《意味》の生まれる場所
――言語理解システムの探究――
第5回
さて、言語学の方では、どのようなコミュニケーション図式が描かれてきたのでしょうか。まずは、ソシュールの図式を見たいと思いますが、その前に、「記号学」(sémiologie)の名付け親にして、言語学を記号学の下位範疇とした彼の有名な「記号」(signe)図に触れておかねばなりません。その図とは(5)のようなものです。
(5) 記号
(Saussure 1916: 69)
ソシュールによれば「記号」とは、「概念」(concept)と「聴覚映像」(image acoustique)が表裏一体となったもので、両者が相互的に他方を呼び起こす構造になっています(3)。たとえば[ネコ]という音を聞けば《ネコというもの》を想起するというわけです。
これを基に、ソシュールは下のような図式を提示していますが、これもコミュニケーション・モデルの一種です。
(6) コミュニケーション・モデル D
(Saussure 1916: 28)
(6)における○は「話し手−聞き手」を示しており、話し手の中で「概念→聴覚映像」という変換の結果、一定の「音」で「発話」がなされると、それを聴き取った聞き手は、その音から「聴覚映像→概念」という変換をなし「理解」するというわけです。つまり、この「→」の部分が、シャノン&ウィーヴァーの「意味受信機」に相当すると云えるでしょう。
そして、聞き手はただちに話し手に、話し手も即座に聞き手に変化するわけですから、反対の矢印も描き得るというわけで、(6)は「話し手・聞き手」といった指定のない左右対称の図式になっています。
このソシュールを批判して、コミュニケーションはその「過程」こそ重要であると説いたユニークな国語学者・時枝誠記(ときえだ・もとき)は、その名も「言語過程説」という論を展開していますが、彼の図式は(7)に示したものです。
(7) コミュニケーション・モデル E
(時枝 1941: 91)
図が小さくて見えにくいと思いますので、主要な部分のみ抜き出しますと、「具体的事物(表象)→概念→聴覚映像→音声(→文字)……(文字→)音声→聴覚映像→概念→具体的事物(表象)」という風になっています。たしかにソシュールの図式に較べると、コミュニケーションの「過程」が詳細に記述されており、これは歴史的に見れば画期的な指摘でした。
しかしながら、ここではまだ「概念→聴覚映像」「聴覚映像→概念」の「→」部分についての詳細は示されていません。この後さまざまの図式が提示されることになりますが(4)、一足飛びに現代の言語学の概説書からコミュニケーション・モデルを引いてみましょう。
(8) コミュニケーション・モデル F
(岩本 1997: 124)
このモデルは、(2)の図式をより詳細にしたものとも考えられますが、意味するところは明らかでしょう。すなわち、発信者が送り出す「伝達内容」は「コード」を参照し「記号化」することで「メッセージ」となり、受信者はその「メッセージ」を、やはり「コード」を参照することで「解釈」し「伝達内容」を復元する、というわけです。これが所謂「コード・モデル」の典型的な図式であることは、すぐお判りでしょう。
この図式では「コード」、すなわち「メッセージ・記号形態」化するための「規則」が、「発信者−受信者」の「コミュニケーションの場」(5)の外に置かれています。これはつまり、「コード」が「発信者−受信者」に共有されているもの、さらに云えば、両者も越えた「共同体」に共有されている「資源」(ressources)であることを表わしています。
これは当然のことでしょう。なぜなら、「コード」が共有されていなければ、たとえば「猫がいぬ」とか「犬がねこむ」と云った「発話」(6)は理解されないはずだからです(7)。
ですが、たとえば、つぎのようなケースはどうでしょう。
(9)
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- それって、ゼロ意味ー!
- まじヤバっスよ、その靴
- あゝ、そいつって例のウーロン茶?
- その椅子なおしといて
- おれ、ゲルピンなんだ
- ザギンのチャンネー
- そこバミっといて
- そこはリエゾンするところですよ
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(9)の発話の意味がすべてお判りの方はいらっしゃったでしょうか? もし理解できないとしたら、どこに問題があるのでしょう。そして、ここが肝腎ですが、問題があったとしても、これらの発話は「無意味」ではありません。これはどういうことでしょうか。おおむねは明らかだと思われますが、次回はこの問題にスポットをあてたいと思います。
【注】
「概念」(concept)とは、たとえば「猫」であるなら、猫について知っている百貨辞書的知識(脊椎動物である、ヒゲがある、ニャーと鳴く、etc)であり、「聴覚映像」(image acoustique)とは、[ネコ]という「音のイメージ」、謂わば「名称」である。ソシュールは、これらを「記号作用」(signification)の面から捉えなおし、それぞれ「シニフィエ」(signifié=記号内容)と「シニフィアン」(signifiant=記号表現)と呼んだ。
たとえばヤーコブソン(Jacobson 1960)など。
コンテクスト=文脈、すなわち「その場的」なもの。具体的状況以外のものも含み得る。
énoncé【仏】, utterance【英】。言語学的には「産出された文もしくは文の連続」を意味する。「言表」とも云う。
ここに云う「コード」は「文の産出規則」だけではなく、「猫」にかんする「定義」なども含む。
【参考文献】
岩本 一 (1997)『言語学の風景――音,意味,コミュニケーション――』新典社.
時枝 誠記 (1941)『國語學原論』岩波書店.
JAKOBSON, Roman (1960) " Linguistique et poétique " dans Essais de linguistique générale, coll. "double", Editions de Minuit, 1981.
SAUSSURE, Ferdinand de (1916) Cours de linguistique générale, Payot, 1993.
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