込み」とは、

(35)
  1. 意図明示的刺戟は、受信者がそれを処理する労力に見合うだけの関連性を持つ。
  2. 意図明示的刺戟は、発信者の能力と優先事項に合った最大の関連性を持つ。
と述べています。言い換えるなら、(34a)は「人間は何事かを認識する際に、できるだけ有意味性が大きくなるようにする」ということであり、(34b)は「発信者がメッセージを発する場合、常に最大の意味を与えるようにし、受信者は常にメッセージが最大の意味を持つものと看做して解釈しようとする」ということになるでしょう。つまり、コミュニケーションとは、発信者と受信者相互の能動的なコミュニケーションへの意志があって初めて成立するというわけです。この点でも、スペルベル&ウィルソンの考えは、グライスの「協調の原理」を精密にしたものと云えます。
 さて、このように色々な点でクオリティの高さを誇る関連性理論ですが、それでもなお再考の余地があるように思われます。ですが、その前に、もう一人、ビッグ・ネームの哲学者の思弁について見ておきたいと思います。

【注】
  1. 仏語では Théorie de la pertinence 。「関与性理論」とも訳されるが、著者の一人スペルベルの著書を訳している菅野盾樹は、一貫して「有意性理論」と訳している(cf. 菅野 1995: 83)。
  2. 「私」や「明日」は、発話の基準点(発話者・発話時間・発話空間)との関係でしか指示対象を決定できないアイテム、すなわち「直示辞」(déictique / deixis)である。
  3. グライスから出発した彼らは、この点にかんし、「グライスの最大の独創性は、人間の伝達には意図の認識が関係するということを示唆していることにあるのではない。 […] この特徴だけで十分だということを示唆したことにあるのである」(Sperber & Wilson, 1995: 30)と述べている。
  4. コードが「その場的」な例も挙げられている。「例えば、白いハンカチをジュリエットがバルコニーの手すりに結びつけておくと、ロミオが上がってきてもよいという意味だとロミオとジュリエットが取り決めるとする。ロミオは白いハンカチを見て2人で作り出した慣習の知識、即ち白いハンカチは上がってきてもよいということを意味するという知識を前提として用いて、上がって行ってもよいということを実際に推論する」(Sperber & Wilson, 1995: 31)
  5. スペルベル&ウィルソンは、「情報意図」はあるが、「伝達意図」が敢えて隠されている場合の例を挙げている。すなわち、メアリーはピーターに故障したヘアドライヤーを修理してほしいのだが――何故かは判らぬが――公然とは頼みたくない。そこで、ヘアドライヤーを分解して、あたかも修理中であるかのように置いておく。そうすることで、ピーターに「メアリーは自分の助けを必要としているんだな」と思ってほしいわけである。そのときでもなお、メアリーは、ピーターに「メアリーは、僕がそう考えると思って、こんな風にわざと分解したまま置いてあるんだな」というところまでは気付いてほしくない、というケースである。これは「伝達意図」が故意に隠されているにも拘らず、謂わばピーターの「善意」によって、メアリーの「情報意図」のみが判明した(ように見える)場合であり、スペルベル&ウィルソンは「コミュニケーション」とは看做さない。
     なお、『関連性理論』の訳者の一人である田中圭子は、広告のメッセージを関連性理論の装置を用いて分析しているが(田中 1995)、そこで分析されているのは「伝達意図」を隠された表現ばかりであり、これは広告表現の特徴と云えよう。

【参考文献】
BLAKEMORE, Diane (1992)『ひとは発話をどう理解するか』(Understanding Utterances)[武内道子・山崎英一]ひつじ書房,1994.
SPERBER, Dan & WILSON, Deirdre (1995)『関連性理論――伝達と認知――[第2版]』(Relevance : communication and cognition)[内田他]研究社出版, 1999.
今井邦彦 (2001)『語用論への招待』大修館書店.
菅野盾樹 (1995)「エロキューションとしての言語」『言語』24-4,大修館書店.
田中圭子 (1995)「広告を読み解く」『言語』24-4,大修館書店.

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