大阪市立大学インターネット講座2001

《意味》の生まれる場所
――言語理解システムの探究――



第8回



 云うまでもなく、われわれは、「相手に判るように発話する」ことを目指します。あるいは、「相手が判るように発話してくれる」と期待します。這般の消息をグライスは、「協調の原理」(Cooperative Principle)と呼び、その下に、18世紀の大哲学者・カントに倣って四つのカテゴリーに属する「公理」(maxim/maxime)(11)を置きました。四つのカテゴリーとは「量」(quantity/quantité)「質」(quality/qualité)「関係」(relevance/pertinence)「様態」(manner/manière)です。そして彼は、その下に、いくつかの公理を設定しました。グライスの公理とは次のようなものです(Grice 1989: 37-39)。

(15)
  1. 量のカテゴリー
    1. 要求に見合うだけの情報を与えなさい
    2. 要求されている以上の情報を与えてはならない
  2. 質のカテゴリー
    1. 偽だと思うことを云ってはならない
    2. 充分な証拠のないことを云ってはならない
  3. 関連のカテゴリー
        関連性のあることを云え
  4. 様態のカテゴリー
    1. 曖昧な云い方をしてはならない
    2. 多義的な云い方をしてはならない
    3. 余計な言葉を用いず、簡潔な云い方をせよ
    4. 整然とした云い方をせよ
      etc.
これは要するに、

(16)
  1. 必要な情報は提供し、必要以上の情報は提供しない
  2. 真実でないと思う情報は提供しない
  3. 話題に無関係な情報は提供しない
  4. 明晰な仕方で情報を提供する
と纏められます。たとえば、

(17)
  1. A: どうしたんだい?
    B: 紙
  2. A: 長崎名物「ちりとてちん」って、知ってるか?
    B: そりゃもちろん、長崎で朝、昼、晩と食べてましたがな
  3. A: 最近、運動してるかい?
    B: 劉備の気分だね
  4. A: 芝居って、どんな風な?
    B: いや、もう、アレがアレで、そんな感じやね
の(17a)〜(17d)におけるBの発話は、それぞれ(16a)〜(16d)の「公理」に反していると指摘できます。
 この観点から先の(12b)や(13)を見直してみると、(12b)は「関連性カテゴリーの公理」に、(13)は「関連性カテゴリーの公理」と「量カテゴリーの公理」に反していると云えるでしょう。これらの発話が「周辺的」と感じられた理由は、ここにあったわけです。
 ですが、(17c)におけるBの発話が「馬に乗れずに付いてしまった内股の肉、すなわち髀肉(ひにく)を嘆いた三国志の劉備の故事」(12)を踏まえているとするならば、この発話は「髀肉を嘆じた劉備の如く、運動不足を嘆きたい気分だ」という「意味」になり、「関連性カテゴリーの公理」に違反していないことになります。
 もちろん、これは「劉備の気分だね」という発話から「明示的」(explicit/explicite)に得られる「意味」ではないでしょう。グライスは、このような「含意的」(implicit/implicite)意味は、発話者と共発話者(13)が共に「協調の原則」を遵守していると推定されるときに生ずるとしています。要するに、「無意味な発話は行なわない」という前提があるとき、発話された側は、それがどんなに原則に違反しているように見える発話であっても、原則に違反しないように(=話が繋がるように)解釈する、すなわち「含意的意味」を引き出そうとする、というわけです。かくして、発話者の「伝えたいこと」は、共発話者の「理解への努力」によって「伝わる」のでした。
 さて、「発話」には「明示的・言内の意味」と「含意的・言外の意味」の二つがあることが明らかになりました。たしかに、「劉備の気分」をそのままの姿、すなわち「文字面」のみで解釈するならば、「劉備の気分」以外に「意味」は存在しません。「文字面」以外の「意味」を求めても、精々「3世紀中国・三国時代、蜀の国を建てた武将の気分」程度のものでしょう。しかし、発話は常に「発話の場」と結び付いています。そんな中で、(17c)におけるように、発話者の「伝えたいもの」は、「文字通りの意味」ではないことも少なからずあります。そんな場合、共発話者は、発話者の発話の「言外の意味」を、どのようにして引き出しているのでしょうか。一旦は「言内の意味」にアクセスし、そこから「これはおかしい、別の意味があるに違いない」と判断して、「言外の意味」に到達しているのでしょうか。
 この辺りのことは考えていただいておくとして、言葉の「意味」と「使用」の問題をグライス以前に追求した、代表的言語哲学者たちの考えを見てみたいと思います。

【注】
  1. maxim とは「行動の指針となる原則」のことであるが、哲学用語では一般に「格率」と訳される。
  2. ただし、「髀肉の嘆」という言葉は、この故事から転じて、力を発揮する機会に恵まれないことを嘆く意味。
  3. 【仏】co-énonciateur。発話の場において、発話者(énonciateur)と共に発話を作り上げる参与者。すなわち「聞き手」

【参考文献】
GRICE, Paul (1989)『論理と会話』(Studies in the Way of Words)[清塚邦彦]勁草書房,1998.
小田三千子 (1994)「ことばの含み」『異文化理解とコミュニケーション』1,三修社.

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