《意味》の生まれる場所
――言語理解システムの探究――
第7回
3. 「伝えたいこと」と「伝わるもの」
たとえば、次の「発話」の「意味」とは何でしょうか。
(11a)は単語、(11b)は文章という違いはありますが、もちろんいずれも「車を停めるな」という「意味」ですね。
では、次の「発話」はどうでしょう。
(12)
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- あゝ、また車が停まってる!
- いやあ、この道ね、細いけど、バス道なんですよね
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これらも(11)同様、「車を停めるな」という「意味」です。でも、(11)が「車を停めるな」という「意味」になるのは当然だけど、(12)がそういう「意味」になるとは思えない、と云う方がいらっしゃるかもしれませんね。もしかすると、(12a)はそう認められても、(12b)は認められないと云う方もいらっしゃるかもしれません。ですが、どちらの発話も、「車から降りた人に聞こえよがしに発話している」というような「コンテクスト」を補えば、たちまち「車を停めるな」という「意味」になるのではないでしょうか。
さらに云えば、(13)も同じ「意味」を表わします。
(13)
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あっこに、綺麗な花咲いてまっしゃろ? あれねえ、あっこのご隠居はんが、まいんち水やらはったり、何やかんやしはって、えらい丹精して咲かしたはりまんね。ほれ、あっこでっせ。あっちの方からずうっと咲いとって、ほらもう見事なもんでんねんけど、何や、陰なっとって見えしまへんなあ、ほんま勿体ない
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一体(13)のどこが「車を停めるな」になるんだ、と云う方もいらっしゃるかもしれませんが、ここでもまた、「駐車禁止の標識をちらちら見やっている」などの「コンテクスト」を付け加えれば、そのような解釈も妥当になると思われます。
かくして、(11)(12)(13)はすべて同じ「意味」の「発話」ということになりました。ですが、(11)〜(13)が同じ「意味」になるためには、「コンテクスト」というものを導入する必要がありました。たしかに「コンテスクト」がなければ、(12b)(13)は、発話者の「車を停めるな」という「意図」を伝えられないようにも思えます。ということは、実は(11)〜(13)には、一種の「スケール」のようなものがあるのではないでしょうか。つまり、(14)のような図式です(10)。
(14)
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意図伝達度大 意図伝達度小
←――――――――――――――――→
(11a)/(11b) (12a) (12b) (13)
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「コミュニケーション」においては、「伝えたいこと」を「伝わりやすく」発話するものでしょうから、「標準的発話」というものは(11)のようなものであって、(13)は「周辺的発話」と考えられます。
実は、このような「伝わりやすさ」を如何にして産み出すか、ということについて思弁した人がいました。イギリスの哲学者・グライスです。そこで、このグライスの考えたことを見てみましょう。
【注】
当然、この(14)を「コンテクスト」の点から観るならば、次のような図式を得るであろう。
(n1)
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コンテクスト依存度小 コンテクスト依存度大
←――――――――――――――――→
(11a)/(11b) (12a) (12b) (13)
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